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いちご畑よ永遠に(旧アメーバブログ)

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山形県鶴岡市 古代鼠ヶ関跡 義経・弁慶上陸地

2024年11月06日 09時08分02秒 | 山形県

古代鼠ヶ関址及び関戸生産跡。鶴岡市指定史跡。山形県鶴岡市鼠ヶ関丙。

2024年9月11日(水)。

道の駅「庄内みかわ」で起床。飛島へは12日に行くことにして、本日は鶴岡市域を見学することにした。クラゲで人気のある加茂水族館は9時開館なので、それまでの時間に新潟県境にある古代鼠ヶ関址を見学しておくことにした。

日本海沿いの国道7号を南下すると、降雨帯に遭遇したが一時的なものだった。国道から日本海側に入り、8時20分ごろJR羽越本線鼠ケ関駅線路沿い海側の道路を南に進むと民家の先に古代鼠ヶ関址の案内板があった。

古代鼠ヶ関址は、古代東北の三関である菊田の関(勿来の関)、白河の関と並んで奥羽三大古関のひとつであり、平安中期から鎌倉時代初期まで存在した関門と考えられる。能因法師歌枕のねずみの関、吾妻鏡の念種関、義経一行が上陸した義経記の念珠関として有名である。

現在の県境付近にあったことが発掘調査で確認されており、山形県側のA地区から製鉄址(10-11世紀前半)、新潟県側のB地区は土器製塩址(9-11世紀)、C地区は平窯址(10-11世紀初)、D地区は千鳥足走行型柵列址(11世紀末)が発掘された。

鼠ヶ関については、古代には潟湖があり、古くから港津として利用されて、砂丘の上には漁村があったという。

蝦夷に対して置かれた城柵の一つである7世紀中葉の都岐沙羅柵(つきさらのき)が鼠ヶ関周辺にあったのではないかという説があるが、否定する意見が多い。

なお、近世念珠関址は、現在の県境より1k mほど北にあって、1872年(明治5年)に廃止されるまで北国街道と羽州浜街道の境にあり、江戸時代、酒井氏が当地に入部した1622年以降、移転・整備された関である。

線路を越えた丘陵末端にある八坂神社方向。

海側の道路には新潟県との県境標石がある。新潟県村上市伊呉野と接し、全国的にも珍しい「漁村の集落の中に引かれている県境」である。

山形・新潟県境は明治初年のとき、作為的に設定されたもので、県境は海岸に迫った低い丘陵末端の八坂神社前の鳥居の向かって右の柱からほとんど直角に折れて日本海海岸に延びている。

古代の越後・出羽国境は八坂神社のある丘陵末端と弁天島を結ぶ線であった。古老の話では、出羽・越後の国境は現在の県境からさらに、北方に後退したところにあった。今日の山形・新潟県境は戊辰戦争当時の庄内藩が政府軍を迎え撃つため最前線基地として、砲列を敷いた場所が今日の県境となったという。

 

このあと、加茂水族館へ向かった。

山形県鶴岡市 東田川(ひがしたがわ)文化記念館 旧東田川郡役所・旧東田川郡会議事堂