神の言葉と禅の言葉
神の言葉は
ジャーナリズムのようだが
禅の言葉は哲学のようだ
ゼロであってゼロでないという
両面鏡の世界である
広いのっぱらで雷鳴轟く
恐怖と無頓着と平静と
あらゆる心情の渦巻く世界の果てまで
おのれを持ち歩いて
泥まみれや深い落下に耐え
見えない糸をみつけねばならない
心魔 そう呼ぶことにする
神の言葉は西洋の言葉だ
優しいのである
暖かいのである
禅の言葉は東洋の言葉だ
辛辣である
温度はないのである
でも
西洋も東洋も
いれかわることもあるのである
こうやって
いつまでも
両面鏡を
表 裏 とみているうちに
どちらが表で
どちらが裏か
わからなくなるのである
たとえめじるしつけておいても
そうして
そのうちに
胸につかえてくると
みんな吐き出すのである
吐いたあとには
悪酔いからぬけだしたように
すっとするのである
だが
いつのまにか
また
言葉 言葉 が
空っぽの胸に
侵入してきて
侵略されるのである
自国か他国か分からなくなるのである
世界はひとつという
帝国ができて
人は
ひれ伏すのである