ただ長生きするのではなく健康でやりたいこともある程度出来る老後を迎えたいと願っていますので、医療と福祉は大きな注目点です。ただ、平均寿命は医療によって伸ばすことが出来ますが、健康寿命は薬漬けでは伸ばせません。機械に繋がれての延命も同様です。
個人的には「尊厳死」は認めてもらいたいと思っています。且つては「脳死」は人の死と認められていませんでしたが、移植医療の進歩でようやくこの国でも「脳死」を人の死と認める法律が整備されました。1997年のことでした。ただ、この時点では15歳未満の臓器提供を認めないというもので、この間も幼い命が失われて行ったのです。2009年にようやく法律が改正され15歳未満の臓器提供が認められましたが、この国の移植医療は未だ十全とは言えない状況なのです。
こうした法律を立案し審議し立法化するのが国会議員の本来の仕事ですが、今の国会は議員になるのが目的で、議員になってから何をするかという本来の仕事を見失っているように思えます。これでは、国民から誰でも同じと見られても仕方がないでしょう。ただ、選挙は国民の義務なので忌避してはいけないとも思っているのです。
初めて旧民主党政権が誕生し政権交代が起きた時の投票率は70%を超えていたのですが、旧民主党政権への不満や政権が交代しても何も変わらないという失望から年々投票率は下がり続けています。かくいう私も前回の選挙には行きませんでした。初めてのことです。
その結果、安部元総理の銃殺事件に端を発した旧統一教会問題や裏金問題と自民党の腐敗が明らかになり、流石にこのままでは拙いことになると思うに至っているのです。流れない水は腐ると良くいわれますが、今の自民党はその典型になり下がっているようです。1度は政権を手にした旧民主党も、政権を失うと分裂を繰り返し、今では反自民の受け皿にもなれていないのが実情でした。
石破総理の誕生で自民党は変わるかもしれないという期待感も早々にすぼんでいます。最早政権交代しか無い状況なのですが、野党が纏まらない。このままでは野党候補同士が票を食い合い、自民党の議員が漁夫の利で当選してしまう可能性まで生まれているのです。
政治は素人の自転車好きの高齢者でもそのくらいは分かります。この国の未来を担う子供や若者にとって住みやすい安全な国を残してあげるのが、私たち大人の大切な役割だと思っています。その国の未来を託す国会議員に誰が相応しいのかを真剣に考えて選ぶこともその内のひとつだと思っています。自転車のように人にも自然にも優しい政治家を探しています。