知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「チェルノブイリから福島へ~未来への答案~」

2014年08月10日 15時30分00秒 | 原発
毎年8月になると戦争に関する番組が増えます。
私にとっても8月は「戦争」「原発」について思いをめぐらす季節になっています。

され、表題の番組はBS日テレ「NNNドキュメント’13」で2013年10月28日に放映されました。
原発事故を取りあげる番組は多々ありますが、今回はそこで働く労働者に光を当てた内容です。

<番組解説>
爆発した原発の廃炉は、通常の廃炉より格段に難しい。今も福島第一では溶けた核燃料がどうなっているか全く分からない。しかも廃炉にあたるのは3次、4次、5次下請けなどの原発関連の作業経験が少ない人が多い。被曝線量がオーバーすると働けなくなり、また新たな人が補填される。これでは想定の30~40年で廃炉を完了できるとは思えない。核大国・旧ソ連がチェルノブイリ収束の為に取った対応と比較して、今の日本はどうなのか?一番の違いは姿勢だ。チェルノブイリには廃炉・除染の作業員を養成する訓練センターが作られた。廃炉に手練れを、という戦略だ。日本は今の形のままでいいのか?福島とチェルノブイリの大きな違いをつまびらかにし、日本が取るべき正しい道筋を探りたい。


27年前に起きたチェルノブイリ原発事故。
ソビエト崩壊後はウクライナが管理しています。
チェルノブイリの“今”を知るべく取材班は操作室まで乗り込み撮影しました。
そこで見て感じたことは・・・チェルノブイリは「廃炉」ではなく「廃墟」と化した事実。



コンクリートで固めた“石棺”はあちこちほころび、雨漏りをして汚染水がたまる一方。
すでに運転は停止しているのに何千人もの職員が働いています。
現在、石棺劣化の対策として「新シェルター」の建設が進んでいます(2015年完成予定)。
これは石棺を丸ごと覆うシェルターで、将来その中で無人器械が解体作業と放射性物質の取り出しを行う予定とのこと。



しかし、
「その“将来”とはいつか?」 
と問われて関係者の言葉は濁ります。
「おそらく100年後・・・我々の世代ではないだろう」
とのコメント。
いや、100年後に放射性物質を取り出すかどうかわからない、放射性物質の処理・最終的な廃棄方法が決まらないなら、むしろそのままの方が安全かもしれないと判断される可能性も示唆していました。

ここに、廃炉作業に潜むジレンマが垣間見えました。
廃炉を急ぐと線量の高い作業となり被曝のリスクが高くなる。
廃炉が遅れると現場を熟知した技術者がいなくなりトラブルが多くなる。
ウクライナの技術者の口からは「福島は廃炉を急いではいけない。急ぐと危険だ。」というコメントが発せられました。

チェルノブイリ原発で働くためには国家資格が必要です。
近隣の街で5日間40時間の講習を受け、試験に合格しなければなりません。
その研修は実際的で「事故が起きた原発内での働き方」をたたき込まれます。
取材に当たった解説者が試しに受けたら不合格でした。
原発の知識よりも「現場でどう動くか」に重点が置かれていると感想を述べていました。

一方、日本の福島原発の現場はどうでしょうか。
はじめて働く人向けに研修があるようですが、そこでは事故の起きていないふつうの原発で働く内容しか教えていないそうです。

ウクライナの講師は「放射能は怖いもの」と教え、
一方、日本の講師は「放射線は安全なもの」と教えている
、この歴然とした差が印象的でした。

さらに、チェルノブイリ近郊の街から遠くへ強制移住させられて住民達が、
私たちはもう故郷に戻れない。福島の人たちも帰れないと思った方がよい。
と重い言葉を残して番組が終わりました。
コメント
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