CYCLINGFAN!!

自転車をこよなく愛し、自分の脚と熱いハートで幾つになっても、可能な限り、どこまでも走り続けます~♪

久々のMTB買い替え(1)

2024-10-30 15:48:42 | 自転車
 最初のMTBはGIANTのTARONでした。2012年のことでフロントは3枚ありましました。2018年にcannondaleのCujoに買い替えました。27.5のセミファットであくまでも冬用と割り切っているMTBには最適だと思っていたのですが、路面が凍結するとやっぱりスパイクタイヤが不可欠でした。

 当時27.5のセミファットのスパイクタイヤは1本2万円以上と高額で、Taronの29er用のスパイクタイヤを使いまわすために、リアホイールを新たに組むことになってしまいました。それでもスパイクタイヤ1本分の費用で済みました。

 MTBのギア構成も大きく変わり、Cujoの頃からはフロントシングルでドロッパーシートポスト採用というモデルが主流になっていました。購入から6年が経過したCujoの買い替えるつもりで訪れたショップに入荷したての第4世代のSupersix EVOがあり、ショップのセール期間とも重なり40万弱のバイクを衝動買いしてしまったのです。

 結局。MTBの買い替えは1年遅れとなりましたが、今年のショップのセールで在庫があったcannondaleのTrail5を購入しました。お気に入りだったスオミのスパイクタイヤも寿命を迎えていたので、貯まったポイントで新しいスパイクタイヤも併せて買いました。ただ、このクラスのMTBはスルーアクスルではなくQRなので、Cujoで使っていたフロントホイールは使えず、QR用のフロントホイールを新調することになってしまいました。

 タイヤ交換をすれば良いのですが、北海道の冬の初めや春先はスパイクとノーマルを頻繁に替えなければならないケースもあるので、スパイクタイヤ専用ホイールを用意しているのです。スオミのスパイクタイヤが10年以上もったのも、こうした使い分けをしていたからです。そもそもスパイクタイヤは高価ですから、アスファルトが出た道を走るとピンがすり減ったり抜けてしまうので、路面に応じたタイヤの使い分けは必須なのです。
 納車は一昨日だったのですが、生憎の雨で、昨日サイコン用マウント等の取り付けを済ませ、今日1時間半ほど紅葉を眺めながら少し登って来ました。Cujoの時はグラベルバイクがなかったので、フロント30Tのシングルギアは速度が出ないので距離が走れないと思っていたのですが、そもそもMTBは長い距離を走る設計になっていなのです。
 ただ、リアに11-48Tという大きなギアが付いているので、登りはとても楽なのです。速度は10km/hに満たないものの、フロントが30Tなので、ケイデンスを上げないと進まないので、ロードバイクに比べると速度の割に心拍数が上がります。最高気温が10度前後というこの時期に気楽に走るには丁度良いバイクなのかもしれません。「Z2トレーニング」の記事も書いていますが、MTBでケイデンス75rpm程度で登ると心拍数は120~130bpm程度となり、私の目指す「Z2トレーニング」のゾーンになるのが分かりました。
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツール・ド・フランス2024を振り返る(3)

2024-10-30 09:55:49 | ツール・ド・フランス
 今年のツール5日目も記念すべき日となりました。マーク・カヴェンディッシュがエディ・メルクスが持つツール通算34勝という偉大な記録を塗り替えたのです。昨年も引退を表明し背水の陣でチャレンジしていたものの、落車で無念のリタイヤ。誰もがもうカヴェンディッシュは終わったと思ったことでしょう。
 それでも、カヴェンディッシュもチームも諦めず、引退を撤回して挑んだ今年も初日から暑さにやられタイムオーバーギリギリでゴールし、やっぱりメルクスの記録更新は無理だろうと私も思っていたのです。しかし、前回勝利から実に3年ぶり、39歳となったカヴェンディッシュが遂に大記録を達成してみせたのです。

 前年マイヨヴェールのフィリップセンも並ぶことの出来ない鬼脚を見せ、偉大な35勝という金字塔を打ち立てなのでした。全盛期のColumbia – HTCでエーススプリンターとして活躍していたカヴェンディッシュも晩年は若いスプリンターの台頭でなかなか勝てない時期が続いていました。ツールでも3年前の勝利が最後だったのです。
 カヴェンディッシュは元々英国マン島出身のトラック競技選手で2005年のロサンゼルスで開催されたトラックレース世界自転車選手権・マディソンで、ロバート・ヘイルズとペアを組んで優勝しています。2006年にT-モバイル(現在のチーム・HTC=ハイロード)とセミプロ契約を結んで移籍し、翌年にプロ契約をしているのです。参加したレースで勝ちまくり一躍時の人になって行きます。2008年には2度目の参戦となったツールでステージ4勝を挙げるも北京オリンピックのために途中リタイヤし、マイヨヴェールの獲得は翌年に持ち越しかと思われたのですが、ステージ優勝はするもののなかなかマイヨヴェールには手が届かいもどかしい時期が続くのです。

 2009年はカヴェンディッシュの黄金期の始まりの年で、ジロでステージ3勝、ツール・ド・スイスでも2勝を挙げ、怒涛のステージ6勝で待望のマイヨヴェールかと思いきや、トル・フースホフトと僅か10ポイント差の2位に終わります。初めてグランツールのポイント賞を獲得したのは2010年のブエルタ・ア・エスパーニャでした。2011年はステージ5勝で初のマイヨヴェール。世界選手権も勝ちこの年を締めくくります。
 この成績を引っ提げて母国のチーム・スカイへ移籍するも、この移籍がケチの付き始めか、1年持たずにオメガファーマ・クイックステップへ移籍となります。ピュアスプリンターのカヴェンディッシュにとってはゴール前のアシストが重要なのに、何故スカイを選んだのか?マイヨジョーヌを狙うチームでは彼の能力は発揮できないことは明らかだからです。この後は怪我やチーム移籍を繰り返し、思うような走りが出来ない時期が続くのです。

 2021年に古巣のドゥクーニンク・クイックステップに戻ったカヴェンディッシュは第4ステージでツール・ド・フランスにおける5年ぶりの勝利を挙げると、第13ステージの勝利でツール・ド・フランス、ステージ最多優勝の34勝に並ぶことになるのです。
 その後もなかなか結果が残せなくなったカヴェンディッシュを最後に受け入れたのがあのヴィノクロフのアスタナでした。2023年に移籍と共に年内での引退も発表して臨んだツールは落車リタイヤ。ツール最多勝の可能性は潰えたと思っていたのですが、本人もチームも諦めていなかったようで、引退を1年延長して、再チャレンジに成功するのです。

 ゴール直後“We did it”と叫んでいたカヴェンディッシュ。”I” ではなく” We”なのです。サイクルロードレースはチームスポーツなのだと改めて思い知らせれた瞬間でした。初日にタイムオーバーギリギリでゴールしていたのが嘘の様です。決して神に愛された選手ではなかった印象のカヴェンディッシュですが、最後の最後に神が降臨した感じでした。というのも、前々日の落車の影響があったフィリップセンに加え、この日はゴール前の落車で多くのスプリンターが煽りを受けていたからです。とはいえカヴェンディッシュが勝つとすればここしかないというステージを確実に勝ち切ったのは流石です。
 諦めなければ夢は叶うというのは簡単ですが、この諦めない気持ちを持つことが出来るのもある種の才能なのかもしれません。ただ。プロにとっては無くてはならない資質でしょう。
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする