
北海道大学総合博物館。札幌市北区北10条西8丁目。
2022年6月23日(木)。
北大生協中央食堂でスープカレーを食べてから、11時30分ごろ北大総合博物館へ向かった。
重厚感のある建物は、1929年に建てられ、1999年まで理学部本館として使われていた校舎を利用している。140年以上前に札幌農学校として開校して以来、収集・保存・研究されてきた300万点以上にも及ぶ標本や資料を蓄積。成雄ホルスタインの巨大な骨格標本や、マンモスの実物大模型など見どころが満載。標本を見るだけでなく、標本に手で触れて「感じる展示室」や、床を足で軽く蹴るだけで振動をキャッチする地震計の展示、研究現場を垣間見る「ミュージアムラボ」など、好奇心をくすぐる様々な展示が揃う。更に、2016年7月のリニューアルにより、12学部の教育研究内容がわかる展示が増えたほか、軽食やお酒を提供するミュージアムカフェも新設された。
「古生物標本の世界」展示室。
「考古遺物の世界」展示室。オホーツク文化の土器と香深井(かふかい)村のジオラマ。
「考古遺物の世界」では、「謎の海洋狩猟漁労民」とも呼ばれるオホーツク人の残した遺物を展示している。これらの遺物は、オホーツク人の謎の解明に大きく貢献した礼文島の香深井1遺跡から出土したものである。 オホーツク文化は、本州における古墳時代の半ばから鎌倉時代(4 ~ 13世紀)にかけて、オホーツク海の南半沿岸一帯に展開した文化です。オホーツク文化の遺跡は砂丘や海岸段丘上に位置し、オホーツク人が海と強く結びついた 生活を送っていたことがよくわかる。オホーツク人の由来は諸説あるが、人類学的な分析からは現代のアムール河下流域に住むウリチ民族などの人々に近いとされている。
北海道大学では、1966年に開設された「北海道大学文学部附属北方文化研究施設」において、オホーツク文化の本格的な研究がスタートした。北方文化研究施設が1969年から1972年に調査した遺跡が礼文島の香深井1遺跡である。礼文島は北海道の北端・稚内の60kmほど西にある島で、レブンアツモリソウなどの高山植物が平地でもみられることで有名である。
香深井1遺跡の調査では、オホーツク文化の前期から後期までの数百年にわたる厚い文化層の重なりが発見された。土器や石器、骨角器、貝や動物骨などたくさんの遺物とともに、オホーツク文化の竪穴住居址6軒と墓 3 基などがみつかった。
これらの遺物や遺構の詳細な分析から、世帯あたりの占有面積や集落全体の世帯数・人口、漁労を中心とした生業の季節的なサイクル、ヒグマやクジラを対象とした祭祀、石器や鉄器の素材あるいはヒグマやシカなどの動物の交易など、香深井1遺跡にあったオホーツク文化の人々の生活や社会の具体的な様子、そしてそれらの時間的な変化が明らかになった。これらの知見は、発掘から50年以上が経過した現在でもオホーツク文化を語るうえで欠かせないものとなっている。
礼文町香深井遺跡群は、礼文島東海岸中部の香深井に位置する。島内では比較的流路の長い香深井川が注ぎ、河口付近には島内の他所では見られない沖積原が形成されている。香深井地区は島内でも特に遺跡の集中する地域の一つで、戦前から遺跡の存在が知られていた。同川左岸の砂丘上には昭和43年(1968)から4年間にわたる北海道大学北方文化研究施設が調査を行ったオホーツク文化期・擦文文化期の集落遺跡である香深井1遺跡には、数世紀に及ぶ詳細な生活の痕跡が残されており、道北のオホーツク文化を代表する集落遺跡とされる。
香深井1遺跡から出土した遺物は、総合博物館の設立とともに当館に移管された。その後、当館の展示資料として活用される一方、学内外の研究者によって最新の研究手法を用いて調査・研究されてきた。
たとえば、展示でも紹介している住居内の骨塚(≒祭壇)からみつかったヒグマの頭骨からDNAを抽出し、現在のヒグマと比較した研究がある。その結果、成獣が道北地方に由来するのに対して、幼獣には道南地方から持ちこまれた個体も含まれることが分かった。当時、道南地方には続縄文文化と呼ばれる別の文化圏の人々が暮らしていたことから、ヒグマに対する畏敬の念や価値観を異文化の間で共有していた可能性が考えられている。