知らない世界へ帰りたい(日本探求)

自分の祖先はどんなことを考えていたのか・・・日本人の来し方、行く末を読み解く試み(本棚10)。

「被災農家を救え 若きビジネスマンが挑んだ農業再生550日」(NHK-ETV)

2012年11月18日 07時34分53秒 | 震災
2012年10月28日放映。

番組紹介
東日本大震災で国家の無力さが露呈したとき、農業の再生に立ち上がったのは、被災地に縁もゆかりもない一人の若きビジネスマンだった。
 西辻一真さん(取材当時29歳)。2007年に京都で農業ベンチャー•マイファームを起業。会社の理念に掲げたのは、農家が耕作をあきらめた農地「耕作放棄地」をなくすこと。京都大学農学部で土壌学や経営学を学んだ知識を活かして「耕作放棄地」を「体験農園」へと作り変えるビジネスモデルを考案する。起業から4年で体験農園の数は60を超え、年商は2億円近くに達する。
農業界に新風を吹き込んできた西辻さん、震災直後から挑んだのは、津波の被害を受けた塩害農地の再生。震災から半年もたたないうちに宮城県岩沼市でトマトの栽培に成功させ、立て続けに仙台市でキャベツ、岩手県陸前高田市でハツカダイコンと成果を上げる。多くのマスコミで西辻さんの活躍は取り上げられ、被災地の農業を救う救世主と称されるようになる。
 そして今年、被災地を回り続けていた西辻さんは、一向に変わらない農家の暮らしをなんとか出来ないか模索を開始する。「農地の再生」から「人の営みの再生」という次のステージへの挑戦だった。
 舞台となったのは宮城県亘理町。日本有数のブランドイチゴの産地として知られていたが、震災以降、被災した農家はガレキ拾いのアルバイトで生計を立てていた。彼らが再び農業に歩み出し、昔のような営みが取り戻せるよう、西辻さんは独自のプランで勝負をする。
 しかし、立ちふさがったのは被災地が抱える厳しい現実。一向に進まない行政の復興計画。そして、思いもよらない農家の反発。
 もがき苦しみながら「復興」という言葉を信じて挑み続けた若きビジネスマンの550日。被災地の農業再生に賭ける日々を追った。


 震災で農業をあきらめかけていた人々をサポートしようと自らの身を削って活動したビジネスマンの奮闘記です。
 復興計画を立てたものの予算が下りなくて、自らの会社から資金を調達してしまう彼・・・「ああ、それをやっちゃおしまいなのに」と感じましたが、その後の経緯は予想通り悪循環に陥り、彼は自ら設立した会社の社長の座を追われてしまいました。そんな挫折も彼を強くしてくれる肥やしとなり、被災農家とともに「産みの苦しみ」を描く内容でした。

 彼の活動に敬意を表するとともに、復興予算の使われ方に改めて疑問を感じました。
 復興計画を提出しても、予算が下りるのは一部に過ぎません。

 しかし、先日別のNHK番組「NHKスペシャル 東日本大震災 『追跡 復興予算19兆円』」(動画はこちら)ではその1/4が震災とは直接関係ない事業に割り振られている実態が報告され、愕然としました。
 その後国会でも議論されるようになり、仕分けが始まっことは皆さんご存じの通りです。

 若者の夢を国がつぶしている例を見る羽目になり、残念です。
 消費税を10%に上げたら、ちゃんと見張っていないと虎視眈々と狙っている政治家・官僚・法人に持っていかれそうです。
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