今日で、2004年10月から所属していたプロジェクトを抜ける。
かれこれ 1年9ヶ月。
長かった。
最初に入ったのがインフラチーム。
基本設計工程だったハズだけど、入ってみたら要求定義段階。
何しろ、基本的なシステム構成さえ決まっていなかった。
分散にするのか集中にするのか、C/S系にするのかWEBにするのか。
そんな事を決めるところから始まった。
2年前だが、今ほど景気回復が本物と考えられていなかった時。
お客さんも出来るだけ安く押さえたいという思いが強かった。
開発が決まって翌年には、お客さんは過去最高収益を達成していたから、すこし後になっていればまた、今よりは変わっていたかもしれない。
スポーツでも仕事でも一緒で、過ぎたことに「もしも」は有り得ない。
たぶん、プロパーさん的には結構な赤字プロジェクトになったんじゃないかと思う。
しかし、「もしも」がないから、この赤字も必然だと思える。
こういった開発プロジェクトが赤字になる要因は色々考えられる。
一番大きいのは、開発規模と見積もりがまったく合っていないこと。
基本設計の時点で要求定義やってるくらいだから、全体像が見えない段階で、鉛筆をナメナメ、営業さんが数字を弾いてたんだと思う。
終わって見て、ここまで大きなシステムになるとは到底想像できなかっただろう。
もうひとつ考えられる原因は、開発自体の進め方かな。
プロパーと協力会社の連携の問題。
責任の棲み分けの問題。
何より、出来る人とそうでない人との見分ける能力。
これらの全てが上手く行かず、大変な結果になってしまったように思う。
要求定義に毛が生えたくらいで終わらざるを得なかった基本設計工程。
基本設計書作りに追われた詳細設計工程。
詳細設計が完成しないままに進まざるを得なかった製造工程。
全てのしわ寄せがやってきたテスト工程。
全てが悪い方向に流れてしまったため、お客さんの本番開始を、確か3回も延ばしてしまった。
それでも今週から本番が動いている。
一緒に頑張った多くの協力会社の方々の努力の結晶だ。
一緒に頭を悩ませたお客さんの担当者の方々との成果物。
実際に使うエンドユーザーさんには分かってもらえないかもしれないが、そういう所にこぎ付けられたのは、本当に感慨深いものがある。
そして、何より、この色々な経験は自分の力にして、次に頑張りたい。
かれこれ 1年9ヶ月。
長かった。
最初に入ったのがインフラチーム。
基本設計工程だったハズだけど、入ってみたら要求定義段階。
何しろ、基本的なシステム構成さえ決まっていなかった。
分散にするのか集中にするのか、C/S系にするのかWEBにするのか。
そんな事を決めるところから始まった。
2年前だが、今ほど景気回復が本物と考えられていなかった時。
お客さんも出来るだけ安く押さえたいという思いが強かった。
開発が決まって翌年には、お客さんは過去最高収益を達成していたから、すこし後になっていればまた、今よりは変わっていたかもしれない。
スポーツでも仕事でも一緒で、過ぎたことに「もしも」は有り得ない。
たぶん、プロパーさん的には結構な赤字プロジェクトになったんじゃないかと思う。
しかし、「もしも」がないから、この赤字も必然だと思える。
こういった開発プロジェクトが赤字になる要因は色々考えられる。
一番大きいのは、開発規模と見積もりがまったく合っていないこと。
基本設計の時点で要求定義やってるくらいだから、全体像が見えない段階で、鉛筆をナメナメ、営業さんが数字を弾いてたんだと思う。
終わって見て、ここまで大きなシステムになるとは到底想像できなかっただろう。
もうひとつ考えられる原因は、開発自体の進め方かな。
プロパーと協力会社の連携の問題。
責任の棲み分けの問題。
何より、出来る人とそうでない人との見分ける能力。
これらの全てが上手く行かず、大変な結果になってしまったように思う。
要求定義に毛が生えたくらいで終わらざるを得なかった基本設計工程。
基本設計書作りに追われた詳細設計工程。
詳細設計が完成しないままに進まざるを得なかった製造工程。
全てのしわ寄せがやってきたテスト工程。
全てが悪い方向に流れてしまったため、お客さんの本番開始を、確か3回も延ばしてしまった。
それでも今週から本番が動いている。
一緒に頑張った多くの協力会社の方々の努力の結晶だ。
一緒に頭を悩ませたお客さんの担当者の方々との成果物。
実際に使うエンドユーザーさんには分かってもらえないかもしれないが、そういう所にこぎ付けられたのは、本当に感慨深いものがある。
そして、何より、この色々な経験は自分の力にして、次に頑張りたい。