前が開けた見晴らしのいい家屋敷で台風の夜は大変でした
通夜の日、16日は昨日に増していい天気になりました。予報では明日葬儀の日の天気が心配です。テレビのデータ連動ボタンを押し予報を皆で確認しました。
午後3時半「湯灌」(ゆかん)、4時半親族バスが高山市の葬儀会場へ自宅前出発、6時半一般会葬者バスが公民館前出発、親族には会場で通夜前にお斎の振る舞いの予定です。
寸分狂わず斎場の霊柩車が到着しました。霊柩車は宮型でなく、バン型のクラウンを頼んだとのことでした。いよいよお別れかと、少しセンチメンタルになりました。
そして軽のバン型車が同道してきました。納棺師の車で中年の御婦人でした。
先ず遺族に正座してご挨拶され、遺族の間には衝立屏風を立て視線を遮蔽されます。
湯灌と納棺師は2008年公開の映画「おくりびと」で、意義と存在が広く認識され、モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞するなど、私も見たがいい映画だった。「もっくん」こと本木雅弘の演技が光った。映画のような華麗な指裁きは見えなかった。
飛騨の我が家のあたりでは、湯灌をユカミと訛って言われる。
”湯灌とは、清らかな姿で死出の旅路に旅立たせるもので、昔は遺体を湯で拭き清めていた。だが最近はアルコールを浸した脱脂綿かガーゼで拭く。その際男性は髭剃り、女性なら薄化粧をほどこすなどして(つまり死化粧)、旅立にふさわしい姿にしてあげるのである。
湯灌、死化粧が終わったら、次は「死装束」を着せる。経帷子(きょうかたびら)に手甲(てこう)、脚絆(きゃはん)というのが本来の死装束だが、必ずしもその必要はない。
むしろ最近では、本人が生前に一番気に入っていた衣服を、左前に着せて納棺し、経かたびらは、遺体の上にかける方式が一般的である。なお浄土真宗は冥土に旅立つという考え方はないため死装束はしない。”(以上仏教早わかりエッセンス事典 土屋書店引用)
母の死装束は浴衣を着せ、その上にビニ製模造の着物の前側だけを、いかにも和服のしつらえで重ねていった。最後に模造の草履を足の先に出した。手甲は無かった。
三途の川の渡し賃、六文銭をズタ袋に肩掛けして入れる場合もある。千円札でも入れようかと聞いたら、その必要はないと言われた。
全て終わって遺族の近いものから順に、アルコールをガーゼに侵したパッドを貰い、手足顔を少し拭く儀式があった。化粧が落ちるので顔は余り強く拭くなと案内された。この儀式は初めての経験だった。
棺に入れる遺愛品は午前中に喪主、長男、嫁、姉が見繕って用意していた。杖を必ずと電話してくれた人もいて1本入れ、残った杖1本ずつを私と弟が唯一の遺品で貰ったが、少し早いので84歳の姉にあげました。ディサービスで作ったカレンダーは、折り紙細工を貼ったしゃれた作りの色鉛筆の塗り絵、平成16年からの連絡帳なども入った。
ニ男がアメリカへの高校生交換留学で貰ってきた新約聖書にあります、
マタイによる福音書 27-59 ヨセフは死体を受け取って、きれいな亜麻布に包み、
ヨハネによる福音書 20-40 彼らはイエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香油を入れて亜麻布で巻いた。
どこも同じですね。
予定時間どおり4時半過ぎ、納棺した遺体を霊柩車に載せ、二人が同乗する段になり、喪主と長男は羽織袴に会場で正装・着替えるため普段着なので私と弟が霊柩車に乗った。家を出るとき「ぽわーん」と弔鳴を頼んだ。
東京の桐ヶ谷斎場で義妹の舅を送った時は、近隣迷惑でポワーンは鳴らせないといった。
親族バスが続いた。道中に二度運転手は会場へケイタイした。係員が整列して出迎えてお棺を運び込む為だった。
霊柩車に親族バスがつづいて、到着してお斎となり式前にビール、酒の振る舞いだった。これはこの地方独特の、どうかなぁという習慣かも知れない。
7時半開式前、遺族は玄関で整列して出迎え、参詣者の多さを式場が心配し、屋外にテント受付と式場の廊下を一部抜いて広げ、椅子を300人程度となった。
続々と参詣者が来てくださって、予定時間きっかりに通夜式は始まった。導師は壇那寺の老若の二人。老僧は若い頃は本願寺の堂僧なので、声のよさと読経の音調に定評のあるお方。
式は30分で終わった。古いしきたりを守る寺院で通夜に焼香がない。式の前に焼香がないので僧侶退場後ご自由に銘々ご焼香下さいと案内されたが、最後にもそう案内してもらうとよかった。都会では喪主のみ呼び上げて焼香し、参列者が銘々後に続く。こういうふうに現代風に改めてもらいたい。遠路より通夜だけの参詣者も多いからだ。
お勤めは通夜式も葬儀式も「正信偈」(しょうしんげ)である。終わって参詣者に向かって説教される。
「なごりおしく思へども、娑婆の縁尽きて、ちからなくして終わるきに、かの土(ど)へ参るべきなり・・歎異抄第9条の私の好きな一説が枕詞ではじまり・・なぜこの世に生まれてきたのか、一度自分自身に問うていただきたい・・」との終句だった。
玄関口でお客さまを整列してお見送りして、やれやれ終わった。お棺は遺族休憩室へ運び込まれていた。
ここで、遺族休憩室へ親族や2升持ち親戚は移動し、残った料理も移してあって、お斎の二次会だった。
お斎の巻き寿司盆、サンドイッチとオードブルが沢山余った。お手伝いさんのおばさんに聞くと陽気も悪く無いし、田舎のことなので持ち帰り黙認しますとのこと。
在所の長男が嘆くのを無理してモッタイナイから、家でも残ったら畑に捨てよと、大風呂敷にいくつも包んで持って帰らせた。
私と今夜は4人で不寝番、姪の旦那は残った飲み残しビールを腹へ整理し、冷蔵庫から数本とよく飲んでくれ、お袋は喜んだだろう。
風呂もあったし寝具が3組、寝たければ寝ればよいと気楽な不寝番だった。