Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/京都

2022-12-17 14:27:34 | 旅行

2022年の記録

出張後に行こうと思っていた京都、滋賀だが、あいにく出張の翌日は悪天候の予報で断念。

それでも、“散策欲”に火がつき、週末にあらためて訪問した時の記録、京都前編。

 

 

青空、白雲、白壁の教会尖塔。散策中、最も天候に恵まれた時間帯だった。

 

 

JR京都駅前で、レンタサイクルを借りた。連日、大挙して訪れる観光客のことを報道していたが、渋滞知らずの快適な散策ができた。観光客目あての紅葉の名所を避けたのも幸いした。中心部は平坦な京都、半日ほどで廻った。前編は、旧山口銀行京都支店から京都ハリストス正教会までの近代建築の集積地散策。

 

 

JR京都駅から烏丸通りを北に進むと、進行方向左側にあるのが、旧山口銀行京都支店。近代建築の大家・辰野金吾の辰野片岡建築事務所設計の鉄筋コンクリート造2階建て。1916年(大正5年)竣工。DEAN&DELUCA京都店として活用されている現役建築物。

 

 

旧第一勧業銀行京都支店は、旧山口銀行京都支店からさらに烏丸通りを北に進んだところにある。1906年(明治39年)に旧山口銀行京都支店と同様辰野金吾(辰野葛西建築事務所)設計、レンガ造2階建てとして竣工したが、1999年(平成11年)に取り壊されている。現在の建築物は、2003年(平成15年)にレプリカ再建されたものである。第一銀行、勧業銀行の合併で設立された第一勧業銀行は、日本興業銀行、富士銀行との3行合併を経て、みずほ銀行となっている。当建築物もみずほ銀行京都中央支店として活用されている。

 

 

旧京都郵便電信局は、旧第一勧業銀行京都支店から三条通りを右折したところにある。1902年

(明治35年)に吉井茂則、三橋四郎の設計、レンガ造2階建てとして竣工している。交互に積まれた白い隅石が赤レンガにアクセントになっているルネッサンス風のデザインが美しい。1973年(昭和48年)に郵便事業の近代化に伴う取り壊しが計画されたが、保存運動により外観を残すファサート保存にて残された建築物である。内部は、近代化され中京郵便局として活用している。

 

 

近代建築数珠つなぎの三条通りを東に進むと、旧日本銀行京都支店(京都府京都文化博物館別館)がある。1906年(明治39年) に辰野金吾、長野宇平治の設計によりレンガ造2階建てとして竣工している。

 

 

旧日本銀行京都支店と道を挟んで、クラシックな黒塗り土蔵の店構えの分銅屋足袋店が目を引く。

1864年(元治元年)創業の老舗足袋店である。店名は、足袋以前の漢方薬を扱った時代に、目方を量った分銅に由来しているとのこと。

 

 

旧日本生命京都支店も辰野片岡建築事務所設計、外壁を石張りとしているが、レンガ造2階建て銅板葺で、1914年(大正3年)に竣工している。現在は、京王電鉄の所有の登録有形文化財となっている。

 

 

家邊徳(やべとく)時計店は、初代家邊徳之助が1871年(明治4年)に建てた日本最古の店舗型住宅である。(煉瓦造2階建て瓦葺) 外観は洋風近代建築でありながら住居部分は純和風な京町となっている。1階は現在テナント、2階が時計貴金属商。

 なお、家邊徳時計店は、「家邊徳之助」名は、代々襲名しており現在は4代目とのこと。

 

 

家邊徳時計店の向かいに和風店舗の扉を赤く塗装した京都三条ポールスミス店が目を引いた。

 

 

近代建築が連なる三条通りを離れ、北に進んだところに日本基督教団京都御幸町教会がある。

設計は、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(ヴォーリズ建築事務所)、1913年(大正2年)竣工、レンガ造1階建て(一部中2階)である。

 

 

住宅街の中を北西に進むと京都ハリストス正教会(生神女福音大聖堂)がある。1901年(明治34年)竣工、日本最古の大型木造聖堂(ロシア・ビザンチン様式)である。松室重光設計、木造平屋建、下見板張。

 

 

【メモ】

中国のゼロコロナ政策が緩和方向で動いた。そのこと自体は、喜ばしいことだが、前回のメモに記したように専制国家の“神様”が、民意により軌道修正したとなれば、“神様”失格だ。民衆は、デモで国家が動くことを経験的に学び、次々と政府の矛盾に声をあげるかもしれない。そうなれば、まさに赤い帝国の終わりの始まりになる。

 

その一方で、ゼロコロナ政策が緩和されると、中国各地の感染が急増した。僕の会社の中国内工場、支店でも、複数の感染者が報告されている。日本でオミクロン株コロナに感染した友人、知人が、軽症であるのに対し、中国での感染従業員は、30歳代でも40℃以上の発熱をしている。ゼロコロナで免疫がないとか、中国製ワクチンの有効性の低さとかなど、憶測でしかないが、感染急増が、早期に沈静化することを祈るばかり。

 

そもそもの話として、中国政府自身がゼロコロナ政策による経済の低迷を許容できない事情もあったのだと思う。今の中国が、肩で風を切って歩く戦狼外交ができるのは、経済力によるものだ。間違っても軍事力ではない。(軍事力で存在を示しているのは、北朝鮮ぐらいだ。) ゼロコロナ政策の継続は、中国の凋落そのものになる。引退の決まった秀才・リーおじさんが、最後の進言をしたのだろうか、プーさんの苦渋の決断だったと思う。

 

 

旅は続く