ぬるい!砂糖も多い!

おいしいコーヒーが飲みたい

Weltriese

2017年12月16日 | 日記
各地の神話に、この世界が原初の巨人の体からできあがったというものがあるそうだ。どこからそんな考えが?

未開人はものを列挙したり記憶するとき、自分の体の部分部分に対応させると聞いたことがある。きっと、「この世界」を語るときもそうしたのだろう。頭を指差して「天」、片目を指して「太陽」、もう一方の目を指して「月」、息をフッと吹いて「風」などなどとやっていたなごりが、そういう神話なのではなかろうか。

以前、神話研究で有名なある先生にこの考えを話すと、「なるほど」とだけ言われた。相手をするのが面倒だったんですか、先生…。

「時間的な前後関係」を「因果関係」であるかのようにおっしゃるか

2017年12月15日 | 日記
戦没者たちのおかげで現在の日本の繁栄がある。

…というような主張を聞くことがあるが、さて私にはこれが分からない。「おかげ」って?

身命をなげうって存亡の危機にある国を救ってくれた、ということか。足掛け15年におよぶ昭和の戦争って、日本にとってそういう戦争だったっけ。…あ、「そういう戦争だった」と、言外に主張してらっしゃるのか。(負けたんだから「国を救った」わけではないように見えるが、国体は護持されたし。)

そんなことを言うつもりではない、ただ、召集されて戦場で命を落とした人たちを忘れないでほしいだけだ、ということかもしれない。もちろん死者を悼むのは当然のことだし、悼むことが「分からない」というならそいつは人でなしだと思う。

ただ、悼むことのうえに何か「意味」をかぶせて、しかも「現在」に結びつけることには、どうしても「死者の存在を振りかざして他人をしたがえようとする意志」みたいなにおいを感じてしまうのです。私ひねくれてますかね。

匈奴=フンには異論も多いらしいが

2017年12月14日 | 日記
近頃は中学校の教科書など見ると、たとえば毛沢東にはマオ・ツートンと振り仮名がふってある。固有名詞は本来の担い手のものになるべく近づける。良いことだ。

歴史上の民族名や固有名詞で、匈「奴」とか鮮「卑」とか、ひどい字をあてたものがあるが、こういうのも本来の持ち主の顔を立てて、何とかしてあげるべきではないか。私は小学校で初めて歴史を習ったとき、「邪」馬台国の「卑」弥呼に、だいぶ引っかかりを覚えましたよ。

かつてはほかに選択肢がないまま漢籍にならっていたわけだが、原音を再建してカタカナ表記にしては(せめてそういうルビをつけては)どうだろう。「匈奴」よりも「ヒュンヌ」の方が「フン族」にふさわしい。

アムール川が見たい

2017年12月13日 | 日記
シベリアで暮らしてみたい。

長い冬の長い夜に、温かい部屋で、ロシア式の紅茶や、バラライカとロシア民謡や、ロシア文学や、すれていないロシア美女たちに囲まれて過ごすのはさぞ楽しかろう。外は真っ白い雪と氷に閉ざされている。・・・いいなあ。

ずっと昔、はじめてシベリアに住み着いたマンモスハンターたちも、長い冬の長い夜を、温かい家で温かい服を着て、たっぷりたくわえた肉や油脂を少しずつ消費しながら暮らしたのだろう。

そのころはロシアンティーやロシア文学はなかったはずだから、何をしていただろう。千里眼とか前世の想起とか幽体離脱とかの技を競い合ったりしていたのではなかろうか。おお、そういえばあの辺りはシャーマニズムが盛んな土地柄。あれは、そういう古いふるい歴史に培われたのだな。

たかがラーメンと言ってはいけない

2017年12月12日 | 日記
ラーメンを食べている女の人は見たくない。右手に箸、左手にレンゲをもっている。あれはたぶん、汁がはねるのを防ぐために、ちまちまうじうじと食べるためにやっているのだろう。それはきっと彼女らにすればしかたないことなのだろう。でもそんな食べ方見たくない。

それ以上にいやなのは、右手の箸で麺を食べ、続けて左手のレンゲでスープを飲むというやつ。あれ、すごく意地汚く見える。ある女の人にそれを言うと、「じゃあどうすればいいの?」と、真顔で聞き返してきた。

持ち替えたらええやないか


・・・さて諸君、上に引いた文章が20世紀の末に公開され、いわゆる「レンゲ論争」を巻き起こしたのである。何度かの公会議のすえに、持替派は異端と認定された。持ち替えの教えを奉じる人々は、国外に退去した(現在、雲南省とメキシコとで布教している)。帝国内で持ち替えをこっそりとでも実践すると、思想犯として特高に検挙される。ネットに顔と名前がさらされるよ。

大東亜戦争あれこれ

2017年12月11日 | 日記
大東亜戦争緒戦の快進撃は、航空戦力の使い方の革新によるところが大きいらしい。空からの攻撃で戦艦が沈められるなどと、当時だれも思っていなかったそうな。ナチスの場合は、たぶん機甲師団を前面に押し出したのが革新的な戦い方で、それがやはり緒戦の破竹の進撃につながったのだろう(私はこの機甲師団というのを「貴公子団」だと思っていたことがある。恥ずかし)。

そういうことも歴史のひとつの動力なのだから、世界史の節目節目の「革新的戦法」を知りたいものだ。


大東亜戦争の緒戦を大勝に導いた航空戦力の花形は、もちろん零式艦上戦闘機である。零戦が完成したのは、日本の技術者が超超ジュラルミンを開発したおかげらしい。なるほど、「素材」の進歩にも要注目か。そう言えば連合国の方では、化学繊維の開発で世の中を変えていたデュポン社が、第二次大戦の飛行機乗りのためにパラシュートを製造したということだ(NHK「映像の世紀プレミアム第五集」)。そういう観点から、戦史、世界史を通覧したものが見たいものだ。クルップ社の鉄鋼とか、世界を変えたはず。


連合国のパラシュートがデュポンの化学繊維製だったのなら、大日本帝国の「空の神兵」はどんなパラシュートを使ったのだろう(「空の神兵」とは、大東亜戦争緒戦でインドネシアの油田地帯を占領した日本の落下傘部隊)。まさかアメリカからの輸入品ではあるまい。化学繊維を自分たちで製造できていたのか。それとも日本軍のパラシュートは、輸出先がなくなった国内の絹製品だったりしたのか?まさかね。


大日本帝国が東南アジアに進駐したときには、落下傘部隊やら銀輪(=自転車)部隊やらが活躍したわけだが、どれも当時の人々が目を瞠るようなインパクトをもっていたのだろう。「見かけの強烈さ」は侮れない。というより、世の中を動かす。進駐された側の人たちが、そこから何を受け取って、戦後にかけてどうしたのか、というのも知りたいところだ。

民族の祭典でジークハイル

2017年12月10日 | 日記
日本書紀など眺めていると、古代の日本の天皇は、蝦夷とか隼人とか種子島あたりの人とかを、自身の徳でもって帰服せしめる、というポーズをとっていたようだ。島国の中で、中華帝国のミニチュア版を気取っていたわけか。


時代がずっと下って東京王朝の世になると、大和民族だかなんだかが出現した。つまり、日本は単一民族国家であるぞよ、ということになった。

で、驚いたことに、昨今では中国の方が日本を真似たかのように、あの大きな国土に住む多様な諸民族を「中華民族」でひとくくりにするようになった。無茶するな、と言いたくなるが、実は日本人はとっくに同じ無茶を押し通しているのかもしれぬ。

この無茶を上手に破綻させた先に、ましな未来があるように思うけれど、東京王朝にも中国共産党にもそれはお気に召さないでしょうな。国家反逆罪だか治安維持法だかにひっかかるかもしれん。

高須さんもびっくり

2017年12月09日 | 日記
「組織人としての無責任さに慄然(りつぜん)とする」と、ある人が吐き捨てたそうだ。立場が変わってから、それまで身を置いた「組織や政治の決定に反旗を翻」した人に対してである。「個人の思いと組織の方針が一致するとは限らないが、最後は政治の判断に従うのがあるべき姿」なのに、後になって“自分は反対だった”とは。「嫌なら…現役時代に戦うべきだった」。

2017年12月8日の産経新聞の記事の要約。「 」は記事本文からの引用(本当です)。


これ、大東亜戦争とあの人についての記事ですのよ。

牧野の戦い

2017年12月08日 | 日記
古代の出来事を伝える史書の、虚実ないまぜとおぼしい文章を読むのには独特の楽しさがある。王朝の始祖が卵から生まれた人間だったなどという神話伝説から、徐々に話のトーンが史実の色合いを濃くしていく呼吸がたまらない。

殷や周の「歴史」もその一例で、現代語の訳と註の助けを借りて書き下し文を読むと、なんともうれしくなる。

殷の最後の王、紂は悪逆非道の王だったと史書は伝えるけれど、もちろんこれには周王朝からの潤色があるに違いない。紂が打倒され殷が滅んだ牧野の戦いも、おそらくドラマチックに脚色されているのだろう。ただ、とりわけドラマチックな場面、紂王が最期に「宝玉を衣(き)て自ら焚死」したというのは、これはどうしても本当のことに思えてならない。

なぜと聞かれても困るのだが、これはきっと本当ですよ。

紅白敗れたり

2017年12月07日 | 日記
大晦日の民放地上波テレビといえば格闘技中継が名物だが、今年の目玉は何と言っても大谷翔平VS日馬富士60分一本勝負である。

大谷選手、野球では2016年がピークであった。その後アメリカに渡ったりしたが成績らしい成績は残せず、昨シーズンで引退、今年格闘家への転身を表明して世間を驚かせた。そして大晦日がデビュー戦なのだ。

対する日馬富士。こちらは格闘技の世界に入ってはや3年、スピード感のあるハイセンスな戦いぶりで、高い人気を誇っている。

日馬富士有利と予想する声が多いが、何が起こるか分からないのが勝負の常、今から楽しみですね。