雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ 丈夫な身体をもち
欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
1日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
良く見聞きし分かり、そして忘れず
野原の松の林の蔭の小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば、行って看病してやり
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくの坊と呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに・・・私はなりたい
宮沢賢治
--------------------------------------------
あらためて、宮沢賢治のこの詩を読むと、とてつもなく奥が深いなぁと感じたんです。
雨や風に負けない強い身体を持って、人のためになりたい…と言うだけの詩ではなく、大自然の偉大さに敬意を払い、思い通りにならないことを静かに受け入れる覚悟。
くだらない人間同士の争いは、憎しみや負の感情を膨れ上がらせるだけで何の解決にもならず、とてもくだらない行いであること…。
これら、世の中の全ての出来事、つまり大げさに言えば『宇宙の真理』を悟ったような奥深い詩だなぁと感じたんです。
だから、私のblogにも載せてみました。
本来、この詩の原文は、大半がカタカナの旧仮名づかいで書かれているので、もしかすると宮沢賢治が意図する詩の意味とは解釈が異なる漢字を使用しているかもしれませんが、今現在の私の解釈で書いてみました。
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ 丈夫な身体をもち
欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
1日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
良く見聞きし分かり、そして忘れず
野原の松の林の蔭の小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば、行って看病してやり
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくの坊と呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに・・・私はなりたい
宮沢賢治
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あらためて、宮沢賢治のこの詩を読むと、とてつもなく奥が深いなぁと感じたんです。
雨や風に負けない強い身体を持って、人のためになりたい…と言うだけの詩ではなく、大自然の偉大さに敬意を払い、思い通りにならないことを静かに受け入れる覚悟。
くだらない人間同士の争いは、憎しみや負の感情を膨れ上がらせるだけで何の解決にもならず、とてもくだらない行いであること…。
これら、世の中の全ての出来事、つまり大げさに言えば『宇宙の真理』を悟ったような奥深い詩だなぁと感じたんです。
だから、私のblogにも載せてみました。
本来、この詩の原文は、大半がカタカナの旧仮名づかいで書かれているので、もしかすると宮沢賢治が意図する詩の意味とは解釈が異なる漢字を使用しているかもしれませんが、今現在の私の解釈で書いてみました。
今のところ 負け越しが 決定していますがぁ
「負けない精神」を 少しづつでも 手に入れたいです
雨や風に負けない強い身体を持って、人のためになりたい…と言うだけの詩ではなく、大自然の偉大さに敬意を払い、思い通りにならないことを静かに受け入れる覚悟。
くだらない人間同士の争いは、憎しみや負の感情を膨れ上がらせるだけで何の解決にもならず、とてもくだらない行いであること…。
これら、世の中の全ての出来事、つまり大げさに言えば『宇宙の真理』を悟ったような奥深い詩だなぁと感じたんです。
だから、私のblogにも載せてみました。
本来、この詩の原文は、大半がカタカナの旧仮名づいで書かれているので、もしかすると宮沢賢治が意図する詩の意味とは解釈が異なる漢字を使用しているかもしれませんが、今現在の私の解釈で書いてみました。
幼い頃、父に教えられました。
その頃はあまりよくわからなかったけれど、年をとるにつれて、
こういう気持ちかな…と、
わかって来ました。
とはいえ、
宮沢賢治自身の想いと完全に一致するとはもちろん言えないのですが、
近づけたかなと思います。
同時に、父の想いにも近づけたかな…と思うこの頃です。
この詩には、お父様との思い出があったんですね。
私は子供の頃、良く耳にする有名な詩として聞き流していました。
しかし、この歳になって、あらためて読み返してみると、何とも心にしみてくる奥深い詩だと感じました。
Mikatyさんのおっしゃる通り、宮沢賢治の想いと同じかどうかは分かりませんが、少しは人生を重ねてきたからこそ感じ取れる部分があると思います。