知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

伊勢の海女さんは現在1000人いる。

2017年05月06日 08時26分12秒 | 民俗学
新日本風土記〜伊勢志摩の海
NHK-BS、2014年11月21日 放送

たまったTV録画を、GW中につらつら見てます。
今回は、伊勢の海を扱った番組。

冒頭に伊勢の海で働く海女さんが登場し、「伊勢の海には現在も1000人の海女さんがいる」とアナウンスされて、私はその数に驚きました。
海女さんって、もう絶滅危惧種の職業と思い込んでいたものですから・・・。
現実は、やはり高齢化が進んでおり、紹介された20代の新米海女さんは4年振りとのことでした。

海女さんがはちまき状に頭に巻く白い手ぬぐいに「☆印」が書いてありました。
「セーマン様」という神様で、これは陰陽師の阿倍晴明に由来すると説明されていました。

現在の海女さん達は、ウエットスーツに身をくるんで潜っています。
潜る前には“海女小屋”で体を温めます。
夏でも薪をたき40℃以上の部屋で1時間談笑してから潜るそうです。
昔々の写真では、海女さんは裸でした(土地による?)。
体が冷えて大変だったでしょうね。

<内容紹介>
 日本有数のリアス海岸に大小600の島々が浮かぶ、伊勢志摩の海。ここは、たくましい女性たちが活躍する、いわば「女性が主役」の地である。全国のおよそ半数、千人の海女が暮らし、彼女たちが獲る鮑や伊勢エビは、神の食事「神饌(しんせん)」として古くから伊勢神宮に捧げられてきた。
 豊かな恵みをもたらす海は、一方で危険と隣り合わせ。この地に生きる海女や漁師は、いまも篤い信仰心と強い結束を保ち続けている。鳥羽市おうさつ相差では、海の事故で海女や漁師が亡くなると、海岸沿いに地蔵を建てて弔う風習が残されている。また、島ごとの独特な風習も受け継がれ、伊勢湾最大の離島・答志島では、15歳になった男子は血縁関係のない家と義理の親子関係を結び、寝泊まりをしながら共同生活を送る。
潮騒の響く伊勢志摩の海を舞台に、伝統を受け継ぐ人びとを描く。



<オムニバス項目>
●海は女が“主役”...
  キャリア40年、伊勢エビを狙うスーパー海女。元イルカトレーナー、海女になり初めての夏。
●神様、仏様、“セーマン様”...
  伊勢神宮の神様、仏様、そして陰陽道の魔除け「セーマン」。漁の安全を願う海女の篤い信心。
●3人の女神様...
  女神の里帰りを祝う奇祭、女神のご神体を持ち回りする島、島に降り立った吉永小百合さん。
●“寝屋子”の島...
  答志島の男子は、15歳になると親が増える。「寝屋子」と呼ばれる不思議な風習。
●寝屋子の島のお盆...
  寝屋子たちの久しぶりの再会。集落の人々が一斉におこなう墓参り、「火入れ」。

<癒やしの伊勢志摩>
 はじめまして。「伊勢志摩の海」を担当した名古屋局の馬場と申します。
 海女、伊勢エビ、アワビ、美しいリアス式海岸、どこに行っても何を食べても魅力的な伊勢志摩ですが、私が今回初めて訪れ魅了されたのは離島、神島です。鳥羽市から定期船で40分。それだけでも旅情をそそられますが、その魅力はやはり「癒し」。とても穏やかな空気が島中に流れています。  唯一の集落は急勾配の斜面にあり、島のみなさんは、みな徒歩移動。車をほとんど見かけない事が大きな一因かも知れません。
 集落で食事や散策をのんびり楽しんだら、ちょっと足を伸ばして「監かん的硝てきしょう」と呼ばれる展望台に行ってみましょう。(*監的硝の説明は、難しいので割愛させて下さい、、、すみません。)ここは映画「潮騒」のクライマックスシーンの撮影が行われた場所。吉永小百合さん演じる海女の初江の台詞「その火を飛び越してこい!」で一躍有名になりました。
 ここから眺める海の景色は、ちょっと壮大です。対岸の愛知県伊良湖岬まではわずか2㎞。この狭い海峡を、自動車コンテナ船、原油タンカー、LNG船など超大型船舶がひっきりなしに行き交います。伊勢湾の入り口にある神島は、背後に四日市や名古屋、豊田など大工業地帯を抱えているためです。でも、日本を支える大型船舶も、どこかのんびりと見えてしまうのは、やはり神島だからかも知れません。
 都会に疲れた方、仕事に行き詰まった方、癒しが欲しい方、是非一度、神島へ!


それから、答志島の“寝屋子”制度も登場。
昔は子どもの成長を見守りサポートするシステムが地域に根付いていたのですね。
日本が失ってしまったよき伝統の一つ。
かなり前に、『新日本紀行』で見たことあったなあ・・・検索したら(↓)を見つけました。



■ 新日本紀行「現代若衆宿 ~三重県鳥羽・答志島~」
 30分/1970年(昭和45年)
 三重県鳥羽市答志島(とうしじま)では、中学校を卒業した若者が、結婚して一人前になるまで、他所の家で共同生活をする、「若衆宿」と呼ばれる慣習があった。
 若者たちは、宿の主人と杯を交わし、生涯義理の親子として付き合っていく。先輩達からは、日々の生活の中で、島の伝統や一人前の男になるための作法を学ぶ。
 この年もまた、新たに11人の若者が若衆宿で生活を始める。その一方、一人の若者が島の女性と結婚し、若衆宿から独立する。
 番組は、当時15ほどあった答志島の若衆宿とそこに暮らす若者たちの姿を記録していく。
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