Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/ふらっと群馬 第3回

2022-05-30 23:09:52 | 旅行

2022年の記録

久しぶりの高崎1泊出張で、仕事あとの散策の記録。

 

 

高崎市は関東平野の制北端、背後には千メートル超級の山々が連なる。

 

 

高崎の宿泊出張は、今までに何度もしているので、散策ルートもお初は少ない。それでも、毎回新しい発見がある。そもそも街も日々変化しているのだ。

 

 

群馬県庁のある前橋市は、行政の中心。そして、高崎市は、商業の中心で交通の要所でもある。新幹線の停車駅は高崎、前橋はローカル線のJR両毛線が走る。

商都・高崎らしく市内のあちこちに蔵や黒い板壁の商家が見られる。

 

 

高崎中央銀座商店街は、地方によくあるシャッター通り化した全長430メートルのアーケード型商店街である。空き店舗のあとに入居したキャバクラが軒を連ねる。夜、20時ごろをすぎるとキャッチ(水商売の客引き)で賑わう。

 

 

「氷 日本一」は、1929年(昭和4年)に創業の氷問屋である。削氷組合の消滅、かき氷店の減少を憂えた先代店主が、1976年(昭和51年)にかき氷店を併設。

一度は食してみたいと思っているが、営業時間が短いことと、学校帰りの女子高生がたむろしている中に分け入る勇気のなさで、未知の味のままである。

 

 

日本聖公会高崎聖オーガスチン教会は、1929年(昭和4年)竣工の鉄筋コンクリート造平屋建の単廊式のネオ・ゴシック風教会堂である。前回の訪問時は、改修中であったが、改修が完了し、白亜の凛とした佇まいである。

 

 

聖オーガスチン教会からしばらく歩き、上越線の東側にある日本基督教団高崎教会に寄る。見ての通りの歴史的建造物ではないが、僕は教会を訪れると心に平安を感じる。

 

 

高崎駅前の豊田屋旅館本館は、1932年(昭和7年)に建築され、今も現役として守り続けている。豊田屋旅館は、タイムスリップしたような空間であり、高崎のシンボル、ランドマークである。

 

 

高崎市役所庁舎の展望台から西北方向を眺めると烏川の彼方の山影に沈む夕陽が目に飛び込んできた。

 

 

高崎名物カツ丼、注記にあるようにソースカツ丼ではなく、和風ダレカツ丼。友人曰く、「映えてないけど、コスパが良くて、美味しそう。」(450円)

 

 

【メモ】

上海の友人(日本国籍と中国永住権を取得した上海人)とWeChatで長話した。ロックダウンで、暇で暇でしょうがなぃことに加え、相当ストレスが溜まっているようだ。元々、中国語で政権批判することはないが、日本語だと不満を漏らすことがあったが、今回は尋常ではない。何しろ、WeChatの無料通話だ、「オイ、オイ、それヤバクないか」といった勢いだった。

彼曰く、「食料を配給しているので、餓死ないし、コロナ死もほとんどない。食料だけ与えていれば良いのは、貧困層だけだ。発表されないが、コロナ死者以上の人数の飛び降り自殺者がいる。」

「中国は、政治を除けば自由だと、上海人は思っていたが、習〇平のアホンダラに裏切られた。」

「ロックダウンが解除されても、かつての上海には戻らない。」

「カネのある上海人は、みんな海外に出て行ってる。俺だって、(養老院にいる)母親が亡くなれば、日本に住むよ。」

すべての上海人が、彼のように考えているとは思えないが、かつての上海には戻らないかもしれない。

 

散々な目にあっている上海人の一方で、上海人以外の中国人の上海を見る目は醒めているように感じる。上海人は、他の中国人を野暮ったいと小馬鹿にするようなところがあって、中国内の評判が良くなかったこともあるのかもしれない。武漢市が閉鎖になった頃、中国各地から「武漢加油!(武漢、頑張れ!)」といった声援を耳にしたが、「上海加油!」という言葉は聞かない。

コロナが終息し、訪中した時に見る上海は、かつて見た上海とは、まったく別の街になっているのかもしれない。

 

 

旅は続く