脳梗塞には負けられない!

2008年12月26日に脳梗塞を発症。負けずに自転車と写真とBAND活動に熱中しているY.MATのブログ。

「ポストPC」と「PC時代は終わらない」

2006-05-16 13:14:06 | IT News
海外では「こんな事で目くじらを立てるの?」と思うような記事が載ることがある。

最初の記事は、ニューヨーク(ウォール・ストリート・ジャーナル)の「『ポストPC時代』にAppleの勝機あり」だ。
IT media News より。


『ポストPC時代』なんて、最近の日本の政治関係のニュースを見ているみたいなタイトルだが、何が書かれているかというと、これまでのMicrosoft-Intel連合のような、独占している部分と開放している部分を明確に分けた商売の形態(コンポーネントモデルと表現されている)は大成功したが、近年はiPodのようなAppleが全てを独占的に作る商売(エンド・ツー・エンド・モデルと呼ぶらしい)が大成功している事を取り上げて、将来的には「エンド・ツー・エンド・モデル」が主流になるかもしれないと延々と書いている。

延々と書きすぎて、論点がぼやけてるように思うが、翻訳されてるから、英文ほどにインパクトが無いだけかもしれない。

それに対して、即日で同じウォール・ストリート・ジャーナル紙に、マイクロソフトのビル・ゲイツ会長と、インテルのポール・オッテリーニ最高経営責任者(CEO)が共同で反論をしている。
「PC時代は終わっていない――ゲイツ氏・オッテリーニ氏寄稿」だ。
IT media News より。


こっちの方は簡潔で、「まだまだ、これからや!」ってな内容。

もちろん、関西弁ではないが・・・

どちらにしても、アメリカ人的な感覚なんだなと思う。

実際のところ、日本では、PCとiPodが同じ土俵にいるなんて感覚は無いと思う。
日本では、実際に出荷されている製品が議論の中心になるからだ。

いくら軽くなったとはいえ、電車やバスで音楽を聴くのにノートPCを持ち歩く人は皆無に等しい。

しかし、アメリカでは、そんな使い道が論点になっているのではない。
『ビジネス・モデル』が議論の対象になっているのだ。

アメリカ人はこういうのが本当に好きだと思う。

我々の業界でも、システムを作るにあたって、様々な開発手法がアメリカから渡来してきて、成功した一部の広告塔以外は散々な目にあっている。
『手法』というものを考えるのが好きで、それがビジネス・チャンスとなるのがアメリカなのかもしれない。

日本はやっぱり、「作って何ぼ」なのが性に合ってる。

勿論『ポストPC』は非常に気になるところだ。
PCを追いやるような『キラーコンテンツ』なんて出来るのだろうか。

現在のPCは様々なAV家電の代わりになるべく努力しようとしている。
「PC時代は終わっていない――ゲイツ氏・オッテリーニ氏寄稿」ではこう書かれている。

だがPCは当初の用途を大きく超えて、洗練された文書作成や表計算のツール以上のものになった。今日、わたしたちはPCを通信機器、ラジオ、テレビ、映画館、フォトアルバムとして使っている。

しかし、それぞれ単体で見れば専用機のほうが優れている。
そもそも、映画館で見る映画に対抗するのが間違っていると思う。

今のPCの存在意義は、それらを融合しているところにあると思う。
模造品が組み合わされて、オリジナルに無い機能を作り出しているのだ。

NECのPC98シリーズが日本で広がりだしたPC草創期から今の仕事をしているが、携帯電話が急速に広まって生活を一変したように、PCが時代を作ったような気はしない。
一般人には「よく分からない箱」なのは今も昔も同じだ。
ただ、使える人が増えただけだ。

人口が増えたのと同じように。

『ポストPC』とは、次の「よく分からない箱」は何なのか、という事だろうか?

それなら、多分、いつまで経っても、「よく分からない箱」はPC以外にはありえないと思う。