巨樹に魅せられて

巨樹巡りを趣味としていますが、気がつくと神社巡り。その周辺の話題もココに書き留めています。

木々は会話し複雑な社会生活を送っている(らしい)

2018-01-21 08:21:38 | 
 森の中の木々は生存競争をしているだけではなく、ネットワークを形成して持続性を維持しているという、驚きの記事を紹介します。

※ 下線は私が引きました。

「木々は会話し複雑な社会生活を送っている」と専門家、私たちは木々の言葉を理解できるのか?
2018年01月01日:Gigazine
 これまで多くの人が「木々は光や場所を求めて生存競争をしている」と考えてきましたが、近年の研究によって木々はハブとネットワークから構成される複雑な社会生活を持っており、互いにコミュニケーションを取り協力しあって生きていることがわかってきました。木々が使う「言葉」とはどういうもので、どうすれば人間が理解することはできるのか?を複数の科学者や専門家が説明しています。

A biologist believes that trees speak a language we can learn — Quartz

 言葉を話すのは一部の限られた生き物だけであるとこれまでは考えられてきましたが、近年になって「木々は会話を行っており、人間はその言葉を学ぶことができる」という主張が生物学者や生態学者から主張されるようになりました。例えば、「ミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球」の著者であり生物学者のデヴィッド・ジョージ・ハスケル氏は「木々のネットワークつながりはコミュニケーションを必要とし、言葉を生み出すものです。そして自然のネットワークを理解するにはまず、木々のおしゃべりに耳を傾ける必要があります」と語っています。
 上記のような概念は都会で生まれ育った人々には理解が難しいところですが、ハスケル氏によると、エクアドル・アマゾンに住むワオラニ族には、自然のネットワークの特性や生きとし生けるものはコミュニケーションを取っているという発想は当たり前のことだとのこと。そのため、ワオラニ族の言葉の中にも木々と周囲のものとの関係が反映されているそうです。
 例えば、多くの人は「セイボの木」を見た時に「セイボの木」として表現しますが、ワオラニ族は「セイボの木が枯れている」という言葉の使い方をしません。彼らは木々について表現する時に「あのツタに覆われているセイボの木」「黒いキノコと藻が多いセイボの木」という言葉を使い、単なる「セイボの木」という言葉遣いは存在しないのです。個々の「種の名前」が存在せず、周囲の草木との関わりあいなど、生態学的な背景なしに名前を呼ぶことがないので、言語学者はワオラニ族の言葉を翻訳する時に苦労するとのこと。このように、木々が生き物として周囲の人間や他の生き物たち密に関わっていると認識しているワオラニ族は「木は切られる時に叫び声をあげる」「木々を痛めつけると人類によくないことが起こる」という、私たちの多くが否定してしまうであろう考えを自然に受け入れることができます。
 また、森について30年間研究し続けてきた生態学者のスザンヌ・シマード氏も「木々は言語を持つ」というコンセプトを当然のものとして受け止めています。
 2016年6月にシマード氏はTED Talkに出演して木々の会話について語っており、ムービーはYouTubeで25万回、TED Talkの公式サイトでは250万回も再生されています。以下のムービーから日本語字幕付でプレゼンの内容を見ることが可能です。

How trees talk to each other | Suzanne Simard - YouTube

 シマード氏はカナダ・ブリティッシュコロンビア州の森の中で育ち、大学で森林学を学び、卒業してからは伐採産業で働いていました。しかし、木々を伐採することに抵抗を感じだしたことから大学に戻って木々のコミュニケーションについての研究を開始。2017年現在はブリティッシュコロンビア大学で生態学を教えつつ、「木々は地面の下で菌類によるネットワークを作り、互いにコミュニケーションを取り影響しあっている」という内容の研究を行っています。
 シマード氏の研究で明らかになったのは、木々の根には特有の構造を持った菌根という共生体が存在し、この菌根によってネットワークを形成することで同種の樹木だけではなく異なる樹木間でもコミュニケーションが取られているということ。科学的に説明すると、木々は炭素・窒素・リン・水・防御信号・アレル化物質・ホルモンなどを言葉として「会話」をしているとシマード氏は語っています。木々が生存競争を行っていることは明白ですが、競争だけでなく「お手伝いしましょうか?」「少し炭素をわけてくれませんか?誰かが私の上に布をかぶせて日陰になっているのです」といったような協力もしているのです。
 そして木々の集合体にはハブとなる「母なる木」が存在し、ハブとネットワークによって森林は複雑なシステムを形成しています。ほ乳類の母親と同じように、「母なる木」は子どもたちを自分の保護下に置き、菌根ネットワークを広げ、自分の子どもたちには地下で多くの炭素を送ります。また、自分の根が広がりすぎないようにして子どもたちが根を伸ばせる場所を作るとのこと。そして、この「母なる木」が何らかの理由で痛手を負うと森は元に戻れなくなります。森の複雑なシステム自体が崩壊してしまうのです。
 シマード氏はムービーの中で「森についての考え方を変えて欲しいと思っています。地面の下は別世界になっていて、木々をつなげ、コミュニケーションを可能にし、森を1つの有機体のように活動させています。まるで知性を持った有機体みたいに」と語りました。
 山林学の専門家であり世界的ベストセラー「樹木たちの知られざる生活: 森林管理官が聴いた森の声」の著者でもあるペーター・ ヴォールレーベン氏はドイツの古いカバ森林を管理していて、シマード氏らと同様のことに気づいたといいます。The Guardianのインタビューによると、ヴォールレーベン氏も500年以上続く森を管理することで、木々が複雑な社会生活を送っていることに気づいたとのこと。樹木が根を介して砂糖液を隣の木に送っている様子を見て「私は『木々は光や空間を求めて互いに競争している』と学びましたが、正反対のことを目にしました。樹木はコミュニティーのメンバーを生かそうとしているのです」と語っています。
 食べ物を確保し、住む場所を提供し、きれいな水と空気を与えて、多様性を生み出しくれ、貧困を撲滅し、気候変動を緩やかにしてくれるなど、数々の問題にとって森は重要な要素です。ハスケル氏は木々のことを「生態学の哲学者」と呼んでおり、複雑なネットワークを管理するコミュニケーションとつながりの達人である木々の会話に人々は耳を傾けるべきだという考えを示しました。
 歴史的に見て文学や音楽はマツの木のささやき、枝の落ちる音、木々のさざめきなどを反映しており、多くのアーティストたちは「木々の言語」という言葉を使わずに根本的なレベルで木々の会話を理解してきました。私たち人間が木々の言語を理解することは可能であり、もし理解することができれば「自分のいる場所から動かずして地球上に種を繁栄させる方法」を木々から学べるはずです。

伊勢神宮〜光降る悠久の森に命がめぐる

2018-01-06 15:11:36 | 
 伊勢神宮を扱ったドキュメンタリーですが、神さまの話ではありません。
 神宮の森(神宮宮域林)で営まれる命にスポットライトを当てた内容です。

 一般に神社の境内は“神域”とされ、樹木の伐採は禁じられています。なので、伊勢神宮境内には樹齢600年の杉が林立しています。
 伊勢神宮の森は世田谷区と同じ広さがあり、その中では2000年もの間、人の手が入らない原生林の営みが続いている奇跡の森なのです。
 そんなわけで宮域林にしかいない動植物も存在し、名前の頭に「イセ」と付きます。
 
 私が興味深く視聴したのは3つ。

1.サンコウチョウの子育て
 サンコウチョウは美しい声で鳴き、オスは長い尾を入れると45cmもあるそうです。
 春に飛来し、繁殖期を経て秋には子どもたちを連れて南の島へ帰って行きます。
 私が住む北関東の里山にも生息し、バードウォッチャーが通い詰めています。

2.粘菌の生態
 その昔、南方熊楠が研究した粘菌。植物ですが、1時間に数cm移動する能力があり、また胞子を飛ばして繁殖することもできる、不思議な生き物。その様子をずっと撮影したフィルムを早送りで見ることができました。貴重な体験です。

3.台風は森林再生のきっかけになる
 台風による突風に耐えきれない老木は倒れてしまいます。すると、そこにポッカリ空間ができます。そのタイミングで、今まで光が届かなくて成長できなかった木々が育ちはじめ、数十年後には何事もなかったように森が再生されているのです。
 倒れた老木はその生涯を終えたと思いきや、そうではありません。森の生き物たちのえさとなり、住処となって
貢献し続けるのです。

■ ワイルドライフ「伊勢神宮〜光降る悠久の森に命がめぐる」
2016.5.17:NHK-BSプレミアム
★初回放送は2013年
 平成25年、20年に一度の“式年遷宮”を迎える伊勢神宮。神社の背後には、東京ドーム1200個分、世田谷区に相当する広さの森がある。神の鎮座から2000年。神宮の森の多くは、長い間、人の出入りを禁じ、守られてきた照葉樹林、原生の姿をとどめる神域の森だ。クスノキ、シイノキなどの巨木が空を覆い、光が届きにくい林床にはコケやシダが繁茂する。
 その森に、光が差し込む不思議な空間が点在する。雨風などで倒れた巨木が周囲の木々を倒し、森に穴を開けたのだ。この“光の空間”は“命の循環”の舞台。倒木はシロアリやキノコなどによって分解され、その栄養を糧に若木が成長する。草が芽吹き、昆虫が集まり、ニホンジカなどの生き物も集まってくる。こうして力強く命が循環し、木々が若返る姿に、先人は神の力を感じてきた。“式年遷宮”は、20年に一度、神が新しい社に移り、宿る環境を若返らせる祭祀(さいし)。その原点とも言える営みが、照葉樹林にあるのだ。



 今回、2年にわたる取材を許された。神宮の祭祀などを描いた番組は数々あるが、森の自然を長期にわたって撮影したのは初めてだ。“光の空間”で繰り広げられる“命の循環”を中心に、聖なる蝶(ちょう)・ミカドアゲハの誕生や清流・五十鈴川(いすずがわ)の水中、森を優雅に舞うサンコウチョウの子育て、森林性のホタル・ヒメボタルの大発光、倒木の上でキノコやバクテリアを食べて成長する粘菌など、最新の機材を駆使して、神秘的な命の営みと荘厳な神の森の素顔を描きだす。
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<フィールドリポート>
 伊勢の神宮は、いつ訪れてもすがすがしい所です。巨樹に囲まれた境内には凛(りん)とした気が満ちています。今回の撮影の舞台は、内宮の背後に広がる「宮域林」と呼ばれる神宮の森でした。山の頂から初めて森を見たときは息をのみました。見渡すかぎり続く森は、自然林と式年遷宮のために育てているヒノキの森がほどよく調和しています。その森の広さが東京の世田谷区と同じと聞いてがく然。一般の立ち入りは制限されている森なので、どこにどんな生きものがいるのかもよくわかりません。どこから手をつけてよいのやら・・・。取材は正に手探りで始まりました。
 試行錯誤しながらもいろいろな分野の専門家のアドバイスもあって、水辺と森ですみ分けている2種類のホタルや清流・五十鈴川(いすずがわ)の水中、サンコウチョウの子育て、不思議な粘菌の生活など、さまざまな生きものの暮らしぶりをかいま見ることができました。
 森の中には時には危険もあります。マムシを踏みそうになったり、ハチに追われたり、ダニにたかられたり。ヤマビルにたっぷりと血を吸われたり・・・。それでも全く苦にならなかったのは、日々何に出会うかわからずにワクワクする、この森の魅力のおかげだったのだと思います。
 今回はまた、生きものだけではなく、神宮に関わる人々も取材しましたが、それは大変興味深いものでした。神にささげる米や塩、織物などを1000年前の作り方そのままに今も行っているのです。世の中がどんなに変わろうとも日々粛々と続いている神宮の日常にただただ感心。私たちの日常とは異なる時の流れに心打たれました。


 検索して知ったのですが、ゲンジボタル/ヒメボタル映像を撮影したのは動物写真家の小原玲さんのようですね。

北山杉の秘密

2016-01-23 06:44:06 | 
2016年1月に放映された「素顔に会える冬の京都 A to Z」(NHK-BS)の中で触れられていた豆知識をメモしておきます;

・600年の歴史を誇る。
・産地の北区大森は年間を通して気温が低く、冬は冷たい「北山時雨」と呼ばれる雨が続く。
・寒さで抑制していじめて育てる、わざとゆっくり成長させる特殊な林業。
・密集させて育てるのが特徴で、伐採までに約40年(ふつうの杉は20年)。
・その結果、年輪の詰まった丈夫な材木が生みだされ、床の間の柱などに使われる。
・仕上げは代々女性達の手によって行われ、使うのは「磨き砂」と呼ばれる柔らかい粘土状の砂、丹念に磨くことにより艶を引き出す。




 北山杉というと、細くてまっすぐに伸びる木々が並ぶというイメージがあります。
 ちゃんとした理由があるのですね。

 今から約30年ほど前、京都の町を歩き回ったとき、バスに乗り北山杉も見に行きました。

 また行ってみたいなあ。

「第28回巨木を語ろう全国フォーラム香川・小豆島大会」

2015-09-05 06:31:19 | 
 昨年は群馬県で行われました。
 参加すべく車で向かった私ですが、途中トラブルに遭い到着できず・・・残念。
 今年は小豆島かあ。行けないなあ。

■ 巨木の魅力、再発見へ/小豆島で全国フォーラム
(2015/09/03:四国新聞)


樹齢1500年以上と推定されるシンパク=香川県土庄町上庄


国指定天然記念物の「誓願寺のソテツ」=香川県小豆島町二面


 10月31日と11月1日に小豆島で「第28回巨木を語ろう全国フォーラム香川・小豆島大会」を開催する実行委員会は参加者を募集している。島内の巨木を巡るバスツアーと、専門家の講演や地元住民の事例発表があるフォーラムを通じて、地域に根付いた巨木の価値を見つめ直してもらう。
 バスツアーは2日目の11月1日に実施する。土庄港を発着点とする二つのコースを設定し、樹齢1500年以上と推定される宝生院のシンパク(特別天然記念物)、誓願寺のソテツ(天然記念物)などの巨木や、紅葉の時季の寒霞渓などを訪れる。参加料4千円(昼食付き)。定員は計100人で、応募多数の場合は抽選となる。
 初日の10月31日は午後1時から、小豆島町西村のサン・オリーブでフォーラム「巨木を育む~島の自然と人と~」を開く。香川大の増田拓朗名誉教授が「巨樹の生育環境について考える」と題して基調講演するほか、島内の小学生ら4組が大木や自然を守る取り組みを発表する。参加無料。定員は先着200人。
 県内で20年ぶりの開催となる小豆島大会は、県や小豆2町、両町の関係団体などでつくる実行委が運営する。参加の申し込みは、はがき、ファクス、メールで10月9日まで受け付ける。申し込み、問い合わせは県みどり保全課内の実行委事務局〈087(832)3462〉。


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2015-09-05 06:21:06 | 
 山形県で大きなブナが発見されました。
 京都北部にある伏条台杉(ふくじょうだいすぎ)と形が似ています。主幹は伐採され、複数の側幹が伸びたパターンですね。
 実際に見てみたいけど・・・遠いなあ。

■ 幹回り10.3m 日本一のブナ確認
2015.9.4:河北新報

幹回りが10.3メートルあった最上峡のブナ


 山形県戸沢村の最上峡にあるブナについて、新庄市の最上山岳会のメンバーが3日に幹回りを計測し、10.3メートルでブナとしては日本一の巨木と確認した。
 会長の坂本俊亮さん(63)によると、環境省が公認する全国巨樹・巨木林の会のデータと照合した結果、これまで最大の仙北市白岩岳のブナ(幹回り8.6メートル)を上回った。
 推定樹齢300年で、高さは28メートルある。計測地点(地上1.3メートル)から上に大きなこぶがあり、太い幹が8本も枝分かれしている。伐採された後、こぶ状に広がったタイプという。
 自生地は戸沢村草薙の国道47号沿いから20分ほど入った山の中腹で、さらに上には「幻想の森」と呼ばれる杉の巨木群生地もある。
 坂本さんは「ブナは広葉樹の代表樹種で、直幹系とこぶが奇形になったタイプがある。こぶ状型でも10メートルはすごい。日本一として全国巨樹・巨木林の会に登録申請する」と話している。

「知床 ヒグマ運命の旅」

2014-08-13 18:05:03 | 
NHKスペシャル「知床 ヒグマ運命の旅
2014.8.3放送



<番組説明>
 北海道・知床で、4年間にわたりヒグマたちを記録し続けた膨大な映像を、詳細な調査に基づいた血縁関係などから紐解く、かつてないリアルなヒグマたちの物語。
 30頭以上が暮らすヒグマ密集地帯、知床・ルシャの渚。特別保護地域に指定されたここは、日本に唯一残されたヒグマの楽園だ。私たちが、生後半年の若いオスの兄弟と、この楽園に君臨していた老齢のオスの“王者”を中心に撮影を始めたのは、2010年秋。その2年後、楽園を悲劇が襲う。夏の海水温の異常な上昇によって食料となるカラフトマスの遡上が遅れたことで、次々とヒグマが餓死していったのだ。生まれたばかりの子グマ、そして母グマ。弱いものから命を落としていった。私たちが追っていたオスの兄弟は、母グマの決死の行動などでかろうじて命をつなぎ、老齢の“王者”も危機を乗り越えた。しかしこの苦難は、3頭のヒグマにとって、運命の旅の始まりに過ぎなかった・・・。
 楽園を旅立たなくてはならない若いオスグマの“掟”、“王者”に忍び寄る政権交代の時。やがて3頭は、それぞれに逃れることのできない過酷な運命を歩んでいく。


 前項の星野道夫さんはクマに襲われて命を落としました。
 なんとなくクマは悪者、恐ろしい動物というイメージがありますが、弱肉強食の世界でクマが生き抜く大変さを丁寧に取材した番組です。

 クマの世界では生まれた子どもがオスとメスでその運命が大きく異なることを知りました。
 メスは地元に残り、成長していずれ子どもを生み育てるサイクルに入ります。
 一方、オスは自立して弱肉強食の世界に旅立つことになります。

 そして、取材対象のクマは二匹ともオスでした。

 2歳になると母は子どもに噛みつき自立を促す姿が映し出されました。
 放り出された子グマ・・・まず、自分で餌を取れなければ生き残れません。
 次に、強くなって自分の居場所を見つけなければ山で生き残れません。
 そこではじかれたクマは、人里に姿を現し餌を探すことになります。
 そして危険と見なされると人間に始末されてしまうのでした。



 取材対象のオスのクマの兄弟は、残念ながら二匹とも成獣になる前に命を落としました。
 生き残るには弱かった。
 逆に言えば、二匹より強いクマが生き伸びて強い遺伝子を繋ぐことになることになります。
 一言で云えば“自然淘汰”。
 シンプルなルールが支配する自然界をあらためて知らされた内容でした。

星野道夫「ALASKA~星のような物語」

2014-08-07 14:10:46 | 
ALASKA 星のような物語
NHK、2006年制作
写真家、星野道夫を扱った番組。



番組内容
アラスカを撮り続けた写真家・星野道夫。彼の作品の舞台をハイビジョン映像で収め、星野が遺(のこ)した撮影日誌から選んだ言葉で、偉大なる業績をひも解いていく。
詳細
アラスカを撮り続けた写真家・星野道夫。享年43。彼の残した写真と文章は、今も、人々の心を捉える。星野はいかにして作品をつくっていたか。それを探るために、十か月におよぶアラスカロケを行い、作品の舞台を映像で収めた。クマの親子、カリブーの大群、クジラ、氷河、花、荒野に降る雪、四季折々の大地…。残された文章と日誌から、星野道夫の足跡をひも解いていく(2006年の再放送)








彼の自然を見るまなざしが美しく厳しい映像となって迫ってきます。
そう、美しいだけではなく「生きる営み」を捉えた瞬間が切り取られて感動を呼びます。

印象的だったのは「一番お前に会いたかった」というハイイログマ(Grizzly Bear)。
夏にサケが遡上してくるところを口で捕まえて食べ、冬に備えます。
たくさんサケがいるときは、一番栄養のある頭部分と卵以外は食べないとのこと。
驚きました。
人間が一番おいしく感じる身部分には見向きもしないのです。

(しかし後年、この確信がクマに襲われて命を落とす悲劇の伏線となってしまいました)

それにも増して、研ぎ澄まされた珠玉の言葉の数々が素晴らしい。
以下は、番組ないで紹介されたフレーズ集です;
※ 引用は撮影日誌他、主に「ALASKA~星のような物語」「長い旅の途上」からのようです。


時々、遠くを見ること。
それは現実の中で、悠久なるものとの出会いを与えてくれる。



遠く離れていることが
人と人の心を近づける。

人の心は深くそして不思議なほど浅い。
きっと、その浅さで、人は生きてゆける。



一年に一度、
名残惜しく過ぎゆくものに、
この世で何度めぐり合えるのか。
その回数を数えるほど、
人の一生の短さを
知ることはないのかもしれない。
 (『長い旅の途上』より)



厳しい冬の中に、
ある者は美しさを見る。
暗さではなく、光を見ようとする。
それは希望と言ってもよいだろう。
 (『長い旅の途上』より)



人間のためでも 
誰のためでもなく
それ自身の存在のために自然が息づいている

そしてこの土地が
自分ではなく
このクマに属していることを知る

本当の意味での野生
原始自然というものを
ぼくは見たかった



めぐる季節、
人の一生、
そして大いなる自然の秩序。

ずっと続いてきて
これからも続いていく。
その単純な営みの繰り返しがもつ深遠さ。

人間の生きがいとはいったい何なのだろう。



何も生みだすことのない、
ただ流れてゆく時を、大切にしたい。

あわただしい、
人間の日々の営みと平行して、
もうひとつの時間が流れていることを、
いつも心のどこかで感じていたい。
 (『旅をする木』より)



約束とは 
血の匂いであり、
悲しみという言葉に
置き換えてもよい。
 (『旅をする木』より)



すべてのものに
平等に同じ時が流れている



僕たちが失ってしまった、
生き続けていくための、ひとつの力。
 (『イニュニック[生命]』より)


命は
どこかで
確実に息づいている



人の一生の中で
歳月もまた
雪のように降り積もり
つらい記憶を
うっすらと覆いながら
過ぎ去った昔を懐かしさへと
美しく浄化させていく。
もしそうでなければ
老いてゆくのは
なんと苦しいことだろう。
 (『ノーザンライツ』より)



冬をしっかり
越さないかぎり
春をしっかり
感じることはできない

それは
幸福と不幸のあり方に
どこか似ている



海辺の岩場に座ると
海面は夕暮れの陽光に
キラキラと輝いていた。
その時、ほとんど確信に近い
想像が満ちてきた。

それは遙かな昔
この岩に誰かが座り
こんな風に夕暮れの海を
見ていたに違いない
ということだった。
 (『旅をする木』より)



風の感触は
なぜか
移ろいゆく人の一生の
不確かさをほのめかす。

思いわずらうな
心のままに勧め、と
耳もとでささやくかのように。
 (『イニュニック[生命]』より)