図書館の貸出し係の女性が何冊もある、本の中から1冊を選んでくれた。
「アンネの日記」 アンネ・フランク 深町真理子訳 増補新訂版 文芸春秋 2003・4刊 図書館の本
この日記はあまりにも有名であるが、増補新訂版の解説が冒頭に「この本について」と、前書きで紹介されている。以下がその要旨です。
“アンネ・フランクは1942年6月12日から1944年8月1日まで、13歳から15歳にかけてずっと日記をつけていた。
・アンネの日記は手を加えていない原型版 これを Aテキスト
・アンネ自身が戦後この日記を基に本を出したいと考え、原型の日記を清書し、内容に手を加え、文章を書き直し、加筆訂正し、彼女自身が手を加えていた Bテキスト
・アンネの死後、父オットー・フランク氏は娘の希望をかなえるため、日記AとB両テキストをもとに編集し、短縮した第3のバージョンの Cテキストの3種ある。
Cテキスト版は出版され、その後もずっと版を重ねたが以上のような理由から、テキストの範囲は各国によってまちまちだった。この日記が出版された1947年当時は、
・性に関するテーマをありのままに記述することは未だ一般的でなかった。
・Cテキストで文章が削られたり、表現が変更されたりした理由は、オットー・フランクが亡き妻の立場を考慮したり、隠れ家でともに2年余りを過ごした、ほかの人びとを傷つけないためだったとされる。
・日記にはアンネ・フランクの13歳から15歳にかけての出来事が描かれているが、彼女の記述には、嫌悪とか好き嫌い、怒りといった感情が思いやりとかやさしさなどと並んで、同等にはっきりと表現されている。(これは中学生らしい甘えの感情表現とも読めた)
・彼女の父オットー・フランク氏は1980年に死亡し、アンネの自筆原稿は遺言により、アムステルダムのオランダ国立戦時資料研究所に遺贈された。
・1950年よりボールペンで書いてあるのではないか等、その信憑性が問われていたという事情があり、同研究所では残されていたすべての資料を調査し、当時のインクの特性などを科学的に調査し、日記はまぎれもなく本物であることが判明し、日記の原型と調査結果が公表された。
・フランク氏の遺産を包括的に相続し、アンネの日記の版権を取得している、フランク氏の戦後の移住先スイスのバーゼルの<アンネ・フランク財団>は1991年、彼女の自筆原稿に基づいて作成された新版を公刊することを決定した。
・新しい版の編集には作家であり、翻訳家でもあるミリヤム・プレスラー女史が当った。これが増補新訂版という完全版、借りてきたこの本であった。内容は従来の版より30%増え、新たに発見された5ページ分の日記が追加された。
さらに詳しく知りたいと望む読者には、オランダ国立戦時資料研究所編による<研究版「アンネの日記」完全版(第5版)(アムステルダム、2001年)(オランダ語)がある。
彼女の父オットー・フランクが編集した短縮版は、世界各国に普及し政治的意味さえ持つようになっている。“
いづれにしても“鋭い感性と驚くべき表現力で、思春期の夢と悩みが赤裸々に綴られた日記は、永遠の青春の記録として、半世紀を経た今も世界の人びとの胸をうってやまない。”
いつ、おそってくるか、死の影におびえることなく、「大冒険をいま、自分の意思で経験してるのよ」と明るく立ち向かったアンネ。
それにしても、ホロコースト、ジェノサイドとかいわれるユダヤ人に生まれたというだけで、なぜこうも迫害を受けるのか、増補新訂版の訳者は「異質なものへの不寛容」と嘆いているが、私には600万人も虐殺した、イスラム教とかキリスト教文化というものがイマイチ理解できない。