1970年代後半、イギリスではパンク・ロックムーブメントへの反動から、シンセサイザーやリズムマシンなどの電子楽器を取り込んだニュー・ウェイヴへと移行していった。アメリカではパンクはあまり受け入れられず、ディスコサウンドや大物ロックバンドが主流であった。
1981年、アメリカで音楽専門のケーブルテレビ局MTVが開局し、楽曲の新しいプロモーション手段としてミュージックビデオが登場する。イギリスのアーティストが続々とアメリカに上陸し、3年ほどに渡って全米のヒットチャートを席巻、そのブームは世界中に広まり、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンといわれる。
1980年代前半のイギリスのバンドではデュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、ヒューマン・リーグ、ワム!などがその代表で、彼らの先輩格であるデヴィッド・ボウイやブライアン・フェリーらも加わった。
主にニューロマンティック系と分類されるアーティストが多く、どちらかというと音楽性よりもビジュアル面で人気を博した。先鋭的ながら軽くポップで親しみやすい音楽性、趣向を凝らしたミュージックビデオ、最先端のファッション、汗臭さや男臭さを排除したユニセックス的なイメージは、長髪のむさ苦しいロックミュージシャンやワンパターンのディスコサウンドに飽きていたアメリカのティーンエイジャーの心をつかんだ。
ニューロマンティックのサウンド面は、基本的にはシンセサイザーを多用したエレクトロ・ポップが主体である
ユーロビートとも影響しあい、デッド・オア・アライヴ「You Spin Me Round」(1985年)やシニータ「トイ・ボーイ」(1988年)が生まれた。
正統的なロックではティアーズ・フォー・フィアーズ、クラウデッド・ハウス(オーストラリア)も活躍した。
ヒューマン・リーグThe Human Leagueは1977年にフィル・オーキーを中心に結成。ニュー・ウェイヴのブームの中、シンセサイザーとシーケンサーによるテクノポップのユニットとして活動する。1979年にデビュー。
「Don't You Want Me」が、1981年に全英1位、翌年に全米1位を記録した。ミュージックビデオによるプロモーション戦略により、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの先駆け的存在となる。1986年にはジャム&ルイスをプロデューサーに迎えた「ヒューマンHuman」が再び全米1位を記録した。
ベストヒットUSAで、ヒューマン・リーグを認識したのは、リアルタイムで「ヒューマンHuman」が先で、「Don't You Want Me」はあとで知った。
「ヒューマンHuman」はキャッチーなメロディが美しく聴き飽きない曲、"only human" and "born to make mistakes "。フィリップ・オーキーのボーカルとジョアンヌ・キャトラルのセリフで男女の不誠実さを告白する内容。
「Don't You Want Me」は男女の掛け合いが面白い曲。I was working as a waitress in a cocktail bar that much is true.But even then I knew I'd find a much better place.Either with or without you.のメロディとEither with or without youの発音が面白い。フィリップ・オーキーとスーザン・アン・サリーの男女ボーカル。ビデオの主役もこの二人。作詞をしたフィリップ・オーキーによると、セクハラ的な歌。