デジブック 『むかしの映像』
むかし、カメラと一緒に、ブラブラしていたころの映像を、
デジブックにしてみました。 ご覧いただければ幸いです。
居間塵
デジブック 『むかしの映像』
むかし、カメラと一緒に、ブラブラしていたころの映像を、
デジブックにしてみました。 ご覧いただければ幸いです。
居間塵
ブルーなグラスよ
きみたちは ビジュアル・ランゲージ
なんにんの ひとびとの 手のなかで
かわされた言葉を どれだけ記憶したか
そして どこまで 理解したか
われんばかりの拍手をきいたか
それとも おだやかな なごみのなかの
針のように突き刺さる 寂しさに耐えたか
あるいは おともなく しずかに
かわいた喉をうるおわしめて
美しい言葉の物語をたのしんだか
あおく かがやいているのは
やはり ひとびとの
いいえぬ思いの なごりなのか
※フォトは震災前の神戸、北野のとあるハウスで撮ったものです
ある日 僕は
都会の繁華街をゆきずりに
とおった
あふれて
こぼれて
ほこりまみれになって
物という物が
人間の欲望を
写しだしていた
ぎしぎし
がりがり
ばらばら
時には
軍隊のように
整列して
どうしようもなく
やるせない政策のような
ラッパが鳴り響いている時もあった
突然 地方の商店街の風が
ひんやりとして
僕のなかをふきすぎていった
が
目前にするものは
乱雑の展示と
あと少しの享楽をにおわせた
物品たちの囁きであった
人波は途切れずにやってきて
当然のように
僕をかるがると
飲み込んでいった
舌鼓(したづつみ)をうちながら
名前のない花よ
生れはどこだ
おいたちは
恋われてひとすじの
ラッキーな日々だったか
その細い茎は
風雪に耐えたか
倒れるまで 倒れなかったか
称賛されたか
短いといわれる いのちのあいだに
ほんとうか
おまえに はげまされて
ぱっと光がその人をだきかかえて
幸せという草原へはこんだのは
みえるものだけではなく
みえないものもふくめて
幸せとよぶのだろうか
そなたの名前を
みつけよう
どんと 一滴
うけとめて
この ひとかけらの雫
まだ 消えるな
これから
なにがはじまるのかを
みとどけて
みんなのところへ
とびちっていけ
旅
そんなに 陽気でもない日に
ぼくは 旅にでた
古い駅についた
人は見当たらないちいさな街
たとえであえたとしても
こんにちは
おはようございます
こんばんは
なんて いいっこないだろう
さいしょに 見つけた のはらで
ゆっくり あおむけにねころんで
ゆめ まぼろし それから なにをみるのだろう
スクラップをひらいて
はりつけた 一日 一日 をはがして
みのまわりを 紙の数いっぱいの世界に変え
すずしい顔をしてたちさるだろう
すきな音楽だけを聴いて
目をとじて
音の底に自分を鎮める
ふらふらと 手と足が
むなそこで ゆらめいて きもちがいい
スローモーションの映像をみているようだ
月にのって
空のおくまでつれてゆかれ
ドンドン底のない空に
じぶんを
ゆっくり とかしてゆく
そういう旅なら いくらでも