さて今日は親戚宅へ慰問に。
ここは以前住んでいて、宮城県沖地震を被災した事も有る場所。今回は親戚二件とも津波でエライ事に。
幸い家は残っていて、1階は結構な高さまで浸水し、泥とかかき出してもなんだか粉っぽいし、水はまだ来ていないし、大変との事。まだまだ寒いので、健康に気をつけてクダサイとかしか言いようが無い。
もう一軒は、しばらく古川に避難生活していたが、昨日やっと借家を借りた、という事なので、まぁ引越しで慌しいところだが、やっと落ち着いたという事で行くことに。
さて、その住んでいたところからちょっと歩いた所の橋の向こう側、州崎方向の惨状。
ほぼ壊滅状態。ほぼ海。
ちょっとの距離で、なんとか家は流されず、中2階に逃げてセーフ。ほんのちょっとの差で生死を分けた、まさに九死に一生を得た。
そして、 孫は、たまたま、その日に限って、実家に行ってたので、助かった。家に居たら死んでた(かも)と。
近所の多くの人が亡くなったとの事。
住んでたところは、まだ手付かずのままだったので、話を聞くと、この辺は再建築は待ったが掛かっているという話。どうなるかわからないし、まだ、復旧作業をしていないとの事。うーむ、復興は相当先、何年か先までかかりそう。しかし、買い上げて、別な場所への転居と言われても、長年住んだ土地から離れるのはちょっと、まだ、全然考えられないという話も。確かに、そうだよなぁ。
今回の津波は、太平洋側、というより、真東の方向から来ている。西南西の方角を向いて、東側に山が有る大塚は影の側になり、ほとんど被害なし。
昔住んでいたところは、1階2m弱まで浸水。東側に山があり、それを越えると、小学校がある。道路が出来る予定で、山の側面に向かって道路が途切れていた。毎日その山を迂回して通っていて、早く開通しないかな、と、思っていたが、30年経っても、一向に開通しないまま、今日まで。結局計画が頓挫したんだろうが、その山の向こうの小学校は、激しい津波で、避難場所になっていたが、ほとんどの人が犠牲になってしまったとの事。その山のおかげで、こちら側は、1階浸水ぐらいで、家が流されるほどの勢いはなく、助かったとの事。
うーむ。もし、今でも家を手放さずに両親、もしくは、自分自身が住んでいる、という可能性もあったかも知れないと思うと、どうなっていたかわからない。津波を予測して、高台に避難したか?といわれると、していないと思う。
津波のサイレンや放送は鳴ったか聞いたが、どうやら、無線が壊れていたのか、なんなのか、無かったとの事だ。津波だ!という声が聞こえてきて、すぐに水がどばーっと押し寄せてきて、二階に逃げたという。うーん。怖い話。
このへん一帯に、同級生が住んでいたが、最近お互い連絡取り合っていないので、情報なし。今もそこに住んでいるとは限らないが、何人かは犠牲になっていると思われる。
駅
1ヶ月でまだ手付かず。
仙石線の復旧は当分かかる様です。こうなると、車がライフライン。
ところで、今回の地震で車の便利さを痛感。ガソリンの大事さを痛感。
原子力とか、石油への依存率とか、これから、いろいろとエネルギー転換を考えていく必要がありそうです。ガソリンが止まると、流通がストップし、食料も入ってこない事になる。これからどうしたらよいかまだよくわからないが、そうなる前になんとかしていかないと、オイルショック的な事になると、店から商品が消える可能性があります。
また、震災、津波と東北を直撃したけど、関東大震災が来た場合に、想定外の事が起こる可能性もあります。一番怖いのは火災かな。
後は大雨で大洪水とか。
大きな災害では、いくら準備していても、防げない事もあるが、数時間での判断・行動で大きく運命が変わる可能性もあるなと感じたので、関東在住の皆さんも、自分の身を守るのは、自分自身だけなので、普段から、いろいろと意識して生活してくれるといいかなと思っとります。