逢う
すこし旅人でゆれている
行先ナビゲーターが
速くておいつけない
田舎の街なのに
いくつものかどをつかまえて
くどかないと
場所が浮いてこない
やがて迷路にはいったらしい
家並みがなくなり
いちめんの草原だ
ひとひらの花もない
いくどとなく川をわたる
ぐるぐる草原を描く絵
逢えばちいさい奇跡になる
草庵はいまもあるはず
鰐革の花生けと水中花と
土器色のカップ
いましばらくは
迷路の中をつたって
彷徨うべきだ
諦めは破ろう
逢う
すこし旅人でゆれている
行先ナビゲーターが
速くておいつけない
田舎の街なのに
いくつものかどをつかまえて
くどかないと
場所が浮いてこない
やがて迷路にはいったらしい
家並みがなくなり
いちめんの草原だ
ひとひらの花もない
いくどとなく川をわたる
ぐるぐる草原を描く絵
逢えばちいさい奇跡になる
草庵はいまもあるはず
鰐革の花生けと水中花と
土器色のカップ
いましばらくは
迷路の中をつたって
彷徨うべきだ
諦めは破ろう
幸福論
生態系のように
頂点を描くと
脳
それを珠玉のように
さしあげるのは
その忠実な兵士たち
かつがれている
自覚から
解放されることは
死にいたるまでお預け
朝いきなり年月日時をつかまえる
夜は夢のデスクで揺れねばならない
さて人情は
赤い花か白い花か
どちらだろう
デジタルとアナログ
どちらだろう
あたたかい、といえば
赤い、がたちこめて
人は涙をけさない
真っ赤に燃える天空から
手をつたってくるぬくもりが
おもわずふれたように
むせぶ肉体
さしあげられた頂点は
ざわめいているのか
いきてゆくのは
葦ではなく
もえる藁かもしれない
冬
あなたはじっとしていて
小雪のひどい顔
まあ、庭へういたまま
落ちてゆく最後の枯れ葉
八つ手の白い花
かくれている山茶花
沈丁花の春待ち傘
南天の梢のばして檸檬色
こんどはさっと笑った小雪
指の先から冷えてくる
コトシからライネン
混ぜ合わしてみても
冬景色惨憺
かきけして
春のデスクトップの
イルミネーション
白いあしもとで
小雪が粉になる
春の日のままの部屋から
夏の日のままの部屋へ
秋がたちこめてくるのを
さみしくおくり
いま
冬が通過している
E135°51′N35°01′のままの位置
日記の天候には
小雪の似顔絵を描いた
闇夜に月
ねがったリ
かなったり
これはじつにラッキーだ
とおもいきや
突然の想定外の暴露記事
いや、八角でなくて発覚
凄いものが、ばれて
人心を混乱させる
でも、なにはともあれ
あしもとはあかるくなって
やりなおしができるから
結構なことではないか
ナイチンゲールが
そそと囁き円月が闇夜をてらす
月光仮面だ
正義の味方だ
ナイチンゲールって
夜に鳴くの?
ああ、夜鳴き鶯は
ヨーロッパにすんでいる?
でも、せめて浮世のにが笑い
清めてほしい
その美声
月夜の晩にはねむらないで
いとしいナイチンゲールを探しましょう
時間と時計
時間ってなんだろう
むかし天文学者が天体をながめ
頭の中に描いたのが
回転運動
世界は開店そうそうに
回転しだしたと判断したのか
そして数字のうえを回る
短針と長針を
さんざん苦労して
アナログ時計を
いまはデジタル時計を
生産した
どちらにしても
数字と回転で
日が昇り
日が落ちて
という身近のことで
世界を整頓しているが
時間だけで
整頓できるような世界はない
といっても
時計的時間がないと
物事の区切りがつかない
次の電車がいつくるのか
わからないと
あのひとがいつくるのか
わからない
時代の矛先
皇紀とは
ひかった
矛先?
それとも頑丈な矛盾?
天土(あめつち)の神楽(かぐら)唄(うた)を
十二の春に唄い
衆人のさなかで
はなやかに
紅白の衣を着た少女の振る鈴の音が響いて
玉砂利の音と交錯した
それから不吉なことばかりがおこり
なにはともあれ
お金がたくさん必要になり
それも、必要以上に
音のする硬貨などは眼もくれないで
火をつければ燃えてしまう
高額紙幣争奪戦がはばかり
皇紀などは
羽を折られた鳥となって
きえさったのだが
時代の感情は
羽毛が風に舞うように
七転八倒したうえに
通りすぎねばならない路上に
不気味な怪獣の世界をかもしだした
(註)1940年を皇紀2600年として全国で祝賀会が催された。当時は氏神さんが敬愛され、神道が隆盛、小学生も参加した。
メディア論
これは
サーカスの
空中ブランコだ
人々のインタレストを
釘付けにしようと
巧まれた未詳と真実の距離を
落下するというハラハラとドキドキと
セフティーネットのないままに
センセーショナルにはじまり
いつのまにか中断してフェードアウトする
人々を手放さないインタレスティング
政治、経済、自然、歴史、旅行、芸術、の
授業の放課後の教室に生徒がいのこって
ワイワイさわいでいても
快楽の仮面をつけてさえいれば
メディアは嬉々として戯れる
メリットとデメリットを両手にして
空中ブランコをみせつける
いつの間にかデメリットの雲が
メディアの空を覆うと
虹が黒雲に衣装替えして
ステージはずぶ濡れ
翌日
雨上がりの空がキラキラすると
また、空中ブランコがはじまる
それでも人々は
いつかはてにできるであろうと
まばゆい名画をゆめみるのだ
レオナルド・ダビンチは
なかなか絵を描かなかったと言われている
いちにち
晴れから曇りになるように
気分はいつもおちつかぬ
お部屋のなかでテレビみて
テレビをけしてお部屋をでて
キッチンにいってコップをもち
ミルクをいれてのみほして
のどがひんやりなっちゃった
コップを洗って棚に置き
それからそれからとお部屋にもどり
またテレビをつけてなにかをみて
そのまま白紙に絵をかいて
なにかわからぬ絵になって
もういちまいの白紙には
なにを描こうかまよってる
そのうちほんとに曇ってきて
雨がふってきそうになり
絵の事忘れて窓のそと
ちらちらとみてふるのかな
ふったら買いものめんどうだ
今のうちに買いものを
とおもうだけですわりこみ
パソコンで字をかいて
あたまをつかっているうちに
ああお昼ご飯はまだだった
いそいでレンジで冷凍の
ピラフをとかして
インスタントのポタージュを
あいてに昼ごはん
そうこうしているうちに
日がくれはじめてうす暗い
街並ながめて
日が暮れて
今日も残りが少なくて
殆ど今日は終了で
お部屋にごろんとよこになる
天井みあげてみたけれど
そこにはなにもあらわれぬ
それからどうしたかわからぬが
すっかり闇夜がいばってる
ある日とその日
ある日
だれかが微笑んだ
そんな気がする時がある
偶然か必然かは問題ではない
こころの殻がそっと割れて
零れ出した綺麗なメロディー
ある日
だれかが哀しんだ
そんな気がする時がある
偶然か必然かは問題ではない
いのちの器具が壊れかけて
おし出された悲痛なシンフォニー
ある日
だれもがおおらかに笑った
そんな気がする時がある
偶然か必然かは問題ではない
世界中に焼きたてのパンの香りが満ちて
人類がほんとうの空腹にきづいたスメロビジョン
ある日
その日が
大空に満ち溢れる
カタストロフィーであっても
いいのではないだろうか
そんな気がする
アカサタナハマヤラワ
アカサタナハマヤラワ
赤く咲いた名前は
ま、やわらかに、だいじにして
ラックの輪にしておきましょう(*)
イキシチ二ヒミイリヰ
行きしなに血のような秘密を
箱にしまって
はいっていきましょう
ウクスツヌフムユルウ
うっかり
すっと縫うと
夢がゆるんでしまいますから
エケセテネへメエレヱ
絵をけさないで
手にしたら
変な眼のあたりにいれときましょう
オコソトノホモヨロヲ
起こさないと
なおもよろこび
大きな樹になると思ってみましょう
ン
なにかいわしゃんしたか?
(*)ラックはラグビーで地上にあるボールの周囲に両チームのプレイヤーが
立ったまま密集している状態をいう。
らしい僕
僕がぼやけて
あっさりとすがたをけし
本になって
図書館にいる、と
さる人が
つい、さっきおしえてくれた
ポスターにも蜘蛛のデザインで
発表されていると
僕は蜘蛛の巣になっているらしい
細い糸の手足をのばして
大の字になっているらしい
そのポスターは
いつか、想いが痩せた日に
僕が描いたものらしい
らしい言葉ばかりが吹いてくる
それは僕の好きな、らしい言葉
らしくないより、らしいほうが
僕は好きだ
ひとは、らしいのではなく
明確な手足をみる眼をもてという
その手足、どんなもの?
蜘蛛の巣でゆれているらしい
僕の手足
たのしいらしいよ
きもちよく、酔っているらしいよ
小さい池
江戸時代から
埋められもせず
澄んだり濁ったりしながら
その池はいまもある
アメンボウの家族が
太ったり痩せたりしながら
池の主になっているだけ
ほかのいきものはすみつかない
たまにゲンゴロウがニサニチいたが
すみにくいのかすぐ立ち去った
さいきん、波紋を描くアメンボウが
ひとりになっているらしい
まわりの立木が切りとられ
この池がめだちはじめ
将来、いよいよ埋められるらしい
一疋残っているアメンボウ
じつとその日をただまつている
それでもせっせと波紋を描きながら
ひとりで、我が物顔は失はないで
夢うつつのような
波紋とあそんでいる
テナー・サックス
ヘビがはうような
スローテンポで
テナー・サックスが
奏でる音色が
ちいさな旅をする
小春日和の
誰かの家の
ベランダのうえの
丸テーブルのうえの
まっ赤なワインのよこの
眠っている小皿のうえの
すこし目覚めかけた
レタスとパセリのよこの
シナモンの粒と
それをきせられた
薄いポークのロースハムに
やっとたどりついた
テナー・サックスの柔らかい音色
いきものはワインをのんで
酔っぱらい
眼をとじてねむっている
なにもかもがいいしれぬ様子
なにもかもがよこたわっている
ただ、よこたわっている
音色の魔法が
すべての欲望を眠らせている
つぎにくるはやまわしの世界のために
つぎにくる軽率なテンポのために
村
ようやくついた
その村は全体が
左右対称性でできていて
上下もそうなっていて
なんていったって
それは、鏡の村?
鏡ではないのだ
はじめてのひとは
まよってしまうので
村の中心にヤグラがたててある
けれども右から左をむいたとたんに
あたまのさきからあしのさきまで
たとえば右目が左目になり
右足が左足になるので
しるしをつけておかないと
自分の右目はほんとうはどっち?
自分の右足はほんとうはどっち?
そんな不安に襲われる不思議な村です
鏡の国ではないから周囲は解放されている
左右はわかったが、でわ、上下はどうなっているの?
両方とも空だったらシュールレアリスム
下の空から上の空をみあげることだってできる
両方とも大地だったらファンタジー
上の大地から下の大地をみおろすことだってできる
そんなながい夢を
夕べから朝がたにかけてみてしまった
眼が覚めたら何所にいるのかわからない
たしかに夢のような夢の村にいるはずでしたが
遠い日
あのあたりからはじまっている
すこしおおげさな遠近法で描いた
そして、俯瞰の絵
好きな色のぼけた
霧がたちこめているあたりが
遠い日だ
もう、ていねいになって、みても
古い障子紙にしかみえない
さわったらぼろぼろ崩れるだろう
微風のテロに破壊されるだろう
いまはまだ色々がたちこめて
あるようにおもっているだけ
きょう、おもいたち
破壊する
なにを?
さっきから、申している、遠い日を
ちかばは花になってもらう
デザインは嫋にしよう
まあ、それで、みがるになって
イマだけをのばしていきましょう
寺院の回廊のように
ぐるぐる聲をのばして
あたりいちめん
岩に穴をあける
雫になりたいので
かみひとえですが
イマだけですから
なんとかつぎたして
ああ、蜥蜴の尻尾のこと?