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フレーム素材の歴史(2)

2012-10-20 10:18:03 | ロードバイク

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 少しアルミフレームに話しを戻しましょう。アルミ接着フレームは1972年アランの創始者ルドヴィーゴ・ファルコーニにより世に送り出されました。アランのアルミフレームは、アルミチューブをアルミラグという継ぎ手で繋ぐという画期的なもので、その軽量性が高く評価されたものの、スタンダードケージへの拘りから剛性不足でロードレース界で受け入れられることはありませんでした。が、ファルコーニはさらなるフレームの軽量化を模索し続け、やがてアルミチューブをカーボンチューブに差し替えることを思いつくのです。Alan03

 1970年代はまだカーボンコンポジット素材の黎明期でしたが、ファルコーニはその優れた物理的特性をしっかりと理解し、アルミフレームの発表からわずか4年後の1974年にカーボンフレームを世に送り出すことになるのです。そして、このフレームに使用されたカーボンは日本の東レ製でした。
 アルミフレームとカーボンフレームの誕生時期がわずか4年しか違わないのですが、ロードバイクの主流はやがてクロモリからアルミへと向かうことになるのです。チタンもカーボンもやがて訪れる肉薄大径のアルミチューブの波に飲み込まれてしまったように見えますが、1983年にアランと同じ手法でフレームのカーボン化を行ったフランスのビチューがショーン・ケリーのクラシック勝利やルイス・ヘレラのツール・ド・フランスでの2度の山岳賞獲得に貢献したという歴史があるのです。
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 また、カーボンフレームが初めてツール・ド・フランスを征するのは1986年のことですが、アルミロードでツール・ド・フランスを勝ったのはミゲール・インデュラインで1995年とずっと後のことになります。グレッグ・レモンがチームメイトのベルナール・イノーとワンツーフィニッシュに貢献したのはルックのカーボンフレームでした。この当時のルックのフレームはTVTが製作したものですが、1988年にTVTが独立し自社ブランドとしてカーボンフレームの製造を始めます。このTVTのカーボンフレームには東レ製の40Tカーボンが使用されていたようです。今でこそ、50Tや60Tというハイモジュラス・カーボンが当たり前のようになっていますが、80年代に40Tという弾性率は破格のものだったはずです。Greg_lemond

 1986年のツール・ド・フランスでのグレッグ・レモンの勝利はカーボンフレームにとってエポックメイキングな出来事ではありましたが、ここで一機にカーボンフレームが主流とならなかったのはやはり対費用効果と加工技術の問題だったと思います。TVTのカーボンフレームの性能は圧倒的で、ルックやタイムのカーボンフレームに大きな影響をもたらしました。また、80年代後半には自費でこのフレームを購入し、チームカラーに塗ってレースで使用する選手も少なくなかったようですが、90年代の中頃まではクロモリフレームが主流であったことは確かなのです。インデュラインの1992年から94年までのツール・ド・フランス3連覇はクロモリフレームだったのです。
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 個人的にはロードレースの世界は結構保守的で、特に伝統を重んじるヨーロッパが主戦場であったことから、スリムで見た目も美しいスタンダードケージという概念をなかなか捨て切れなかったことが、アルミやカーボンがクロモリに取って変われなかった大きな要因だと考えています。
 というのもアルミフレームが主流となるきっかけが、80年代から90年代へかけてのMTBブームに伴うフレームの肉薄大径化がアメリカで始まったことだからです。未舗装路走行でバイクに負担が大きなMTBに必要とされたのが軽さと丈夫さでした。それを最も実現しやすかったのがアルミニウムという素材なのです。アメリカ人は「軽くしたいならアルミを使えばいい。剛性を上げたければチューブを太くしたらいい」という自由な発想でMTBのフレーム素材としてアルミを使い、平気でどんどん肉薄で径の太いものにして行きました。スタンダードゲージでアルミチューブを作るとグニャグニャだったけども、太くすれば固くなるのは当たり前なわけで、それがヨーロッパの人にはできなかったけども、アメリカ人は簡単にやってのけたという訳です。
 そして90年代半ばから2000年初頭にはアルミの全盛期がやってきます。TVTを吸収しカーボンフレームに特化した観のあるタイムまでもがアルミロードを生産する時代の到来でした。Miguel_indurain01_2

 1995年にインデュラインがピナレロのケラルライトでツール・ド・フランスを征し、翌96年もビャルネ・リースが同じケルライトでマイヨジョーヌを獲得する。そして97年にヤン・ウルリッヒがパリでツール・ド・フランスを征するとピナレロは一躍トップブランドとして注目されるメーカーとなるのです。今でこそピナレロといえば東レの高級カーボンを使い、コルナゴやデローザを凌ぐほどのイタリアンブランドですが、歴史を紐解くと、ピナレロの名を一機に引き上げたのはアルミフレームでのツール・ド・フランス3連覇だったのです。
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 アルミフレームの雄といえばキャノンデールを思い浮かべてしまいますが、CAAD3が活躍し始めたのが1997年と意外と遅いことには驚かされます。軽量で剛性の高いアルミフレームの溶接技術で抜きん出たものを持つキャノンデールは98年にCAAD4へ、さらに2004年にはダミアーノ・クネゴがジロ・デ・イタリアを征したCAAD8まで毎年のようにCAADシリーズを進化させ続けました。アルミに対する拘りからカーボン化が遅れた観はありますが、ある意味この軽量なアルミフレームに拘り続けた技術が昨年SUPERSIX EVOの世界最軽量のカーボンフレームに繋がったと個人的には考えています。

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