北海道に住まいしていながら、富良野という町を意識し始めたのは、実は北海道を離れた東京暮らしの時のことでした。
夢を追い求め18歳で上京し、2年の浪人を経て大学生にはなったものの、就職活動も一切しないままバイトに明け暮れ、中途採用で一部上場企業へ就職はしたものの、上司と大喧嘩をして会社を3年で辞め、再びバイト暮らしに戻っていた頃のことです。
1981年の春、そのTVドラマは始まりました。そう『北の国から』です。都会の暮らしに憧れて上京し、見事に挫折した田舎者の目にはTV越しでさえ富良野の自然は美しくそして懐かしい風景として、すさんだ若者のこころに沁みこんで来るようでした。
自分はどうしてこんな素晴らしい故郷を離れてしまったのだろう。都会暮らしに戻りたがる純の気持にも共感を覚えながらも、こころの奥底で抑えようのない郷愁の念が徐々に広がってゆくのを感じていたのです。ただ、負けたくない、ただの田舎者には戻りたくないという想いだけですさんだ生活に耐えていたような気がします。
北海道へ戻って来て30年余りが経過しますが、倉本総が描く富良野は『北の国から』『優しい時間』『風のガーデン』というTVドラマと共に全国にその名を知られるようになって行きます。TVドラマの度に名物スポットなども出来、夏場は観光客で賑わいを見せる富良野で本格的なサイクルイベントが開催されたのが第1回の富良野アースライドでした。
この頃はまだロードバイクさえ手にしていなかったので、その存在さえ知りませんでした。私が始めて参加したのは昨年の第3回大会ですが、前年まではわずか300名ほどだった参加者が700名近くにまで増え、朝のスタート時にはバイクで富良野の市街地が渋滞を起こすほどになっていたのです。
第1エイドステーションの富田メロンで、富良野メロンを堪能し、日の出公園でジンギスカンとおにぎりを食べたまでは良かったのですが、美瑛の丘陵地帯のキツイアップダウンにハートブレイク。当初予定していた「五郎の石の家」のある麓郷の登りを断念せざるを得ませんでした。
自分がこうして暮らしている北の大地へ戻るきっかけとなった舞台を一度も目に擦ることなく帰って来たことは無念の極みでした。早速リアのスプロケットを交換し、翌週から厚田へ、さらに青山へと登りの練習を始め1年、今年は115kmを完走するために必要最小限の登坂力とスタミナは身に付けられたと思っています。
今年は直前に中4日で120kmを2度走ることができましたし、速度こそ出ませんが長い登りも無事にクリアできています。冬季間のローラ台トレーニング効果も相まって、無理な走りさえしなければ麓郷を登り、自分のこころの故郷であもある「五郎の石の家」をこの目とこころに焼き付けて来ることができそうな気がしています。
麓郷へ登るための脚きり時刻の午前11時はちょっとキツ目ですが、エイドステーションでの休憩時間を削ってでも、間に合わせたいと思っています。幸い週末の富良野の天気も良さそうなので、快適なアースライドを堪能して来たいと思っています。
Pinarello fp Quattroに乗っていました吉田です。
今回は皆さんが無事に完走出来て嬉しい限りです!
どうも有難う御座いましたm(。≧Д≦。)m
今度の日曜日(30日)に、秋山さん&伊東さんの3人で夕張の万字峠を目指してきます!登坂練習も兼ねて夕張名物カレー蕎麦を食べに行きます。
北広島までは車載ですが.....(市街を通るのは面倒なので)
また機会がありましたら宜しくお願いしますヽ(´▽`)/