序-1の続きです。参考文献はそちらの記事にあります。なお、序-1で述べたように科学哲学にも色々なテーマがありますので、数学に対する数学基礎論のようなものという意味を込めて科学哲学(科学基礎論)と表記します。科学基礎論という言葉は、このような意味で定着している言葉ではなく、例えば大学教養課程で科学全般の基礎を教えるような科目名などに使われることが多いと思いますが。
他の多くの言葉と同様に科学という言葉にも多義性があり、関連はあるものの言われてみれば明確に異なるいくつかの概念を表す言葉として使われます。例示すれば次のような概念があるでしょう。他にも別の切り口による概念があると思います。
1. 世界を知ろうとする行為[*1]
2. 人類が持つ、世界に関する知見の集積[*2]
具体的には学界に蓄積された知見の集積[*3]
3. 学界の人々が本来の業務として行う営み[*4]
4. 科学知識を利用して作り出された物、道具、装置、手法など、いわゆる科学技術
5. 科学技術を使用したり開発したりできる国力。いわゆる科学技術力。
明らかだと思いますが、本シリーズでは4や5はテーマ外です。そしてもちろん3もテーマ外です。2には1の結果であるという側面があり、両者には深い関連がありますが、本シリーズのテーマの重点はどちらかと言えば1にあります。なにしろ2は結果であり、方法と言えば1のためのものですから。
さて1はずいぶんと広い定義ですが、これはヒトだけではなく学習能力を持つ他種の動物も行っている行為です。その説明はRef-5,2-3章に詳しいです。例えば、水場に行けば獲物のいることが多いとか、人間にくっついて行けばエサにありつけるとか。もっとも特に昆虫や鳥類爬虫類などの多くのように、経験から学んでいるかのように見えて実は生まれつき組み込まれている行動であることも多いですから、拙速な判断は要注意です。さらに動物行動学では、生まれつきではなくとも、いわゆる条件反射と呼ばれる刷り込み行動も"学習"と呼ばれますから、これも要注意です[*5]。
とはいえ進化的に言えば、条件反射も経験的学習の前段階のような気はしますが。
さて説明を簡単にするために人類に話を限ったとして、世界を知った結果、いわゆる知識とか知見とか呼ばれるものは、その多くが「if ~ then ~」といった法則として表現できます。例示すれば、
・物体を押せば動き出す
・日の出日の入りが~回繰り返せば、再び同じ季節に戻る[*6]
・~の症状の人に~を飲ませると改善する。
・虫が低く飛ぶと天気が悪くなる。
・まあ、無数にあるから想像力を働かせてください。
いわゆる技術の伝承と呼ばれるもの、例えばよく切れる刀を作る方法、作物を豊富に実らせる方法、おいしい料理を作る方法、怪我や病気を治す方法、魚や鳥や四足動物などをうまく捕らえたり仕留めたりする方法、その他無数の技術において、集積された知識は多くがこの「if ~ then ~」法則です[*7]。
これら集積された知識が正しいという根拠は、むろんその通りに試してみたらうまくいったという、まさに"観測事実"です。「if ~」という条件を設定してみたら、ちゃんと「then ~」という結果が得られたからです。弟子が師匠から学ぶ時には、この「if ~ then ~」の試行錯誤を繰り返して技術を身に着けていき、集積された知識(一応は言葉での表現)はやっぱり正しいと学んでいくのです。
さてこれらの個別的な法則からもっと広い範囲に適用できる一般則とか原理とか原因とか呼ばれるものを導くこともあります。例えば東洋医学で、「このツボを刺激すればこの臓器に影響がある」という観察事実の集積から、「ツボと臓器との間には何かを伝える経路がある」という一般則、原理、原因というものが導かれました。
影響を伝える何かである気とか、経路である経脈とか、直接見たわけでもないのに、どうしてそんなものの存在を推論できたのかという思考の仕組みも、考えると難しそうですがひとまず置いておきます。経験主義が確立した近代科学以降の科学者であれば、これらの一般則は慎重に仮説と呼んでおくところです。仮説とは、まだ直接的な検証はされておらず本当に正しいかどうかは不明、という意味を込めた言葉ですが、それでも実用上は有用です。なにしろ本当に正しいかどうかは不明とはいえ一般則、原理、原因というものがあれば、今まで観測されたことのない「if ~ 」に対しても「then ~」が推定できて、しかもそれがかなりの高確率で正しいのですから。むろん推定が事実と食い違うこともあり、そうなると仮説が修正されたり、時には完全に覆って別の仮説に入れ替わったりすることもあります。
このように多くの分野で、一般則、原理、原因というものを表す理論と呼べるものが生まれるのですが、理論は、それが予測した「if ~ then ~」的個別知識が観察事実と一致したかどうかという基準で常に検証されているものなのです。しかし、このことが人類にきちんと自覚されたのは経験主義が確立した近代科学以降のことです。それ以前には「昔から言い伝えられてきたから正しい」などという検証方法も実際に観察事実から検証する方法も、同等かへたをすると前者が上くらいの思想も力を持っていました。まあそれにも一理ないことはないのですが[*8]。むろん「論より証拠」とか「百聞は一見にしかず」とか、観察事実の方が大事だということは古くからひとつの真理として知られてはいたのです[*9]。
とにもかくにもフランシス・ベーコンが明文化し、アイザック・ニュートンが実績でその力を知らしめた経験論ないし経験主義(empiricism)というものが明確な方法論として意識されたと言えるでしょう。歴史的見方をすれば、西洋哲学の流れの中に経験主義が誕生したとも言えるでしょう。くどいようですが、それ以前に経験主義が存在しなかったのでは決してありません。経験主義とは近代科学の専売特許ではなく人類の普遍的行動原理、いや学習できる動物の普遍的行動原理とさえいえるでしょう。なにしろ事実を無視した行動は死を招くのですから[*10]。
なお経験主義を明確にした人物としては他にジョン・スチュアート・ミルやジョン・ハーシェル(John Frederick William Herschel)が挙げられます。この二人は内井惣七の本[Ref-2]でも取り上げられていますが、内井惣七『19世紀イギリスの科学方法論』という文献にも書いてあるようです。この文献はURLから見ると大阪市立大学の紀要のようです[*11]。
また人類共通の財産としての科学の発展にとって重要なポイントは、西洋近代において、これらの方法論やそれにより得られた知識などが、「なるべく門外不出の秘密のノウハウ」から「誰にでも公開すべき人類共通の財産」になったことでしょう。もっとも古代ギリシャのポリス時代や中国の諸子百家の時代には既に、学問というものには公共のものという性質が含まれていたと思われます[*12]。
まとめると、理論と呼ばれるものには、法則とか経験則とか呼ばれる「if ~ then ~」型のものと、一般則、原理、原因と呼べるような抽象度が一段高いものとがありそうです。むろん後者でも「ツボを刺激すれば、その刺激は経脈を伝わる」というように、多くの知識は「if ~ then ~」で表現できます。ただしそこに、まだ直接には観測や検証がされていない部分が付け加わります。一番簡単な形だと「if A(条件) then B(原因), and C(結果)」となるでしょう。例えば、A(ツボを刺激すれば)、B(その刺激は経脈を伝わり)、C(臓器に影響がでる)、となります。
既にいくつか例示したような、条件と結果が直接観測できるものから成る「if A(条件) then C(結果)」型法則では、過去の多数の観測で成立していたことからまだ未観測の未来にも成立すると推定します[*13]。この推定方法は帰納法と呼ばれます。
一方、未観測の原因を介在させた理論の場合は、それが正しいのは「if B(原因) then C(結果)」という法則が成立していることが条件です。そしてこの法則は何か別の根拠から推定されていることになります[*14]。そしてB(原因)が存在するという仮説が正しいならばC(結果)が得られると推定する、いわゆる仮説演繹法を使っていることになるでしょう。
このように原因と呼べるようなものを介在させた一般則とか原理とか呼べるような理論は、単なる経験則よりも適用範囲が広くなり、それだけ有用なものになります。それは例えばA(条件)の範囲を未観測のタイプにまで広げるという効果もありますが、「原因に働きかければ目的の結果を的確に得られる」という効果もあります。
続く
----------------------
*1) 主語は示していないことに注意。また世界という言葉で、自然も社会も経済も歴史も、果ては数学的抽象世界も架空世界さえをも含めていることに注意。多くの場合は、架空世界まではさすがに無意識に排除しているだろうが。
*2) 人類限定した点では範囲が狭い。逆に人類の範囲が広くて、具体的にどこに集積されているのかが曖昧。知識ではなく知見としたのは、事実の羅列としての知識だけではなく、法則や理論やメタな方法論なども広く含むという意味を込めている。
*3) 学界とは何かと言えば、とりあえず読者がイメージしたようなものでいいです。その学問の専門家集団とだいたい重なるとみてよいでしょう。特記すべきは、現在のほとんどの国々では多くの学問の基本的知見が学校教育等で全ての国民に伝えられる仕組みになっていますので、特に自然科学系の学界の人類各人の知見に対する影響力はかなり強いものがあります。それゆえ多くの人々は多少とも自然科学系の人という一面があると言ってよいのではないでしょうか?
*4) 本来の業務とはすなわち科学の研究なので明らかに循環的定義である。が、ここはむしろ、科学、または科学活動というものを人々の社会的営みのひとつとして捉えた概念と考えてほしい。序-1で紹介したクーンやラトゥールの仕事はこの一面に焦点を当てたものだ。
*5) このテーマは最新科学のエキサイティングな分野だが、動物行動学・認知科学・脳科学・進化学・人工知能など様々な分野に渡る。
*6) 季節とは何だ、とかの定義も入れたりすればもっとブレークダウンした表現もできるが煩雑なので省略。
*7) 実のところ「if ~ then ~」では表現できない知識を思いつけないのだが何かあるだろうか? 知識ベースはすべてこれで済ませているのだろうし、深層学習で蓄積される知識にしてもそうだろうと思うのだが。まあ"~"の部分が言葉ではなくて画像だったり音声だったりはするだろうが。なお「then ~」のところを正しく確認することも大切であることにも注意。
*8) この一理については、本ブログでもいずれ検討するかも知れない
*9) 論より証拠は江戸のいろはカルタ、百聞は一見にしかずは漢の宣帝の時代の書物が出典らしい。
*10) 常に失敗するわけでもないところが微妙。
*11) このファイルは著作権上ちと怪しそうなので取り扱い注意
*12) 公共の範囲は時代により変化している
*13) 未来だけではなく過去についても、「A(条件)は観測されているから、未観測であってもC(結果)であったに違いない」という推定ができる。
*14) この点については別途また述べるかもしれない。
他の多くの言葉と同様に科学という言葉にも多義性があり、関連はあるものの言われてみれば明確に異なるいくつかの概念を表す言葉として使われます。例示すれば次のような概念があるでしょう。他にも別の切り口による概念があると思います。
1. 世界を知ろうとする行為[*1]
2. 人類が持つ、世界に関する知見の集積[*2]
具体的には学界に蓄積された知見の集積[*3]
3. 学界の人々が本来の業務として行う営み[*4]
4. 科学知識を利用して作り出された物、道具、装置、手法など、いわゆる科学技術
5. 科学技術を使用したり開発したりできる国力。いわゆる科学技術力。
明らかだと思いますが、本シリーズでは4や5はテーマ外です。そしてもちろん3もテーマ外です。2には1の結果であるという側面があり、両者には深い関連がありますが、本シリーズのテーマの重点はどちらかと言えば1にあります。なにしろ2は結果であり、方法と言えば1のためのものですから。
さて1はずいぶんと広い定義ですが、これはヒトだけではなく学習能力を持つ他種の動物も行っている行為です。その説明はRef-5,2-3章に詳しいです。例えば、水場に行けば獲物のいることが多いとか、人間にくっついて行けばエサにありつけるとか。もっとも特に昆虫や鳥類爬虫類などの多くのように、経験から学んでいるかのように見えて実は生まれつき組み込まれている行動であることも多いですから、拙速な判断は要注意です。さらに動物行動学では、生まれつきではなくとも、いわゆる条件反射と呼ばれる刷り込み行動も"学習"と呼ばれますから、これも要注意です[*5]。
とはいえ進化的に言えば、条件反射も経験的学習の前段階のような気はしますが。
さて説明を簡単にするために人類に話を限ったとして、世界を知った結果、いわゆる知識とか知見とか呼ばれるものは、その多くが「if ~ then ~」といった法則として表現できます。例示すれば、
・物体を押せば動き出す
・日の出日の入りが~回繰り返せば、再び同じ季節に戻る[*6]
・~の症状の人に~を飲ませると改善する。
・虫が低く飛ぶと天気が悪くなる。
・まあ、無数にあるから想像力を働かせてください。
いわゆる技術の伝承と呼ばれるもの、例えばよく切れる刀を作る方法、作物を豊富に実らせる方法、おいしい料理を作る方法、怪我や病気を治す方法、魚や鳥や四足動物などをうまく捕らえたり仕留めたりする方法、その他無数の技術において、集積された知識は多くがこの「if ~ then ~」法則です[*7]。
これら集積された知識が正しいという根拠は、むろんその通りに試してみたらうまくいったという、まさに"観測事実"です。「if ~」という条件を設定してみたら、ちゃんと「then ~」という結果が得られたからです。弟子が師匠から学ぶ時には、この「if ~ then ~」の試行錯誤を繰り返して技術を身に着けていき、集積された知識(一応は言葉での表現)はやっぱり正しいと学んでいくのです。
さてこれらの個別的な法則からもっと広い範囲に適用できる一般則とか原理とか原因とか呼ばれるものを導くこともあります。例えば東洋医学で、「このツボを刺激すればこの臓器に影響がある」という観察事実の集積から、「ツボと臓器との間には何かを伝える経路がある」という一般則、原理、原因というものが導かれました。
影響を伝える何かである気とか、経路である経脈とか、直接見たわけでもないのに、どうしてそんなものの存在を推論できたのかという思考の仕組みも、考えると難しそうですがひとまず置いておきます。経験主義が確立した近代科学以降の科学者であれば、これらの一般則は慎重に仮説と呼んでおくところです。仮説とは、まだ直接的な検証はされておらず本当に正しいかどうかは不明、という意味を込めた言葉ですが、それでも実用上は有用です。なにしろ本当に正しいかどうかは不明とはいえ一般則、原理、原因というものがあれば、今まで観測されたことのない「if ~ 」に対しても「then ~」が推定できて、しかもそれがかなりの高確率で正しいのですから。むろん推定が事実と食い違うこともあり、そうなると仮説が修正されたり、時には完全に覆って別の仮説に入れ替わったりすることもあります。
このように多くの分野で、一般則、原理、原因というものを表す理論と呼べるものが生まれるのですが、理論は、それが予測した「if ~ then ~」的個別知識が観察事実と一致したかどうかという基準で常に検証されているものなのです。しかし、このことが人類にきちんと自覚されたのは経験主義が確立した近代科学以降のことです。それ以前には「昔から言い伝えられてきたから正しい」などという検証方法も実際に観察事実から検証する方法も、同等かへたをすると前者が上くらいの思想も力を持っていました。まあそれにも一理ないことはないのですが[*8]。むろん「論より証拠」とか「百聞は一見にしかず」とか、観察事実の方が大事だということは古くからひとつの真理として知られてはいたのです[*9]。
とにもかくにもフランシス・ベーコンが明文化し、アイザック・ニュートンが実績でその力を知らしめた経験論ないし経験主義(empiricism)というものが明確な方法論として意識されたと言えるでしょう。歴史的見方をすれば、西洋哲学の流れの中に経験主義が誕生したとも言えるでしょう。くどいようですが、それ以前に経験主義が存在しなかったのでは決してありません。経験主義とは近代科学の専売特許ではなく人類の普遍的行動原理、いや学習できる動物の普遍的行動原理とさえいえるでしょう。なにしろ事実を無視した行動は死を招くのですから[*10]。
なお経験主義を明確にした人物としては他にジョン・スチュアート・ミルやジョン・ハーシェル(John Frederick William Herschel)が挙げられます。この二人は内井惣七の本[Ref-2]でも取り上げられていますが、内井惣七『19世紀イギリスの科学方法論』という文献にも書いてあるようです。この文献はURLから見ると大阪市立大学の紀要のようです[*11]。
また人類共通の財産としての科学の発展にとって重要なポイントは、西洋近代において、これらの方法論やそれにより得られた知識などが、「なるべく門外不出の秘密のノウハウ」から「誰にでも公開すべき人類共通の財産」になったことでしょう。もっとも古代ギリシャのポリス時代や中国の諸子百家の時代には既に、学問というものには公共のものという性質が含まれていたと思われます[*12]。
まとめると、理論と呼ばれるものには、法則とか経験則とか呼ばれる「if ~ then ~」型のものと、一般則、原理、原因と呼べるような抽象度が一段高いものとがありそうです。むろん後者でも「ツボを刺激すれば、その刺激は経脈を伝わる」というように、多くの知識は「if ~ then ~」で表現できます。ただしそこに、まだ直接には観測や検証がされていない部分が付け加わります。一番簡単な形だと「if A(条件) then B(原因), and C(結果)」となるでしょう。例えば、A(ツボを刺激すれば)、B(その刺激は経脈を伝わり)、C(臓器に影響がでる)、となります。
既にいくつか例示したような、条件と結果が直接観測できるものから成る「if A(条件) then C(結果)」型法則では、過去の多数の観測で成立していたことからまだ未観測の未来にも成立すると推定します[*13]。この推定方法は帰納法と呼ばれます。
一方、未観測の原因を介在させた理論の場合は、それが正しいのは「if B(原因) then C(結果)」という法則が成立していることが条件です。そしてこの法則は何か別の根拠から推定されていることになります[*14]。そしてB(原因)が存在するという仮説が正しいならばC(結果)が得られると推定する、いわゆる仮説演繹法を使っていることになるでしょう。
このように原因と呼べるようなものを介在させた一般則とか原理とか呼べるような理論は、単なる経験則よりも適用範囲が広くなり、それだけ有用なものになります。それは例えばA(条件)の範囲を未観測のタイプにまで広げるという効果もありますが、「原因に働きかければ目的の結果を的確に得られる」という効果もあります。
続く
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*1) 主語は示していないことに注意。また世界という言葉で、自然も社会も経済も歴史も、果ては数学的抽象世界も架空世界さえをも含めていることに注意。多くの場合は、架空世界まではさすがに無意識に排除しているだろうが。
*2) 人類限定した点では範囲が狭い。逆に人類の範囲が広くて、具体的にどこに集積されているのかが曖昧。知識ではなく知見としたのは、事実の羅列としての知識だけではなく、法則や理論やメタな方法論なども広く含むという意味を込めている。
*3) 学界とは何かと言えば、とりあえず読者がイメージしたようなものでいいです。その学問の専門家集団とだいたい重なるとみてよいでしょう。特記すべきは、現在のほとんどの国々では多くの学問の基本的知見が学校教育等で全ての国民に伝えられる仕組みになっていますので、特に自然科学系の学界の人類各人の知見に対する影響力はかなり強いものがあります。それゆえ多くの人々は多少とも自然科学系の人という一面があると言ってよいのではないでしょうか?
*4) 本来の業務とはすなわち科学の研究なので明らかに循環的定義である。が、ここはむしろ、科学、または科学活動というものを人々の社会的営みのひとつとして捉えた概念と考えてほしい。序-1で紹介したクーンやラトゥールの仕事はこの一面に焦点を当てたものだ。
*5) このテーマは最新科学のエキサイティングな分野だが、動物行動学・認知科学・脳科学・進化学・人工知能など様々な分野に渡る。
*6) 季節とは何だ、とかの定義も入れたりすればもっとブレークダウンした表現もできるが煩雑なので省略。
*7) 実のところ「if ~ then ~」では表現できない知識を思いつけないのだが何かあるだろうか? 知識ベースはすべてこれで済ませているのだろうし、深層学習で蓄積される知識にしてもそうだろうと思うのだが。まあ"~"の部分が言葉ではなくて画像だったり音声だったりはするだろうが。なお「then ~」のところを正しく確認することも大切であることにも注意。
*8) この一理については、本ブログでもいずれ検討するかも知れない
*9) 論より証拠は江戸のいろはカルタ、百聞は一見にしかずは漢の宣帝の時代の書物が出典らしい。
*10) 常に失敗するわけでもないところが微妙。
*11) このファイルは著作権上ちと怪しそうなので取り扱い注意
*12) 公共の範囲は時代により変化している
*13) 未来だけではなく過去についても、「A(条件)は観測されているから、未観測であってもC(結果)であったに違いない」という推定ができる。
*14) この点については別途また述べるかもしれない。
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