知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

『ビートたけしの教科書に載らない日本人の謎』~仏教編~

2012年01月03日 06時15分48秒 | 寺・仏教
 毎年お正月に放映される番組だそうです。
 その年末には再放映され、今回わたしは2011年版(第3回)を拝見しました。

<内容>
・なぜこれほど日本に仏様が根付いたのか
・最澄と空海は何をしたのか
・たけし人生初の高野山参り


 この回は、日本の仏教に焦点を当て、小島よしおとカンニング竹山によるコントを交えて、まことにわかりやすく解説しています。
 はっきり云って、大変勉強になりました。
 学校の歴史の授業では建前が邪魔になり、一般民衆にとってどういう意味を持っていたのか今ひとつイメージできない事柄が多いのですが、人間くさい裏事情も知ると興味深く身近に感じることができます。

 特に以下の事項が新鮮でした;

仏の階級
 ピラミッドの頂点に悟りを開いた「如来」、その下に修行中の「菩薩」、その下に番人の「明王」、その下にインドの神々を転用した「天」という序列が存在する。

如来】・・・薬師如来(医療担当)、阿弥陀如来(極楽浄土の案内人)、大日如来(太陽を神格化)、
 ちなみに奈良の大仏は毘虜遮那(びるしゃな)如来、鎌倉の大仏は阿弥陀如来。

菩薩】・・・弥勒菩薩、観世音菩薩(観音様)、地蔵菩薩(お地蔵様)
 ちなみに観音菩薩は女性ではない(男性でも女性でもないらしい)。簡素な如来の姿に比して装飾がされているのは、出家前の釈迦の王侯貴族時代の姿を表している。
 観音様は人気を博し、バリエーションが生まれた。たくさんの人々を救うため、手の数を増やした千手観音、顔を増やした十一面観音、巨大化した高崎観音、等々。
 親切にも出張して救済してくれる菩薩も登場・・・皆さんご存じのお地蔵様のこと。庶民のアイドルとなり細々とした願いも聞き入れてくれる存在となり、身代わり地蔵、とげ抜き地蔵、子育て地蔵などが登場した。

明王】・・・不動明王、他
 明王は密教では大日如来の化身・分身であり、明王が救うのは難解の衆生(なんげのしゅじょう:いくら言っても聞かない人)。明王は激しい煩悩を背後の炎と剣で焼き尽くし、左手の縄で縛ってでも救うという。慈悲の心ではなく怒りで仏教界を守る、いうなれば闇の仕事人。
※ 歌舞伎の市川海老蔵が結婚を報告した成田山新勝寺のご本尊は不動明王でしたね。

】・・・帝釈天、毘沙門天、金剛力士、等
 明王グループと同じく武闘派集団で、「寅さん」で有名な葛飾柴又の帝釈天、戦の神様の毘沙門天、東大寺の金剛力士、地獄の閻魔様も天の一員。

仏教の宗派はなぜたくさんあるのか?
 宗派は、膨大な教典の何を重視するかで分離した派閥のこと。
 ラーメンに例えると、スープ極め派、麺極め派、全体のバランス重視派、と考えるとわかりやすい。

政治に利用されてきた仏教
 仏教は6世紀に日本に伝えられ、当時の中央政府が全国統一の方便として利用された。釈迦を中心とした一神教という性格が、天皇を中心とした日本統一とイメージがピッタリ重なったから。
 仏を祀るから国を守ってほしいという考えのもと、聖武天皇と光明皇后は全国に国分寺、国分尼寺を建立した。その後も長い間、仏教・僧侶は日本の政治の中枢に関わることになった。
 ただし、奈良時代は権力者・上流階級向けの宗教という性格にとどまった。

最澄(天台宗)と空海(真言宗)のインパクト:官から民へ
 この二人は上流階級の宗教であった仏教を民衆に広めようとして人気を博した。最澄は超エリートの役人でもあり、年下の空海は当時ブームであった密教をひっさげて重用されるに至った。二人は同じ遣唐使船に乗り、当初仲が良かったが、その後ちょっとしたトラブル(本の貸し借り?)で袂を分かった。空海はそのカリスマ性から自分がお寺の本尊になってしまった(弘法大師)。

※ 脱線しますが、こんな記事がありました;
1200年ぶり…天台・高野山真言宗トップ対談(2012年1月7日 読売新聞)
 天台宗の半田孝淳(こうじゅん)座主(ざす)(94)と、高野山真言宗総本山・金剛峯寺の松長有慶(ゆうけい)座主(82)による対談が昨年12月25日、京都府と滋賀県にまたがる仏教聖地の一つ、比叡山で行われた。
 両宗の開祖、最澄と空海が晩年、対立したとされることから、両座主が長時間にわたり意見を交わすのは1200年の歴史の中で初めてとなる。
 東日本大震災を体験した日本人の心のあり方を宗教人として示したいという松長座主の提案に、半田座主が応じる形で実現した。日本人はこれからいかに自然や環境と関わっていくべきか。両座主による初めての対談は、被災後の日本人への示唆に満ちたものとなった。


法然(浄土宗)/親鸞(浄土真宗)の特徴:民への普及促進
 法然は「南無阿弥陀仏(阿弥陀様、どうか私を極楽浄土にお導き下さい)と唱えればどんな人間でもあの世では救われる」と説き、民衆の支持をさらに得た。親鸞は自ら妻帯し悪人でも救われると説いた(悪人正機説)。ここで言う「悪人」とは犯罪者という意味ではなく、私たちはみな悪人という認識に基づいて、その認識を持った者こそが救われるという意味。
 注目ポイントは、釈迦ではなく阿弥陀如来ただ一人の神を崇拝したこと、この世ではなくあの世での救済を主眼に置いたこと。
※ 親鸞の云う「悪人」は平民以下の蔑まれてきた民衆を指すという説もあるようです(五木寛之の著書)。

禅宗(栄西の臨済宗/道元の曹洞宗)の特徴:武士への普及
 当時流行していた阿弥陀信仰はいわゆる他力信仰。それに対して禅宗は、自分の心身を鍛え上げることで自らの力で悟ろうという教え(自力信仰)。座禅というストイックな修行によりこの世での救済を説き、新興勢力の武士に支持され広まった。
 武田信玄、上杉謙信、織田信長も禅宗。金閣寺、銀閣寺、龍安寺が建てられ、能や華道、茶道といった文化も禅宗から派生した。

日蓮宗(日蓮)の特徴:現世での救済
 来世で人を救おうという禅宗に対し、日蓮は現世で人を救うべきと説いた。法華経という経典の中にこそ最高の真理があり経典を信じることで救われると説いた。

墓地・檀家制度は江戸時代から
 戦国時代に勢力を持ちつつあった寺の武装解除をしたのが豊臣秀吉。
 後に続いた徳川家康は異なる手法で寺を政治利用した。
 徳川幕府は「寺請制度」を敷いて地域の寺院に戸籍登録を管理させ、人の出入りを把握するとともに隠れキリシタンの取り締まりを行うという一石二鳥の方策をとった。寺にも「確実に信者を得ることができる」というメリットがあった。さら信者を確保するために宗派同士が争う必要もなくなったのであった。
 というわけで、葬式・お墓を寺が扱うようになったのは、実は江戸時代から。


 このように俯瞰すると、仏教はその時代の権力者に利用されて日本に根付いたのですね。その後対象を民衆へ広げていくことにより、現在のように普及した歴史が伺われます。

 やはり、自然に感謝し八百万の神を敬う神社の方が私は好きです。明治時代以降の富国強兵に利用された国家神道はイヤですけど。

 2012年版は1月9日放映予定です。ちょっと楽しみ。

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