28日の昨日母が満108歳の日を迎えました。誕生日おめでとう。すごいね。
めでたい日なので、在所の若嫁が赤飯を炊いてくれたと姉が言っていた。
日曜日に在所の兄に電話して入院中の母の容態を聞いた。食べられないが安定している。嚥下性肺炎は快癒し肩で息することは無くなった。血液の濁りは改善しないだろうとの診断で、月曜日にケアマネージャーと一緒に家族と懇談したいとの話しなので、退院を持ちかけらると予想されると言った。
こんな年寄を何時までも病院は面度見ておれないだろうし、家へ連れて帰るなんてとてもできる容態ではない。何とか病院に置いてくれるようお願いしてくれと頼んでおいた。
誕生日の今日電話すると、家族+主治医+今まで世話してくれたケアマネージャー+長期療養型・リハビリティション主体の別の病院の方との、四者懇談が持たれて今後を話し合った。
家で面倒みるには相応の看護体制を組むシステムもあるらしいが、いまの現状で帰宅し看護はとてもできない。長期型病院はベッドが空き次第引き受けるとのこと、それまで何とか今のままで置いてほしいとお願いしたとのことである。
めでたい日に、不謹慎、非常識ながら、終末医療の現実を考えたい。
老人介護は大変に看護、介護、金銭で家族負担を強いるのである。日本は5人に1人が65歳以上の高齢社会を迎えてしまって、国の社会保障政策が付いてきていないと、過日週刊誌で読んだ。
経済的には幸運にも愚弟賢兄で、兄はある経済団体で77歳に達するまで現役で過ごせたので、何とか持ちこたえているが普通の家庭では大変だろう。
長寿はめでたいばかりではない。本人も早く逝きたいであろうに、死ねないから生きているのだ。喪服まで用意して帰省しそのままの置いてきている。後どのくらい生きられるのか。
亡妻のときも経験したが総合病院は、確か3ヶ月を越えると看護単価が下がるため、治療費収入も僅かの長期型病人を、病院経営面でも置いてはおけないらしい。
脳卒中の不随の患者を別の病院へひと月ほど移し、また戻すという場面を見たこともある。
亡妻の場合も、悪い方には取りたくはないが、がん、骨転移で悲惨な末期なのに「家へ連れて帰りますか」と聞かれたこともあるし、院長先生は背中を開いて一本梯子形状のステンレスの棒を脊椎に沿って入れ肋骨に固定して、ベッドに起き上がれるほどの効果の手術を、渋っている主治医達に提案され、「○○大学病院は既にやっているのだ、やりたまえ」と、意識のしっかりある病人の枕元での問答もあった。
その治療方針はOP直前まで行った。準備にナース3~4人がベッドの端に立ち、バスタオルを吊りストレッチャ-に乗せてCTを撮りに患者を搬送した。
その後、私と初対面の整形外科医が面談した。病状は既に頚椎にまで転移していて、そのうち首に異状が出てくる、下半身は麻痺してきている、体は動かせない、痛みは走る、今でも地獄なのに・・と断念を告げられむしろホットした。
死ねないから生きている、安楽死は違法であるがその種の治療はできないかと聞いた。聞く自分も地獄だった。
そのDrは重大なOPはこの患者さんが、自分の妻だったらどうする、肉親だったらどうすると自問自答する。奥さんはその状態なのです。○○を大量投与すると死期は確実に早まるが、それは安楽死ではなく緩和治療の一つですと良心的だった。
時を経て主治医にその話しをすると、肺に水でも溜まってどうしようないときです。今はその状態ではありませんと返答された。
死後何年か経って、あるゴルフ・コンペで町内にお住まいで、前にもゴルフををやった事のある別の病院の副院長先生と同伴する機会があり、その話しをしたら、院長は少しそろばんに走ったかなと述べられた。
在所の別の親戚のお婆ちゃんも最近倒れて長期療養の施設に入っている。家族は胃ろうによる生命維持は反対とか。最近新聞でも見るが私も反対が正解だと思う。また親戚の別のおばあちゃんは胃ろうで数年延命して亡くなった人もいる。
妻のときは体が動かせないので褥瘡(じょくそう)は早いし、静脈への補液の注射も数週間で入らなくなり、気管支切開による大静脈点滴に変った。チューブの深さは心臓近くまでと主治医が説明された。終末医療の現実は厳しい。