倶会一処(仏説阿弥陀経) 倶にここで会う処 市営墓地公園
田舎に住むので新聞の地方版おくやみ欄に死亡者が載る。全国紙は行政名と氏名、年齢とそっけないが、地元紙は住所、番地まで載る。勿論死亡届けを役所に出すとき掲載を希望するか、否か書面で確認される。
これが、ビジネスの種となって人の悲しみも何の、仏壇はどうか、お墓はどうか、法要の座敷はどうかなどと次々案内が来たり、訪問されたりして迷惑なことも限りない。
日課のお悔やみ欄をみていたら、元同僚の死が載っていた。元勤めた会社の旧友会のホームページで確認するとやはり間違いない。
葬儀は翌日で会場も分ったお参りに間に合う。仏となった元同僚が呼んでくれたか、やはり虫の知らせか。私とは2歳下70歳代前半は未だ若い。
私が結婚して亡妻の家に居候の形で新婚の頃、故人とは最終列車によく乗り合わせた。勿論就業後一杯があって、お互い顔がほてっていた。
分野は違ってそれほど親しかったわけではないが、縁あってある事業所で2年一緒となった。出来のいい彼は出世して100人は越えるその事業所の労務の責任者だった。私は3K職場の技術系、同じ役名ながら処遇ランクは彼の方が上だったろう。よく助けてくれた。元気のいいやり手だった。その後も彼は順調に出世した。
その頃、一杯の後二次会に行くと少し酒が荒れるので、聞くと当時中学生だった娘さんがちょっとした病気で入院手術して、医療事故か体質からか重篤な後遺症が残って悲しんでいることが分った。
彼の奥さんともその何年か前に別の事業所で3年間一緒だった。彼女は早期退職した。
彼とはお互い会社の合理化で同じ年に希望退職をして、その頃電話したら庭師の手伝いだと言っていた。
最近彼は退職後数年で人工透析を受ける身だと人から聞いて驚いていた。突然死だったらしい。
3日前にサウナで会ったという参列の後輩もいた。この後輩は定年を2年早く退職して70歳になると言ったが、退職して数年後奥さんを60歳で、間無しに一人娘を40歳大腸がんの手遅れで亡くして、とうとう一人になってしまったと嘆いた。娘を送ったその年は近い縁者4人も逝き最悪の年だったとか。
葬儀も終わって「最後の対面」でお別れしたら、昼寝のような顔で納まっていた。奥さんは放心状態、声をかけるのはためらわれた。もう30年以上も会っていないのでお互い名乗らないと顔では判らない。
同年輩とかその下が逝くと淋しい、お世話になった、ありがとう。合掌。
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