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ツールよりもジロが好き

2024-05-14 10:05:54 | ジロ・デ・イタリア
 107回目を迎えたジロ・デ・イタリアも序盤の9ステージを終えた。1日目こそゴールスプリントで敗れたものの、優勝候補筆頭のタディ・ポガチャルはやっぱり強かった。最初の内は調子の様子見をしていた感じもあったが、第2ステージであっさりマリア・ローザを獲得すると、個人TTでもあのフィリッポ・ガンナを後半の登り区間で大逆転して見せたのだ。翌日の山頂ゴールも危なげないゴールスプリントに持ち込みジロ3勝目で、後続との差は2分40秒と大きく開いた。ポガチャルはツール・ド・フランスを2度制しているので忘れられがちだが、ジロはこれが初めての参戦なのだ。

 グランツールはジロ・デ・イタリアに始まり、ツール・ド・フランス、ブエルタ・エスパーニャへと続く。中でもツール・ド・フランスは特別で、人気も高いのだが、個人的にはジロ・デ・イタリアが一番好きかもしれない。歴史あるイタリアの風景を堪能できるのは勿論だが、コース設定が面白い。ツール・ド・フランスでは途中で寝落ちしてしまうほど退屈なレースが少なくないのです。また、大金が動き政治的な匂いのするツールに比べ、ジロは心が温まるような手作り感があるからなのかもしれません。

 このブログでも2008年の第95回ジロ・デ・イタリアの記事があります。アルベルト・コンタドールがマリア・ローザを獲得した年のことです。ジロ・デ・イタリアは2001年からTV観戦しています。その年の優勝者はジルベルト・シモーニでした。この頃に比べると文章力が落ちたと痛感しています。そこで、文体を以前に戻してみることにしました。

 本当はマルコ・パンターニが優勝したこの3年前のジロが面白かったようなのですが、私のTV観戦は2001年からです。1998年はマルコ・パンターニがWツールを達成した年でもあり、今年のポガチャルはそれ以来の快挙に挑んでいることになるのです。
 2008年にジロを征したコンタドールですが、Wツール制覇の夢はチームのドーピングによる不参加によって絶たれてしまったのです。この頃のUCIプロツアーではドーピング問題で暗雲が垂れ込めていた時代でした。1999年からツール7連覇を達成したランス・アームストロングがWADA(世界アンチ・ドーピング機構)から提訴され、ランスからエースの座を奪い取った若きコンタドールが2007年にマイヨジョーヌを獲得するも、ランスのドーピング疑惑を受け翌年チームは解散し、監督のヨハン・ブリュイネールと共にアスタナへ移籍することになったのです。ただ、アスタナではヴィノクロフがドーピング陽性でチームを解雇されるという事態に。それを受けたツール・ド・フランスの主催者ASOがアスタナのツール招聘をしない決定をし、その煽りを食う形でコンタドールはWツールのかかったツールのスタートラインにさえ立つことえ許されなかったのです。
 ジロも最初の内はASOに倣う姿勢を見せていましたが、連帯責任でクリーンな選手まで招待しないというASOに対する批判の声も高まり、ジロの主催者はギリギリでアスタナの参加を認めることになりました。その結果、コンタドールはマリア・ローザを獲得し、同年のブエルタでも総合優勝して見せたのです。個人的にこの頃からツール・ド・フランスには何らかの政治力が働いているような気がして、ツールよりもジロが好きという思いが強くなったのかもしれません。
 




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