愛知県に住む級友が御嶽山噴火に驚いたと昨日メールをくれました。
“やーびっくりした。多くの遭難者が出て、過去最大の噴火ではないでしょうか。登山者のなかにも、紙一重で生死が分かれたり、自分自身の命を守るため、目の前でなくなったパートナーに合掌して下山したり、まるで地獄のようです。ここ2.3年登山できないでしょう。一日も早く不明者が発見されることを祈るばかりです。”
とあり、33年単独登山して飛騨頂上(天頂の少し下の摩利支天岳のこと)で折り返した思い出が書いてありました。
同報通信された美濃加茂市在の山登り君が返信で、28日に同市観光施設「日本昭和村」へ行って写真に撮ってきたと送ってくれたのでちゃっかりブログに借用しました。許せ。
望遠で引っ張ったのでしょう噴煙が望まれます。
わたしの返信は
御嶽は昭和36年6月に高根村日和田口から上司と村の人たちと電話工事の途中登った。その後だったか下呂市小坂町濁河温泉から兄弟3人で登った写真がある。焼岳は昭和32年10月会社の人と登った。一緒に登った夜間高校山岳部活動の、立山~穂高縦走は昭和32.8.3~8日だった。自然の力の前には人間は弱いものです。今年は異常気象だった。ご自愛ください。
と返信しました。
また、彼はこの縦走の思い出を2週間ほど前メールしてきていました。
“高校在学中に、立山から槍まで縦走した時引率の『先生』が、当時朝日新聞に連載中の氷壁で、「主人公の魚津が、滝谷に向って入山する頃だ。」といっていました。きっと新穂高温泉から滝谷避難小屋の間で魚津とすれちがっていたと思うと楽しくなります。
今年は沢登りの遭難が多くありました。沢の川を渡るとき流されます。集中豪雨で、都会の道路が冠水で膝位までだったら流されないけど、沢の川の流れは速くて流されます。都会の映像を思い出して平気々々と渡ったのでしょう。これも今年の天候の仕業でしょうか。“
この当時朝日新聞に井上靖「氷壁」が連載中だったのか、先生との会話は覚えていませんでした。朝日は「三四郎」なんか明日から連載しないで「氷壁」を連載してほしい。
深いところは50センチもある灰と硫化水素ガスで救援活動が思うようにはかどっていません。かわいそうに小学生から高校生、中壮年も多く犠牲になっています。
今日の下界は絶好の真夏日です。外食に行ったついでに岐阜市金華山東側の岩戸公園へ寄ったら、スキーのような杖を突いた登山者がパラパラ十人近く下山してきました。駐車場は登山客の車が30台ほど停まっていました。