Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

人民中国の残像/上海虹口足球場站界隈 第2回

2022-12-04 13:12:21 | 旅行

2005年の記録

瀋陽から上海に戻り、溜まっていた仕事を熟すために1週間ほど滞在した時の記録。

 

 

看板は、時代の象徴である。中国料理は、一括りできないほど多彩。東北(旧満州地区)料理は、ポピュラーな地方料理の1つ、四川料理が、爆発的な人気料理になるのは、もう少し後のことだったと思う。(看板の「正宗」は、「本場の」意味。)

 

 

上海市中心城区北部に位置する上海市虹口区は、旧日本租界(厳密には共同租界の中の日本人集住エリア)である。フランス租界のある徐匯区が、西洋的なお洒落な雰囲気なのと比較すると、かなり庶民的だ。

 

 

表通りには、飲食店がならび、店頭にテーブルがあるのは、20年近く前からコロナ対策か?(そんな訳ないだろ・・・笑) まだ、自転車が人民の乗り物だった時代だ。

 

 

2005年は、携帯電話(ガラケイ)の普及がはじまった頃だ。個人の携帯は、基本的にプリペイ式なので、暗証番号の記載されたカード(電話卡)を買って、入金(充値)して使う。それ以前は、街の電話屋に行き、そこから電話する。それが、「長途0.3元1分■」(=長距離通話0.3元/分)の看板である。

 

 

今と違って、まだ貧しかった中国では、時計はもちろん靴、衣類・・・・と何でも修理して使った。修理屋や床屋は、僅かの資本で商売を始められて、一国一城の主になれる近道だ。(独立志向の強い人が、中国には多い。) もちろん、価格は激安、露店の床屋は、30円ほどだったと思う。

 

 

路地裏に廻っても、小さな飲食店があり、街角には、人だかりができている。中国の人は、将棋、花札、ポーカーとゲームが好きだ。たいていは、カネを賭けているので、不用意な撮影には注意が必要だった。(賭博は法律で禁止されている)

 

 

路地裏からさらに居住区へ入る。住民に出くわすとトラブルになりかねないが、自分から能天気に明るく挨拶をして、個人的な趣味で撮影していることを話す。理解が得られなければ、「不好意思、不好意思!(=悪かった、悪かった)」と謝り、サッサと退散する。幸い今までに面倒なことにはならなかった。

 

 

上海も急速に再開発が進んでいた。古い家屋が、次々と解体され、人民中国が、消えて行った。

 

 

【メモ】

中国各地で、ゼロコロナ政策の解除を求める大規模デモが頻発している。正直なところ、意外中の意外だ。結論を最初に書いてしまうと、大規模デモの先に明るい将来を予感できない。

 

選挙で為政者を選ぶ民主主義国では、デモで発信される民意を為政者は、無視できない。しかし、中国は、専制国家である。しかも、プーさんは、(世界の中心中華のそのまた)核心、まさに唯一の“神”になったのだ。“神様”が、“人間”の意向を汲んで軌道修正するなどあり得ないし、あってはならない。仮に“神様”自身が、軌道修正の必要を感じていても、それを口にする前に“人間”が、それを口外すれば、修正できることも修正できなくなってしまう。

 

中国は、“市役所”を“市政府”と呼称するように地方(役人)の裁量権が大きい。日本と違い、地方政府幹部にも結果責任が求められる。中央政府の指示通りやっていても、感染爆発や治安の混乱があれば、更迭される。それゆえに地方政府は、中央政府の指示以上に厳しい規制をすることもあり、現在の規制には、地方政府の裁量で緩和できるバッファーがある。“神様”ではない地方政府の役人は、感染爆発と治安を天秤に掛けて、軌道修正できるので、バッファーの範囲での緩和は実施されている。

 

もし、プーさんが、民意に耳を傾け、軌道修正をすれば、赤い帝国の終わりの始まりになるかもしれない。まさに蟻の一穴天下の破れである。それが、中国の人にとって、良いことか、否かの解を僕は持ち合わせていない。すべてが、僕の杞憂であって欲しい。

 

 

旅は続く