世界遺産・御所野(ごしょの)遺跡。御所野縄文博物館。岩手県一戸町岩舘字御所野。
2022年10月4日(火)。
配石遺構配置図。左が西側、右が東側。
縄文時代中期半ばの円筒上層d・e式あるいは大木(だいぎ)8a式土器が用いられた時期に、この台地上の東側・中央・西側の三地点で人々の居住が始まる。中期後半の大木8b式期になると、中央地点に環状配石遺構群とよぶべきものや盛土遺構が新たに構築され、集落は盛期を迎える。
環状配石遺構群は、広く削平した中央地点の北部に東西80m、南北50mの範囲の中に東西2基並べられていた。いずれも中央に広場を擁し、順に墓穴と配石群、掘立柱建物群が取り巻き、それぞれの規模は東側が長径約50m、西側が約40mの楕円形となっている。
東側のものは、中央に長径10数mの楕円形の広場をもつ。墓穴は長径1mほどの小判形のもので、それらが20基ほどずつ群をなして10か所ほどにまとまって分布していると考えられる。墓穴群の上には同じく10か所ほどの配石が構築されている。
配石の型式は、径2×1mほどの楕円形に人頭大の石を組み長軸の一端あるいは両端に立石をもつもの、縁を敲打した長方形板石に赤色顔料を塗布して立石とし根元に小型の河原石を配したもの、長径5〜2mほどの楕円形サークル状のものなどがある。安山岩を用いることが多く、チャート、花崗岩、砂岩も用いられている。
環状配石遺構群と盛土遺構は、本遺跡で最も中枢を占める台地中央部の幅の広い平坦地に営まれ、その設置のために大規模な土木工事が実施された。また盛土遺構には膨大な遺物が持ち込まれ、火がたかれ、木の実や獣骨が焼かれ、祭祀が行われた可能性がある。
これらは中央地点の重要性を示し、縄文時代中期後半の集団にとって送葬儀礼や、祭祀が重要であったことを表している。さらに二基の環状配石遺構群が並列して配置され、集団が中央地点と東西の三か所に別れて居住した集落の構造は、北海道・北東北の円筒土器文化圏と南東北の大木土器文化圏の接触地帯における双分制など集団構成の原理を具体的に明らかにしうる可能性をも示す。
縄文時代中期末になると、一か所に集中していた縄文集落が分散しはじめ、御所野遺跡からも周辺の集落に分散するようになったが、御所野遺跡の墓や祭祀の場は機能し続けた。
後期になるとさらに分散化が進み、集落間の共通のモニュメントとして秋田県大湯環状列石のような大型のストーンサークルが造られるようになる。
花崗岩の巨石。長さ1.3m幅0.7m厚さ5cmの板状の花崗岩。一部に赤色塗料が付着。