知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「日本人は何を考えてきたのか~南方熊楠」 by NHK

2012年01月26日 12時31分46秒 | 神社・神道
 先日放送された内容は「第3回:森と水と共に生きる~田中正造と南方熊楠~」でした。
 田中正造編も興味深く視聴しましたが、私の心をつかんだのは南方熊楠(みなかた くまぐす)の方です。

 明治時代に生きた熊楠は、人間と森の関係を深く思索した「知の巨人」。昨今の里山ブームとは一線を画す、総合的な視点からその重要性を説いていました。
 1906年(明治39年)、明治政府は「神社合祀令」を発令します。
 その内容は、一つの村には一つの神社のみを残し、他は統廃合するというもの。明治政府の目的は、統廃合するとともに伊勢神宮を中心とする国家神道に収束させ、戦争に都合のよい世論を作る体制を形成することでした。
 このときに消滅した神社の数は、日本全国で約5万社。鎮守の森は伐採され、悲しいかな、それを木材として売ってもうける輩も少なからずいたようです。

 なんということでしょう!
 祈りの空間を喪失し、多数の民が心のよりどころをなくしたことは想像に難くありません。

 熊楠は反対運動を起こします。勢い余って役人の講演会に乗り込んで激昂し、投獄されたこともありました。囚われの身にあるとき「石神問答」という書物が熊楠の元に届けられました。民俗学者である柳田国男が自分の著書を送ったのです。熊楠はその内容に共感し、二人の親交が始まるのでした。後年柳田は「わが南方先生ばかりは、これだけが世間なみというものがちょっと捜し出せようにもない」と言葉を残しています。

 熊楠が「神社合祀に関する意見」の中で展開した神社合祀の弊害8箇条を紹介します;

 第一、敬神思想を薄うし、
 第二、民の和融を妨げ、
 第三、地方の凋落を来たし、
 第四、人情風俗を害し、
 第五、愛郷心と愛国心を減じ、
 第六、治安、民利を損じ、
 第七、史蹟、古伝を亡ぼし、
 第八、学術上貴重の天然紀念物を滅却す。


 明治時代にエコロジーの概念を掲げて森を守ろうとした熊楠の精神に敬意を表したいと思います。私の知りたいことは熊楠が残した文章にすべて書いてあるのではないか・・・そんな期待さえ生まれてきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする