鎌倉古道をトレースしてる友達がいまして(w)地理的に言えばこちらはホストになるって感じなので、歴史的な観点で鎌倉の道を見てみようとしてます。
一時期、日本の政治の中心がこの地にあったのは教科書でもご存知だと思いますが、さて
「なんで『鎌倉に』幕府を開いたのか」
が今イチ分らないです。この前の時代は京のだだっぴろいところにあったものが、歩いても差し渡し2時間もかからない、山に囲まれた狭い土地に政治の中心があるのは、ちょっと不思議です。守りに徹しているのは分りますけど、あまりにも閉鎖的過ぎやしないかって考えてしまいます。日本史の教科書をおさらいしてみると、鎌倉という首都の異様性を感じます。
あと、鎌倉七口と呼ばれる切り通しのうち、朝夷奈、極楽寺、名越の切り通しは現在の道にも通じる付け方をしてますが、仮粧坂、亀ヶ谷、巨福呂坂、大仏の各切り通しは山の中にあり、現在の道と重なるところが少ないです。狭い土地に7つの街道がありながら、半分以上が現在と重ならないのは、これもちょっと不思議です。
アプローチする視点が違うのかもしれませんけど、自分の視点から歴史を紐解いていくのって、なかなか楽しい感じがしてきました。
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