知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「神の発見」(五木寛之 vs 森一弘 対談集)

2018年11月01日 19時11分12秒 | 寺・仏教
 ときどき、五木寛之氏の著書をふと思い出して読みたくなります。
 彼の文章は、私の琴線にビシビシ響いてくるのです。

 なぜなんだろう?

 私にとって、五木氏は“人生のダークサイドの語り部”といったところ。
 学校で習う歴史は表舞台で活躍した人たちですが、その裏に虐げられてきた人たちが常に存在しました。
 昔から私は、自分と同じ庶民・平民・民衆が何を信じてどのように生きてきたのかに、非常に興味を持ちました。
 大学生時代は民俗研究部に所属し「信仰」を担当していました。

 五木氏は大衆文学作家ですが、仏教にも造詣が深く、また民間信仰にもまなざしを向けています。
 ときどき垣間見える裏日本史に心惹かれます。

 この本は、そんな五木寛之氏と神学者の森一弘氏の対談集です。
 「神」なので「神道 vs キリスト教」のつもりで読み始めたのですが、内容は「仏教 vs キリスト教」でした。
 いや、“versus”という感じでもなく、その究極は同じところへ収束していくような、不思議な印象さえありました。

 若かりし頃の私は、キリスト教にも興味があり、教会の日曜礼拝に参加したこともあります。
 そこでは皆朗らかに賛美歌を歌っていました。
 「!?」
 悩みの塊だった二十歳の私には、何の悩みもないとでも言いたそうな彼らの表情を不思議な思いで見つめました。
 そして「自分の悩みをすべて神に託して楽になるんておかしい」と感じ、キリスト教に興味を失いました。
 洗礼を受ける前の森氏も教会へ行ったときに「信者たちの明るく取り澄まして、すべての問題に解答を見つけているような態度に、強い反発を覚えた」と言っていますが、まさに同じ体験です。

 お二人の対話の中で、仏教とキリスト教の相同性が浮かび上がってきました。
 それは「悪人正機説」(“善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや”)。
 浄土真宗を開いた親鸞の言葉ですが、キリスト教の原点も同じらしい。
 五木氏は「親鸞思想のある部分が、キリスト教徒重なり合うことに驚く」とコメントしています。

 そして森氏と五木氏の口からふと漏れた言葉が、この対談の核心部分かと;
 「キリスト教は、五木さんのおっしゃる“他力”以外のなにものでもないように思えます」
 「大いなるものに身をゆだねる、ということですね」

 読み終わってみて、私のキリスト教像が少し変わりました。
 どう変わったかと聞かれても、答えにくいのですが。
 また、宗教は布教が進んで広がると、原典から翻訳を経へて内容が少しずつ変化していく運命にあるようですね。

・私(五木氏)は自分で勝手にブッディストだと思っている。
 ブッダと一般に呼ばれる釈迦に深く共感し、その思想と生き方に帰依してきた。
 しかし奇妙なことに、いつも読んで感動するのは聖書である。親鸞の言行を記録した『歎異抄』を読んでも、ああ、このくだりは聖書の中のあの部分と重なるな、と感じたりするのだから困ったものだ。


 五木氏は聖書と歎異抄の相同性について何回も言及しています。

・明治にはじまる西洋・欧米文明の到来(文明開化)により私たちの生活様式は一変した。漱石はその変化を「西洋の猿真似」と呼んだ。彼の言わんとしているところが私には、何となくわからないでもない。

 西洋のうわべだけ借りてきて「日本も先進国の仲間入り」気取りであることに批判的立場なのは、河合隼雄氏もそうですね。

・「洋魂」とはなにか。
 それがキリスト教的文化であることは、すでに誰でも知っていることだ。
 市場原理といい、自由競争といい、その経済システムを土台で支えるのは「見えざる神の御手」に対する深い信頼である。
 ・・・・・・
 すなわち西洋・欧米の近代文明とは、基本的にキリスト教文化であり、それが洋魂と呼ばれるべきものだろう。


 では洋魂と対になる和魂とは何でしょう。
 日本は明治維新で和魂を否定し、洋魂を積極的に取り入れました。
 しかし戦争で負けたことにより、洋魂も否定することになりました。
 では何を魂のよりどころにすればよいのか?
 五木氏は「無魂洋裁」と表現します。
 しかしよりどころのない魂は疾走し転覆する運命にある、それが現在の日本であると指摘しています。

・フランシスコ・ザビエルの来日、伝道からおよそ450年、私たち日本人は、容易に洋魂を取り入れようとはしなかった。
 弾圧と殉教の歴史を経て、19:58現在、日本におけるキリスト教者の数は、国民の1%強であるという。


 日本人も“キリスト教的なもの”をたくさん取り入れてきました。
 私自身もバッハやヘンデルの楽曲が好きでよく聴きますし。
 しかし前述のように私はクリスチャンではありません。
 日本のキリスト教徒の少なさは、よく韓国と比較されますね。

・“イエス”はファーストネーム・名前で、“キリスト”がサーネーム・姓と多くの日本人は勘違いしている。
 “イエス”は固有名詞で人の名前、“キリスト”というのはイエスに付けられた称号で、神から贈られてきたメシア、救い主という意味。
 だから、イエス・キリストというのは「救い主として送られてきたイエス」ということになる。


 なるほど、なるほど。

・釈迦という、釈迦族といわれる人々のなかにプリンスがいた。
 29歳の時、彼は現実生活に飽き足らず出家してある直観的な理解を得て悟りを開いた。真実を悟った人という意味で「ブッダ」と呼ばれる。
 だからブッダは彼の他にもたくさんいる。彼はその中で、釈迦仏陀、ゴータマ・ブッダといわれ、その人が釈迦如来とされて、今は偉大な仏になっている。
 

 これは“釈迦”“ブッダ”にも共通する誤解ですね。

・『旧約聖書』は、キリストの出現に向かい、キリストの出現において完結するというのが、キリスト教の教えである。キリストの出現以後が『新約聖書』の世界。
 実は、『旧約聖書』はキリスト教だけでなく、ユダヤ教もイスラム教も聖典としている。
 ただし、ユダヤ教はキリストをメシアとして認めない。
 キリストは予言者の一人で、神の働きはマホメットで完結する、というのがイスラム教である。


 『旧約聖書』はキリスト教だけではなく、ユダヤ教とイスラム教の経典でもあることを以前知って驚いたことがあります。根っこは一緒なのですね。
 しかしその後袂を分かち、対立するようになったのは皮肉としか言いようがありません。

キリストが生きた時代のユダヤ人社会は“男尊女卑”だった。
 当時のローマ、ギリシャ社会のメンタリティーの影響であり、教会は誕生当時から男尊女卑、男性優位だった。
 その頃の指導者の一人パウロが書いた書簡が残っている(『新約聖書』「テモテへの第一の手紙」);
 「女性は静かに全き従順を学ぶべきです。女性が教えたり、男の上に立ったりするのを私は許しません。むしろ静かにしているべきです。」


 かつての“男尊女卑”を、時代の変遷とともに変えてきたのがキリスト教、旧態依然に残ったのがイスラム教ということでしょうか。

キリストの教えによる救いは、個人の修行ではなく、キリストに出会い、キリストに包まれることにあった。
 ユダヤ教の伝統の中にも、修行という概念はない。
 キリスト教の歴史の中で、修行者たちが現れて、岩穴に籠もって修行を始めるのは、3-4世紀になってから


 これは意外でした。
 「聖職者は厳しい修行を自らに課して到達するもの」というイメージは、後から作られたもののようです。

・キリストはユダヤ人である。
 キリストを十字架に張りつけた人たちと、キリストは同胞だった。ユダヤ教の中の、新しい体制改革というか、いろんな形での革新運動の様なことを言い出したために、迫害された。
 キリストは人間である。
 キリスト教は、キリストを、苦しむことも、悲しむことも、喜ぶこともできた、真(まこと)の人として捉えている。


 キリストは神であり崇高な存在である、というイメージがありますが、キリスト教の中では人間というとらえ方なのですね。

キリストは“神の子”である。
 “神の子”という表現には、いろいろな意味がある。『旧約聖書』のなかでは、神の子という場合は、神から選ばれたという意味が強く、王たちが神のこといわれていた時代もある。
 『新約聖書』になると、キリストが神の本質を持つ神である、という意味が出てくるが、キリストの生き方や役割を表す場合もある。
 生き方そのものが、人に対する優しさや慈しみに満ちていれば、それは神の姿だろう、あるいは、神の命を受けて生きているはずだ、という使い方がある。
 のちに教義が確立して行くに従って、神の子というものが、神の本質を持つ存在という意味にアクセントがうつっていく。
 “神の子”には、神の世界、神の光を伝え生きる「証し人」という意味もある。
 「あなたがたも、神の子となる」とは、キリストの愛というものに自分たちがすがり、それを信ずることによって、私たちも神の国の住人になれるだろう、と考えられる。


 キリストは人間ではありながら、神のような生き方を実践した人、ということでしょうか。

・四つの福音書の出だしは皆違う
「マルコの福音書」・・・キリストをいきなり荒れ野に登場させている。
「ヨハネの福音書」・・・はじめに御言葉があったと、キリストを言葉として紹介する
「マタイの福音書」・・・キリストの系図をまず語り、そのあとに残酷なヘロデの支配する時代に生まれて、そのために赤ちゃんたちが殺されて、母親たちは嘆き悲しんだというエピソードが語られる、
「ルカの福音書」・・・キリストの誕生によって、人々の間に喜びが広がっていく様子を語る。
 ただし、キリストが救い主であることを伝えようとする点においては同じである。


 知りませんでした。

 人々が、神とか仏とかひっくるめて、宗教というものにふっと心を惹かれたりするのは、世界に悲しみが充満しているときである。そういうものがこの世に全くなければ、神様も仏様もありえない。

 現代の悲しみに、宗教は対応できているでしょうか。

・キリスト教の中心になるのが、十字架と復活である。
 この中心となるものを、本当に身をもって体験しているのは、当時、社会の底辺で差別されて呻いていた女性たちである。
 キリストが十字架に磔られた時、のちの指導者になる男たち、ペトロなど弟子たちはみんな逃げてしまい、ユダヤ人を怖がって怯え隠れている。逆に社会的に人間的に痛めつけられていた女性たちは離れずに十字架の元にとどまり、復活を真っ先に体験した。
 男たちはのちに教会のリーダーになっていくが、彼らは人々の前に立つ前に、こういう女性たちのところへ行ってキリストのことを学ばなければならなかったのではないか。弟子たちは、彼女たちとキリストとの出会いを詳しく聞いて、キリストを深く理解できるようになったのではないか。
 この世の底辺に生きている人たちを支えたキリストの中に、真の光があると思う。

 人間イエスは、人々の、とくに世の中の底辺で苦しむ人たちの悲しみ、苦しみに寄り添いながら、愛の教えを説き、当時のユダヤ教社会の宗教的指導者と真っ向から対立し、ついには十字架に磔られて死んでいった。
 守旧派にとっては、イエスは自分たちの痛いところをズバズバついてくる憎らしい若造だった。その人物が死んですべてが終わったと思ったら、今度は死者の中から復活した。そして弟子たちを一つにまとめて、やがてそれがキリスト教という世界に広がる教団となっていく。


 この部分、すごくわかりやすく、かつ今まで知らなかったキリスト教の本質を教えてくれる文章です。

 当時のユダヤ教社会には「神は罪人を嫌われる。罪人と交わるものは穢れる。」というメンタリティが支配していた。そんな中で、イエスはつらい人生を歩んでいる人たちを、見て見ぬふりをつることができなかった。
 例えば穢れていると見なされていた、収税人マタイに声をかけ、彼らと会食をしたり、律法学者たちが見守っている中で、絶対に侵してはならないと思われていた、安息日の掟を破り、あえて病人を癒やしたりした。
 イエスが十字架に磔にされたのは、硬直した「神」という概念にこだわり、人間への温かなまなざしを失ってしまっていた指導者たちを、真正面から糾弾したからである。


 この部分を読んで、親鸞の悪人正機説を思い出しました。
 共通する考えがあると思います。
 このような世の中が続く限り、キリスト教ほか、宗教が必要とされるのでしょう。

・なぜカトリックの聖職者・神父は独身なのか?
・・・物欲・性欲・支配欲。これは人間が生きていくために必要な欲求である。そのために、また罪深い人間は、迷い、執着し、争ってしまう。独身制は、そうした欲望を断ち切ってすべてを神にゆだね、人生をキリストのように生きることを、基本的に理想としているから。
 一方、プロテスタントの牧師は結婚を認められている。

 日本の仏教でも、昔は皆、お坊さんは独身だった。
 俗世間を離れ、剃髪して仏門に入るとき不犯(ふぼん)の誓いをする。一生女性と交わらないというもので、妻帯しない掟になっていた。
 しかし多くの場合、それは形骸化されていった。
 親鸞は、その現状を嘆き、守れない掟に縛られて罪の意識を抱きながら生きるよりは、その形骸化された掟を乗り越えて、新しい出家のあり方を問うた。自ら恵信尼を妻西、新しい宗教者の生活を行った。


 う〜ん、でも日本では「自らの心身を厳しい修行の中に置く聖人」でなければ民衆からの尊敬は得られない、というイメージがありますね。

・「霊魂の暗夜」と「回心」
 (森氏が)修道生活に飛び込み、祈りを中心とした生活を送っても神は現れず、こころは無味乾燥という時期があった。カルメル修道士たちはそれを「霊魂の暗夜」と呼ぶ。
 仏教における、白隠禅師も罹ったという「禅病」というものがそれに相当すると思われる。頭で考えすぎて、強度の自律神経失調症に陥り、重病になってしまう。
 こころが神の方に向く瞬間が劇的に訪れることがある。カトリックではこれを「回心」と呼ぶ。神からそれて他のところに行っていたこころを、ぐるっと回すことによって、神と出会うという意味である。
 その瞬間は、それまで自分の力に頼っていた生き方から、神にゆだねて生きる生き方への転換である。
 (五木氏)それを「他力の風が吹いた」と表現している。それは「大いなるものに身をゆだねる」という考え方である。


・「原罪」について
 アダムとイブはエデンの園の禁断のリンゴを食べてしまった。
 これを「命令に背いた」ではなく「警告を無視した」と解釈すべきである。
 神は「善悪を知る木の実」に手を出すと危ない、と警告したのである。
 「善悪を知る木の実」とは、倫理道徳の善悪ではなく、自分の欲望や欲求を中心に、ものごとの善し悪しを決めてしまう“エゴイズムの実”、自分に幸せをもたらしてくれるものを善とし、そうでないものを悪とする態度に味をしめてしまうこと。
 「なんでも自分中心に物事を考えると不幸になる」という警告を無視したということ。


・キリスト教の“”救いとは? 
 キリストの手をしっかりつかむことと、キリストの心を生きること。
 (森氏が)信じている神様は、天国の門の前に出て、来る人来る人に頭を下げて、「こんなひどい世界と苦しい人生を与えてしまって申し訳なかった」と謝っている神様。
 遠藤周作は“裁く神”から“ゆるす神”へと書いた。ゆるすのでもまだ足りない、謝る神。


・キリスト教の「天国」とは?
 本質的には「神との愛の交わりの世界」、聖書的には「苦しみや悲しみや死のない世界」。
 歴史的に見れば、その背後には、ローマの弾圧があり,迫害に耐えている信者に励ましを与えようという気持ちが働いていたと思われる。
 『旧約聖書』には“楽園思想”がある。アダムとイブが置かれた最初の状態も、幸せな楽園だった。エデンの園に置かれた人間の役割は、園を守り耕すことであった。世界を混乱させ、働くことが苦労となるのは、人間の欲望と罪のせいである、というメッセージが聖書にある。
 キリストが出てくると、そういう楽園思想は背後に退き、「愛」という言葉が大きな意味を持つようになった。
 キリストは、死んだらどこへ行くか、という問いについて明確なメッセージを与えていない。キリストは、死後の世界について、愛を生きた者が永遠のいのちに与るとか、神と一緒にいる状態、という風に言っている(キリスト教には“輪廻”の考え方はない)。
 教会の絵にある煉獄は,教義の中から生み出されたもので、キリストの直接のメッセージではない。
 天国のイメージそのものは、初期のユダヤ教の時代から、変遷してきている。
 キリスト教がギリシャ哲学と結びついたときに、人間というのは、霊と魂、肉体と精神、そういう存在であるという人間観が一般化した。そこで天国とは、肉体の束縛から解かれた純粋霊(精神)が神と交わる世界というイメージができ、それが天国の説明となった。


 日本人の“死んだら天国へ行く”というイメージはどこから来ているのでしょう。
 肉体が朽ちて精神が浮遊し、その心地よい居場所、というイメージは、原始キリスト教にはなく、肉体と精神を分離したギリシャ哲学の影響があるのですね。
 仏教で“天国”に相当する言葉は“浄土”でしょうか。
 「ご冥福をお祈りします」という言葉は、“冥土”という暗い世界に落ちていく人に幸あれと送り出す意味になってしまいます。
 いろんな要素が入り交じって、現在我々が使っている「天国」がありそうですね。

 現在、宗教の魅力が衰えているのは、浄土思想・天国思想が衰微したからだと五木氏が指摘しています。
 しかし近年、日本であれば自然災害、中東では宗教・民族紛争でこの世の中に希望が見いだせないことがたくさん起きています。
 そろそろ宗教の出番でしょうか。

・悪人正機における五逆の罪
 悪人正機説には「但し、五逆を除く」という文言がある。五逆とは、
① 母を殺すこと、
② 父を殺すこと、
③ 聖者を殺すこと、
④ 仏の体を傷つけること、
⑤ 教団の和合一致を破壊し分裂させること、
 これらを犯した者を指し、その人たちは救われない。つまり悪人正機説は無差別救済ではなく、選択救済ということになる。
 除かれた人は、どこへ行くかというと、浄土の端っこの方の辺地に置かれて、そこで、かなり長い時間を過ごした後、ほんものの浄土へ行くことになる。


 “悪人”とはイコール犯罪者という意味ではなく、“煩悩に翻弄される我ら”という広い意味です。
 しかしその中でも選別がされていたことを初めて知りました。

・仏教における“愛”
 渇愛といって、何かに対する執着とか、こだわった偏愛という風に捉える。
 かなずしも肯定的には使われてはいない。この世のもろもろの事物への執着がそこオアら生じて、人の心を苦しめると考える。


・仏教における“慈悲”
 インドでいう慈悲は、慈と悲という別々のモノ;
(慈)マイトリーとかマイトレーアという言葉:ヒューマニズム、フレンドシップが近い。
(非)カルナーという言葉:思わず知らず漏れ出ずる、ため息のような、うめき声のような感情。


・聖書(ヘブライ語)における3つの“愛”
 ヘブライ語の愛は、目の前の人との関わり方にアクセントを置いて使い分けていた;
「ヘン」1回限りの関わり
「ヘセド」(=誠実)持続した関わり、相手と人生をともにしていくという、信頼感に基づいた関わり方。
「セダケー」誓いに基づく関わり方。
※ 聖書ははじめヘブライ語で書かれ、その後ギリシャ語で書かれ、その後アラビア語にも訳された。その過程で“愛”の持つ意味も微妙に変化していった。


・聖書(ギリシャ語)における“愛”
 聖書がギリシャ・ローマ世界に入っていったときに、ある意味で質的な変化を起こした。
 一方、当時のギリシャ世界では“愛”=「エロス」だった。エロスは自分を満たしてくれるモノ、自分を幸せにしてくれるモノを獲得したい・自分のモノにしたいという欲求である(今の日本で使う官能的な意味の「エロス」とは異なる)。真・善・美などの崇高なモノにあこがれて、自らを燃え上がらせ、高めていく原動力としてエロスを捉えていた。
 キリスト信者たちは、キリストが説いた“愛”を、エロスという言葉で表現すると、キリストのメッセージが誤解されると判断し、当時のギリシャではほとんど使われていなかった「アガペー」という言葉を使い始めた。
 「アガペー」は自分の幸せよりも、相手の幸せを求めて働きかけていく心の動き。
 エロスとアガペーは両極に位置する概念である。
 エロスの本質は、自分の幸せを求め、相手を自分のモノにしようとする所有欲であり、
 アガペーの本質は、自分を殺して相手を活かそうとする自己放棄である。
 「神は愛」というときには、自ら誓いを立ててまで、人間に関わり、人間を救おうとする神の姿を示すことになる。


 仏教における慈悲、キリスト教における愛。
 原点をたどると、現在我々がイメージしている内容と微妙に異なっていること、歴史的変遷の影響を受けながら変化してきていることに気づかされました。

 私は単純に「自分の幸せよりも相手の幸せを願う気持ちが愛」と思っています。
 大学生の時にサークルの先輩から教わりました。
「自分の幸せを達成したいのは恋、他人の幸せを願うのが愛、恋が愛になったときに結婚を考える」と。

・悪人正機は仏教とキリスト教共通の思想
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」とは、健康な人はちょっとくらい調子悪くても後回しでいいんだ、罪人(一番深い痛みを抱えて迷っている人)を最初に救うんだという思考。
 聖書の「ルカの福音書」にも「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私がきたのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」とある。


 悪人とは、犯罪を犯した人ではなく、煩悩に苦しめられる民、つまり私でありあなたである。

・官能的エロスに対する仏教とキリスト教のスタンスの違い。
 仏教はもともと根のところでバラモン的な、インド的なものとつながっているところがあるから、エロティシズムなどもけっこう含んでいる。
 キリスト教は、周囲のメソポタミヤ地方やギリシャ世界などの自由奔放な性というか、モラルの崩壊に対抗して、それのアンチテーゼとして教義をまとめていった経緯があるので、どうしてもエロティシズムと対極的なところにいたがる。


 エロスは人間が生きる上で必要なことですから、無条件に排除するとジレンマが生じます。
 世界の各宗教がこれをどう捉えてきたのか、興味があります。

・ヤンセニズム
 現代のキリスト教がかしこまりすぎているという印象を与えるのは、17世紀のオランダの神学者ヤンセンの影響が強い。ヤンセンはルネッサンスやその後の人文主義に対抗して、聖なる神を強調して厳しく生きることを説いた。このヤンセニズムがフランスで大きな影響力を持ち、それを受けた司祭たちが明治の頃に日本にやってきて伝道活動をしたものだから、日本のカトリック教会はみな品行方正で立派な人たちの集いみたいになってしまった。


 確かにこの雰囲気はあります。
 日本でクリスチャンというと「良家の子女」というイメージですね。

・聖書には多種多様な神の顔がある。
神はその視点により変幻自在、多様な側面を有している。人間は、人生において、いろいろな神の顔と出会う。
「光」
「愛」・・・こころのあり方に視点
「親」・・・人間を創造したという視点
「絶対と永遠」・・・この世界の存在と違う存在という視点
「“聖なる”存在」・・・汚れた、欲望に満ちたこの世界という視点


・旧約聖書には「神々」という表記がある
 つまり最初から一神教ではなかった。
 はじめはイスラエルの民の氏神様のような存在だった。列強により常に虐げられ、奴隷のような生活を強いられていた。イスラエルの民を守り、励まし、列強の国に災いをもたらす親神。
 当時のメソポタミアの土着の宗教や、他の国々の宗教の影響の元にあった民族神であった。それが少しずつ洗練され、さらに進んでイスラエルの民だけでなく、世界中の民をあまねく導き、支配する唯一絶対の神に発展していった。


 なるほど。

・マザー・テレサの愛
 カトリックでは、他の宗教に頭を下げるのは罪、葬儀さえも出席してはいけないという排他的な時代が長くあった。
 しかしマザー・テレサは生前、ヒンドゥー教の人が亡くなるときは、ヒンドゥー教のお経を唱えてあげて送っている。
 その根源にあるものは、人間の命は限りなく尊いという、キリスト教の教えであった。それを失うと、狭量なドグマ(教義・教条)に縛られた、原理主義に陥ってしまう。


・ヨーロッパの大航海時代の布教方法には3つの基準があった。
1.その国に権威者がいてその統治のもとに秩序がある→ その権威者のところへ行って許しを求めて宣教活動を行う。
2.識字能力も秩序もない地域→宣教師たちと兵士たちが一体となって、地域全体を強引にキリスト教へと導いて育てる
3.識字能力はあるけど権威者がいない地域→ 同上
 日本は1。
 中南米は2。中南米の人々が信じる宗教は、キリスト教にとって異教であり、悪魔の宗教である。だから破壊してもいいという乱暴な理屈を持って宣教活動を展開した。


 政治と宗教がタイアップすると、悲劇が生まれます。

・教皇ヨハネ・パウロ二世の謝罪
「中南米やアフリカへの植民地主義と結びついた宣教活動」「十字軍」「異端審問」「高位の聖職者たちの腐敗堕落」「自然科学への弾圧(例:ガリレオ・ガリレイの宗教裁判)」「ナチのユダヤ人弾圧に対して沈黙していたキリスト教会の態度」


 ポーランド出身の教皇は、ヴァチカン内部の調整より、世界平和を目指した賢人、という評価。

・ロシアがキリスト教を選んだ理由
 ロシアは起源1千年頃に、国としてキリスト教を採用した。彼らはギリシャ正教のキリスト教の教義よりも何よりも、あの荘厳なミサの美しさに魅せられてこれを選ぶことにした、と書いてある。


 宗教の教義よりも文化を取り入れたような印象。

・ゴスペルソング誕生秘話
 身体能力が発達していて、3分間お説教を聞いていられない人たちは、そのうちに貧乏揺すりしたり、必ずと言っていいほど体を動かしたりするので、説教者が彼らのリズムに合わせて、言葉にメリハリを付け、そしてメロディーを付け、そこからゴスペルソングが発生した。
※ 黒人教会のゴスペルソングはプロテスタント。


 文化の習合により宗教が受け入れられていく現象。

・九州に古い寺がない理由。
 江戸時代にキリスト教が禁止されて隠れキリシタンが発生したように、「一向宗禁制」で真宗を法律で禁止した。一向宗は「弥陀一仏」のみ信じる一神教的性格を持っていた(仏教学者の金子大栄は真宗を選択的一神教と呼んでいる)。殿様はその次になるので徹底的に弾圧され、獄門、拷問、さらし首などが行われ、そういう中で「隠れ念仏」といわれる隠れ真宗が生じた。南九州一帯の一向宗は、地下に隠れてその信仰を三百何十年守ってきた。真宗の寺はすべてつぶされたので、九州には古い寺がなかなかない。明治時代になり信仰の自由が回復し、地下に潜っていた一向宗の信徒が一斉に地上に上がってきた。

 
 そのときの政治になじまない宗教は弾圧される歴史的真実。

・キリスト教の始まりは女性の宗教。
 ローマ時代の女性たちは、男性の所有物であった。日々の生活は男性中心の中で抑圧され、女性たちは人間としての尊厳を見いだすことができなかった。そういう暗い時代の中で、自分たちのつらい、悲しい気持ちを託せるのはキリスト教しかなかった。
 キリスト教をしっかり受け止めた人々は、ほとんどが底辺でつらい生活を強いられていた人々だった。キリストは彼らに生きる希望を説いた。
 教会の原点は、必死になってキリスト教を求め続けた女たちの信仰である。


・蓮如が説いた“現世往生”(げんせおうじょう)
 蓮如が生きた時代は、地獄のような貧しい生活、飢饉とか、凶作とか、間引きとか、生き地獄の時代たった。浄土信仰ははじめのころ、“死んだら浄土へ行く”という教えだった。でも蓮如は、死んだら浄土へ迎えられるという約束がすでにされているということは、自分が今地獄に生きながらも、希望を持って生きることなんだからと、現世往生を説いた。
 蓮如は「死んだら」というだけじゃなく、死んだら行くところは、もうすでに約束されているんだから、あなたたちは、いま地獄の中にいるけれども、生きる希望があると説いた。


・仏教における女性
 高野山では「七生五衆」として、女性は罪深いと女人禁制だった。
 真宗が一番積極的に「女人往生」を説いたので、隠れ念仏の場合も信仰を支えたのは婦人層が中心であった。男たちの地獄よりも婦人たちの地獄はもっと深かった。真宗は女性も同じように往生できると説いた。


 おしなべて宗教は女性差別の傾向があります。
 男女平等を歌った宗教というのはあるのかな?
 一度調べてみたいですね。

・宗教に走る動機は、物質的飢えからこころの飢え(精神の枯渇感)へ変化してきている。
 昔のような物質的飢えというものがない今の時代に、神仏を信仰するとはどういうことか。
 今の日本社会では、物質的飢えにかわってこころの飢えが人々を深く傷つけている。
 オウム真理教などの新しい宗教がつぎつぎと日本社会に吹き出してくるのはなぜか。それまでの新しい宗教では、入信の動機が「貧しさ」「病」「人間関係のトラブル」と比較的具体的であったが、新・新宗教ではそれらが見えない。
 新聞記者が取材した結果、隠れた動機は「社会の中での人間の孤立」ではないかと指摘した。
 彼らは“得体の知れない孤独”に蝕まれていた。
 オウムの信者たちの多くは、経済的にも恵まれ、学歴にも恵まれている。一人一人はみな良い子で、親に心配をかけるようなこともしない。けれど、よくよく聞いてみると、彼らの過程の中に、親子の間で、人間としての心の深いぶつかり合いが欠けていた。
 つまり彼らのこころの内側には深い孤独感、孤立感があったが、それを互いにぶつけ合うことがなかった。オウムとの出会いを通して、孤独や孤立感を満たしてくれる何かを感じた。


 「貧しい国では人はパンのために死ぬ、富める国では人は孤独のために死ぬ」とは、マザーテレサの言葉です。
 何もかもお見通しだったのですね。

・孤独を解消することが信仰ではない。
 孤独を癒やす、仲間との連携を求めるという理由だけでは宗教でなくてもいい、社会運動でもいいはず。
 信仰について、親鸞は「阿弥陀如来という仏と、自分との一対一の向かい合いなのだ」と繰り返し言っている。個人が大きな連帯の和に属して孤独を解消することが信仰ではない。
 そういう意味では、新しい宗教団体は疑似共同体を作っているだけで、神と向き合う、信仰の核になるものが見えてこない、育っていない。
 神と自分、仏と自分という形を追求しているのではなく,単に集団を作ってその一員になりアイデンティティーを回復しているだけのように思える。


・近代社会を批判したフランスの研究書『宗教の復讐』
 合理主義に目覚めた近代社会は、宗教は教養のない人々の迷信のようなこととして軽視し、宗教の営みを政治の中枢から追い出した。
 しかし宗教を否定し排除した近代社会・近代国家は、経済的に人間を満たしても、人間を幸福にすることはできなかった。人々は近代社会の限界を知って、いま宗教を積極的に求めるようになった。
 現代人は、宗教団体に帰属することによって、落ち着きや安心感を求めようとしている。


・真宗は「仏との一対一の契約」
 親鸞の言う信仰とは、阿弥陀如来と自分との関係、いわば「仏との契約」ということ。信仰とは仏との一対一の関係である。
 だから親鸞自身は、父や母の供養のためとか、先祖供養のためとかに一度も祈ったことがない。
 「我は弟子一人も持たず」とも言った。
 彼は一生、集団や組織から離れて著述などに専念した人であり、教団としての新宗教団な成立しなかった。
 その後に蓮如という人物が出てきて組織を作っていった。
※ 仏陀は、仏教のおおもとで、サンガという僧が集団で学び修行する設備、僧房というか、僧院のようなものを作る。日本では祇園精舎などともいう。そして教団を造り、その組織を乱した罪は一番重いと叱っている。
 仏教が韓国を経て日本へ入ってくると、チベット仏教とも、中国仏教とも、韓国仏教とも違ってくる。親鸞に至っては、ブッダと相当違う、まさに日本仏教になる。そういう意味で、日本の仏教は正統的な仏教ではない。ないけれども、日本に仏教が根付いたのは、そのためだと思われる(ライセンス生産のようなもの)。


 日本仏教の特殊性を初めて知りました。
 親鸞は純粋だった、純粋すぎたのですね。

・神仏との関係が、実際に一対一の関係だったら、ブッダもキリストも、砂漠を永遠に流浪する聖者のような形でした生きられなかっただろう。

・教皇(ローマ法王)はキリストの弟子のペトロの後継者であり、彼のお墓の上に作られたのがヴァチカンである。
 教皇はキリストから天国の鍵を預かっている。
 ヴァチカンはキリストの弟子のペトロのお墓の上にできた国である。
 紀元64年、ネロ皇帝に迫害されて殉教したペトロの亡骸をヴァチカンの丘に埋葬したことがはじまりで、四世紀にペトロのお墓の上にサン・ピエトロ寺院が建てられた。中世の頃はローマ法王領、1929年にヴァチカンとイタリアの間にラテラノ条約が締結されてヴァチカン市国となった。


・韓国にキリスト教が広まった理由
 日本人はキリスト教文化に熱狂(クリスマスやバレンタインデー)するにもかかわらず、クリスチャンの数が韓国と比べるととても少ない。
 韓国のクリスチャンは朝鮮戦争以後、非常に増えた。
 韓国にキリスト教が入ってから二百年強、その原点は信徒が始めた活動であり、日本のように宣教師による宣教活動により教会が育ったのではない。
 韓国では、都市化が進んで、多くの人々が地方から都会に集まってきた時期にキリスト教がどっと増えたという事情がある。故郷を離れた人々が、心の支えを求めてキリスト教に入信した。
 日本のカトリックは明治時代に入ってきたパリ・ミッション系のヤンセニズムの影響を受けており、真面目・品行方正という性質がある。日本の社会に生きている一般の信者たちが、自分たちの心で信仰を育てるということが、全然されないままに来てしまった。
 逆に韓国の教会の指導者たちは、韓国の教会の問題の一つは、正確な教えを如何に浸透させるかにあると考えている。
 韓国のクリスチャンの人たちで家柄の良い家の子は、全部と言っていいくらい、アメリカに行きミッションスクールを出ており、“洋魂化”することに何の抵抗もない。
 しかし日本人は何千年続く天皇制に対する思い入れがあるので、“洋魂化”に抵抗がある。


 私も以前から「韓国ではキリスト教徒がたくさんいる」ことを不思議に思ってきました。
 この説明、頷けます。
 日本人は八百万の自然崇拝が基本ですが、それを習合しながら布教した仏教は根付き、それを否定して強引に布教しようとしたキリスト教と明暗を分けたのですね。
 欧米では自然は仲良くするものではなく、対峙するものと考えられているようですから。

・宗教の広がりは文化の習合
 ギリシャ・ローマ文化の中で育ったカトリック教会には、合理性と秩序を大切にするメンタリティが流れている。でも人間というのは合理の柱の中で支えられて生きているわけではなく、もっとどろどろしたもの。ローマを中心とした教会の基準を、全世界の教会のグローバル・スタンダードにしてはいけない。
 アフリカの教会では、人々はのびのびと、踊りまくるようなミサをしている。アメリカの黒人社会のキリスト教ではゴスペルのような音楽とダンスの影響が大きい。
 日本で仏教が広まったのは神仏習合をいう手段を選択したからであり、欧米系のインテリからは土俗的な信仰だと徹底的にやっつけられるが、習合しない文化というものは存在しない。


・アメリカ大統領就任式はキリスト教の儀式である。
 最初に賛美歌が歌われて、最後に「イン・ゴッド・ウィ・トラスト」(我らは、神を信ずる)という。
 バイブルの上に手を置いて宣誓する。
 アメリカの民主主義は、神の保障のもとに成り立っている民主主義であり、紙幣にまで「イン・ゴッド・ウィ・トラスト」と印刷されている。アメリカの司法も、行政も、全部、神に対して誓うことから始まる。
 日本人は戦後、アメリカ文化を学んだつもりでいて、実はアメリカ文化というものが、神という大地の、根のところから伸びて咲いた花であると言うことを全く考えずに、茎から上をちょん切って自分のものにしようとしてきたことがよくわかる。
 アメリカという国は、過去の歴史を共有しない人々が作った共同体である。共有する過去の歴史とか、伝統、文化がなくて、神を中心にまとまった国である。しかもその神は、同じキリスト教でも、当時の保守的なカトリック教会、英国国教会に反発して新大陸にやってきたプロテスタント教会が理解する神である。
 神の名でひとつにまとまったものだから、どんなときにも神の名を使わざるを得ない。一方、ヨーロッパ諸国は、歴史の体験から政教分離を学び、神の名で政治を行い人々に働きかけていくことの恐ろしさを肌で学んできている。ところが、アメリカにはそれがない。神の名で諸外国に軍隊を送ってしまう怖さがある。
 イスラム教徒のジハードをテロリストと呼ぶ彼らアメリカ人のこころの中に、同じように、これはキリストの名によるジハードだ、聖なる戦いだ、自由と民主主義を回復するんだ、抑圧から人々を肺胞するんだ、という気持ちがある。


 この点、アメリカ文化・アメリカ人を理解するときに大切な視点だと思います。

・本人が、こころから自分の信仰を大切にしていなければ、他人の信仰を尊重することはできない。

 他人の信仰を尊重できない現在の世界情勢、問題は自分の中にあるのでしょう。

・古代の諸帝国から圧迫されたイスラエル民族は「自分たちは決して見捨てられてはいない、神だけが私たちに声をかけてくれる」というかけがえのない経験を書き残したものが聖書である。

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