知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「ビキニ事件と俊鶻丸」

2014年08月09日 17時07分54秒 | 戦争
海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸
NHK Eテレ(2013年9月28日放送、2014年2月1日再放送)。



<番組紹介>
 1954年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で、日本のマグロはえ縄漁船・第五福竜丸が被ばくしました。被害は水産物にも及び、日本各地の港では放射性物質に汚染されたマグロが相次いで水揚げされます。しかし、核実験を行ったアメリカは、放射性物質は海水で薄まるためすぐに無害になる、と主張しました。
 このとき、日本独自に海の放射能汚染の実態を解明しようという一大プロジェクトが始動します。水産庁が呼びかけて、海洋や大気、放射線の分野で活躍する第一線の専門家が結集、「顧問団」と呼ばれる科学者たちのチームが作られました。
 そして水爆実験から2か月後、顧問団が選んだ若き科学者22人を乗せた調査船・俊鶻丸がビキニの実験場に向けて出発します。2か月に渡る調査の結果、海の放射能汚染はそう簡単には薄まらないこと、放射性物質が食物連鎖を通じてマグロの体内に蓄積されることが世界で初めて明らかになりました。
 俊鶻丸「顧問団」の中心的な存在だった気象研究所の三宅泰雄さんは、その後も大気や海洋の放射能汚染の調査・研究を続けます。原子力発電所が次々と作られていく中で、三宅さんをはじめとする科学者たちは、大きな原発事故にも対応できる環境放射能の横断的な研究体制を作るべきだと声を上げます。
 しかし、それは実現しないまま、2011年3月11日、福島第一原発の事故により、再び放射性物質で海が汚染されました。
 ビキニ事件当時、日本の科学者たちが行った調査から、今私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。俊鶻丸に乗り込んだ科学者の証言や、調査を記録した映像などから描きます。


 水爆実験による放射能海洋汚染は、俊鶻丸の調査により、予想より停滞し、かつ潮流に沿って回旋を続ける事が明らかになりました。
 しかしアメリカはこれを隠そうとし、日本に圧力をかけて経時的調査をやめさせたことは象徴的であり、衝撃を受けました。

 人間が殺し合う「戦争」を生き抜くために開発された原子爆弾・水素爆弾。
 この開発にブレーキをかける放射能汚染データはアメリカ幹部にとっては存在してはならない情報なのです。
 人間の本能の暴走と申しましょうか。

 同じ事が日本の3.11の原爆事故にも言えると思います。
 世界の中で“経済活動”という名の戦争を勝ち抜くためには原子力エネルギーが必須と考える日本政府。
 それにブレーキをかけるようなデータは存在してはならぬのです。

 ビキニ事件の際は批判対象がアメリカだったので、日本の科学者の叡智を集めた「顧問団」が組織され貴重な報告書が残されました。
 しかし3.11では、そのような総合的な調査団は組織されませんでした。
 なぜって、日本の原発推進政策にブレーキをかけるデータを出す調査団を、日本政府が許すはずはないのです。

 顧問団のような組織が作られなかったことを「残念」「おかしい」と発言した岡野眞治氏。
 どこかで見たご老人と思いきや、3.11後の放射線測定でも活躍した方でした。

 その姿勢は現在も続いていると感じます。
 つい先日、福島原発の第3号機も事故後早期にメルトダウンしていたことが明らかにされました。
 ほとぼりが冷めてから、こそっと小出しに情報提供する“ずるがしこさ”を感じざるを得ません。

 学生時代に「大脳半球は人間の本能を抑制する機能を持ち、これが人間の本質である」と習いました。
 そう、動物と人間の違いは“抑制”して自ら律することができるかどうか、ということ。
 本能のままに生きていている友人を冗談交じりに「大脳の抑制が取れている」とからかうことが流行ったことを記憶しています。

 今の世界を見渡すと、人間は憎しみ合い、殺し合っています。
 昔の自分が「大脳の抑制が取れてるよ~」とつぶやいています。

 日本人の叡智は、日本の暴走を止めることができるのでしょうか。
コメント
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