やっぱり、うれしいものです☆
環境がかわると、なかなか会えない人が増えて。 それでもまだ最近はメールなどがあって、連絡はとりやすくなってますけど、会って話すのとは違いますからね。 この仕事を選んでよかったと、思う事の一つです。
皆さんこんにちは(^^)
少し肌寒い空気ですが、よく晴れました。今日は近隣の小学校で卒業式が行われています。
卒業式・・・思い出すなあ。私もいままで幾度かの卒業式を経験してきています。小学校の時は日にちを大きな声で言う役になり、お陰で今でも小学校の卒業の日付は覚えています。自転車で帰ったこと、途中で転んだこと。中学校の卒業では、暴走族が来て騒いだので、門が閉まって帰れなかったこと、こっそり小さな缶チューハイで、親友と乾杯したこと・・・。
そして、さらに印象深いのは、美容学校での卒業式ですね(^^)
私は、美容学校は夏に入学の通信教育の学習だったため、基本的には入学式も卒業式も有りません。入学式の代わりに、年に何回かの実値修練のための(スクーリングといいます)登校初日に、何か先生の訓辞を頂いたような気がします。在学中、学校に行ったのはほんの30日程度なので、そうたくさんの思い出もないのですが、それでも今も、数人の友人とは連絡を取っています。
ところで私は、規定の年数を経て卒業という年の夏のスクーリングのときに、盲腸にかかって丸々休みとなってしまいました。授業態度があまり良くなく、辞めたと思われていたフシがあったりして(笑)。そのため卒業が半年ずれて、春の卒業となったのです。卒業といっても、証書を頂きに学校の事務室に行っただけで、特に何があるわけでもありません。挨拶を済ませて返ろうとすると、先生に声をかけられました。
待てと言われて同じく卒業のずれた何人かの通信生と待っていると、「昼間の普通科の生徒に留年生がけっこういて、今日卒業式をやるから、君たちも一緒に来なさい」と。
「今さらいいよなあ・・・」と思いつつ、頂いた証書をいったん返して会場となった教室に向かうと、自分たちより後から、その留年組がぞろぞろ入ってきました。7~8人だったかなあ。それがもう、絵に描いたような“不真面目な生徒”といった感じの面々で、イヤもううるさいうるさい。「君たちは、そういう態度だから留年したんだ。わかっているのかっ!」などといくら言われても、全然聞く耳を持たず、最初から最後までおしゃべりのしっぱなし。その後も、いくら先生にたしなめられても改める様子もなく、前列にいた私も、何度もふり返り、にらみつけてよっぽどひと言いってやろうかと思ったほどでした。
そうこうしているうちに終わりに近づき、一人一人卒業証書をいただく時も、連中はおどけるわふざけるわ、先生からまたも「誰のための卒業式だと思っているんだ!おまえたちのために、わざわざ開いているんだぞっ!」と怒りの声が上がります。
が、一通りのセレモニーも終わり、ようやく最後の「仰げば尊し」の斉唱になったとき、そこで異変が起きたのです。私はまあ、うろ覚えの歌詞をなぞって歌っていたのですが、どうも様子が変なのです。さっきまでのしゃべり声が、だんだん小さくなり、しまいには全然聞こえない。「なんだ、静かにできるじゃないか」と後ろをふり返ったら・・・・
さっきまで騒いでいたどうしようもない奴らが、全員目を真っ赤にして、ボロボロ涙を流して、声を詰まらせて大泣きしているではないですか。もう、号泣。一生懸命、歌おうとするのするのですけど、唇が震えてしまって、男の子も女の子も、どうしようもないくらいでした。
きっと彼らもわかっていたのでしょう。これからは、こんなおふざけももうできない。道は険しいし、社会に出るというのは、一つ上の学校に進学するのとは、わけが違うのだと。今だから、今日までだからできることだったのだと。おかげで、この卒業式は、私にとっても一生、忘れられないものになってしまいました。
・・・学生時代の思い出は、いつになっても忘れられません。その時だからできたこと、その時だから思えたことに彩られ、良かったこと、悲しかったこと、悩み、失恋、友情、馬鹿話、それらすべてがおり混ざって、いま珠玉の思い出になっています。この春、新しい一歩を踏み出す方にも、そうした思い出がたくさん降り積もって、いつか振りかえったとき、笑顔がうまれますように☆
仰げば 尊し 我が師の恩
教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
今こそ 別れめ いざさらば
互(たがい)に睦し 日ごろの恩
別るる後(のち)にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば
朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば