弟の1周忌で、いとこのお兄ちゃんが九州から
来てくれた
少し前の更新の時にも書いたけど
私が知ってた時よりもこえてた。
元々ひょろ長いイメージだったから、
ちょっとお肉が付いるだけで、太ってはない
九州の島で漁師をしてる
釣り船とかもしてはって、
玄界灘の荒波で鍛えられたイカを捕ってる。
釣り船に乗って来られたお客さんは、
1人で100匹(正確には杯?)も釣れるんやって
最高は200匹なんやって すごくない??
イカとタコが大大大好きなダンナ君は、
目がいつになくキラキラして、いろんな話しを聞いてる。
家に帰って来てからも興奮鳴り止まず、
『100匹やで
そんなん、冷凍庫に保管しといたら、毎日食べれるやん』
ってな具合。。。
そのいとこもほぼ毎日イカを目にしてるのに、
『イカは毎日食べても飽きんもんねぇ』
って優しい九州弁で話す
方言っていいよねぇ
優しく聞こえるわ。
魚を眠らす事も出来るんやって
それにも、もっっっのすごーーーくビックリしてた
今晩、眠れるんかなぁっていうくらい興奮してたダンナ君
大丈夫かいな
まだ、私の両親のいなかには行った事がないダンナ君。
そのいとこもいる場所。
来年の夏当たりには行ければいいなぁ。。。
…って毎年言ってる気がするわ
法事が終わった日の夜は、そのいとこを連れ出して、
ラーメン屋へ。
どこ行きたい?聞くと、大阪来てた時に、
「横綱」行った事があるみたいで、
そこにまた行きたいって
リクエストしてくれたので、そこへ行く事にした
ラーメンが大大好きみたいで、結構色んなラーメン屋さんへも
行ってるみたい
一風堂に一蘭に、有名どころはもちろん九州やから制覇してて、
とんこつが一番おいしいって言ってた
あとほかに話した事は。。。
時化の時は漁に出られへんから、
最近では小説にはまってるって言ってた
東野圭吾やって。
『小説ってどんなんやろ~?って思ってサ、
読み出したと。じゃあ、とまらんの。
小説が気になって、漁に気が入らんと』
っていう感じで九州弁で話ししてくれる
普段実家でも両親や祖母の九州弁を耳にするけど、
やっぱり現役やから、次から次に出てくる九州弁
当たり前か…
なんか、今回大阪に来て、私の事をそのいとこが
『幼馴染やけん』って言ってくれたのが嬉しかった
弟の話しも交えながらね
『まさかこんな事になるとは思わんかったからね』って。
私の1歳上、弟からやと2歳上。
だから同じ世代。
めちゃくちゃおもしろいいとこの話しをしてる時も、
一緒に聞いてたと思う
絶対笑ってたわ。見えたもんコワイ??って。
やっぱりいとこ同士やからか、輪郭が似てるなぁって思った。
しゃべってると、弟にも見えてきて………。
あいたいな。。。
今日、月曜日いとこと母方の母、母の妹は帰って行った
次会えるのはいつかなぁ~
ここ1週間くらい、弟が毎日出演してる
ふつうに生活してる夢やもんねぇ。
今日なんて、両親・弟の4人で旅行行ってる夢みたわ。
そんな夢見たの初めて。
動物園みたいなところで、キツネと握手してる夢
なんか、ほんわかしてるよねぇ~。
もうすぐ1周忌。。。。。
毎日そんな事を考えてるからやろうねぇ。
今日は、弟が大好きだった小栗旬主演の『クローズ』のⅡを
レンタルしてきた。
私たちも家で見るけど、実家へ持って行って、
弟に渡そうと思って
あと、『鴨川ホルモー』と『GOEMON』もレンタルしてきた
『鴨川ホルモー』は、ドラマ『鹿男』の作者が書いたもので、
この2冊とも本を買って読んでる
どっちとも奇想天外、現実ではあり得へん内容で、
でも?だから、おもしろい
『鴨川ホルモー』は絶対見なアカンわ。
本読んでてもおもしろかったもん
DVDではどーやろーねぇ。
山田孝之主演。
そんなDVDをきっと弟も見たいはず。
知ってるもん
そして、1周忌に合わせて明日の金曜日の夜、
九州から親戚たちがのぼって来る。
母の兄の子供。
私からみればいとこも来てくれるみたいで、
私はもう7年ぶりかなぁ~。
1歳上の男の人。
めっちゃくちゃおもしろいねんなぁ~、優しいし
弟ともよく遊んでくれてた。
私が関東に住んでる時に、1度だけ大阪に遊びに来てて、
その時は弟と一緒に行動してたみたい
そういう事もあって、今回の1周忌に来てくれるって。
九州に帰った時、3人で一緒に海や山行ったり、
花火したりとか、
色々思い出すと、元気になった弟と、
また一緒に九州で遊びたかったなぁ、って思う。
親戚で集まって、お刺身とかたくさんのごちそうを前にして、
両親、弟がいるっていうのが当たり前だった事が、
そうじゃないって考えるだけで、胸が締め付けられる。
こんな事ばっかり考えてたらアカンのは分かってるねんけど、
1周忌を迎える1週間前後は、別にいいよねぇ~
って、甘いかしらヘヘッ
久々にいとこに会えるのもうれしいし、
これも、弟が会わせてくれたんやと思って、
感謝するわ。
そうそう、ダンナ君はそのいとこと会うのは今回が初めて。
そういう意味でも、九州のこれまた先の小さな島まで、
会いに行くのもなかなか難しい事やし、いい機会やわ
父が
『DVDと思って買ったら、間違ってゲームの方を
買ってしまったわ』
って。。。
私たち、2人とも目が点
間違って買ったのを持ってきた。
ドラゴンボールZだった。
弟が大好きで、新しいのが出るたびに、
レンタルしに行って、お見舞いの時にいつも持って行ってた。
いっつも楽しみに待ってた。
それを父も知ってるから、
たぶん弟がどんなのを見てたのか、
それとも、
弟の代わりに見てあげたい、
と思ったのかは分かれへんけど、
親の愛情を感じたのは確かで、
笑いながら、
『DVDとゲーム、
一緒の形してるから分かれへんかったわーははは』
って。。。
『ドラゴンボール見たいんだったら、弟のがあんで』
って教えてあげた。
病室に置いてあったDVD、実家の押入れにしまってる。
『なんや、そうか、あったんか』
と苦笑いの父。
母に場所を聞いて、持って来た。
めっちゃくちゃ途中からやったけど、
ちゃんと映るか確認のため、見てみた。
大丈夫、ちゃんと見れた
あんまりしゃべる事がなかった父と弟だったけど、
やっぱりさびしいんやなぁ。。。
もうすぐ1周忌をむかえる。
もう、そんなに日が経ったんや、っていう思いと、
まだそんだけしか経ってないの、っていう思いが、
交差してる。
で、で、で、実家でまたこんな話も
『小さい時から、朝食はパンでしたか?』
とダンナ君が私の朝食の事を母に聞いてる。
『うん、そう。
おじいちゃんとお父さんはごはんだったけど、
そのほかはパンだったわ』
と母。
『そうですよね、パン大好きですもんね』
とダンナ君。
私も思い出した。
『そういえば、マーガリンつけてその上にお砂糖乗せて食べてたわ』
ゲッ
って顔するダンナ君。
だって、甘いの大好きだったんやもーーん
『飲み物は、牛乳ばっかり飲んでたわ』って言った。
すると母が、
『それと、あれ。ほら、あれやん。
名前出てけえへん。
ココアが流行る前の。”体が強くなる”とか。』
私も
『あっーーー、そうやっ 飲んでた。
何やったっけ?
”カラメル”みたいな名前の』
ダンナ君が
『あっ、俺わかったかも』
って言いながら、私にだけ内緒で、
パパとママにだけコソコソ答えを言ってる。
コラーーーーーーー
私にも教えなさーーーい
じゃあ、パパが、
『2文字』
って教えてくれた。
ほら、パパはいつも私には優しいんやから
だから、パパだーーい好き
それで分かった
『あっ、分かった
ミロ や ミロ
そうやそうや、よう飲んでたわーー』
ふーーんだっ、いけずのダンナ君に教えてもらわんでも、
自分で分かったもーーんだっ
そんな懐かしい話しや、パパさんの天然の出来事で
大笑いしてた。
同じ部屋に祖父と弟の仏壇もあったから、
きっとみんなで一緒にいてたかなぁーー
この間、母親が家に来た時に言ってたことで、
『お盆の提灯(ちょうちん)を買わなアカンねんけど、
どれがいいかなぁーって思ってんねん。
じいちゃんの提灯が大きいから、
別に○○(弟の名前)のは大きくなくてもいいと思うねん。
で、蓮の形したのも提灯コーナーに置いてあって、
それにしようか迷ってんねん。
今度、近鉄行ったとき、また見といて』
って。。。
その提灯の灯りを目印に、お盆に帰ってくるねんで。
とも教えてくれた。
知らんかった。そうなんやねぇ。
その後も、メールで、
『月曜日、見に行こうと思ってるねんけど、
時間ない?』
その日も行かれへんかったから、
その後も何度かメールをもらった。
自分で決められへんねんやろうねぇ、
私に見てもらいたいみたい。
ダンナ君にも言ってみた。
『提灯を蓮の花にするか迷ってる』って。
『弟君の好きだった色にするとか、なぁ』
すぐに母にメール。
じゃあ、その後に来たメールが、
『蓮の方じゃなくて、その隣りにある
青っぽい光の提灯にしようと思ってるねん。
また見といて』
って。
で、見に行ってきた
じゃあ、母が言ってる蓮のお花の灯りもあったけど、
それはちょっとヘンだった。
その近くに母が言ってた青い灯りの提灯があった。
そっちの方が断然、上品でキレイだった。
念のため、写真だけ撮らせてもらって帰って来た
母に写メを送った。
『そう、それ!どう思う?』って。
『これが弟も喜ぶと思うワ』
って返した。
じゃあ、それにするって
こういう理由で、こういう物が必要なんや、とか、
当然のようにあるものと思ってたものが、
ホントはきちんと意味があっての事なんやね。
弟へ
「お盆に帰ってくるから」って、
目印になる提灯を、
ママは何回も足を運んで見に行ってるねんで。
私にも何回も
「これでいいかなぁ」ってメールしてきて。
お経も毎日唱えてるみたいやし、ちゃんと聞こえてるやろ?
でも、写真は見られへんって言ってたで。
親の愛情は変われへんなぁ。
ありがたいなぁ。
で、そっちはどうなん?
下見しといてくれてるんやろ?
案内してやー。おいしいお店とか。。。
私も1日も思い出せへん日はないで。
いつも思い出してる。時々、メールも読み返してる。
さびしいから、時々、メール送ってるねんで。
こっちではエラーで戻ってくるけど、
ホンマはそっちにしかない電波があって、
ちゃんと届いてるやろー
こんな日がこれから先どれだけ続くんやろうなぁ。
からだの一部がもぎ取られたみたいで、
さびしさで胸が痛いわ。
去年の今頃は。。。
と思うと、もっともっと会いに行けばよかったとか、
もっともっとメール送っとけばよかったとか、
思ってしまう。
そんなんいつまでも思ってたらアカンなぁ、
いつも前向きやったもんなぁ
「ねーちゃんがねーちゃんでよかった」
って言ってくれて、ありがとう。いまさらやけど
私も弟が弟でよかったと思ってんで!
だから、私もいつでも前を向いて、
心の内に置いて、がんばるわなぁ
弟が出てくる夢は何回も見たけど、
今回のは私に話しをしてきた…
小さい時の弟でもなく、等身大の弟が。
『ママの想いは伝わってるから。』
というような感じのと、
『姉ちゃんに気付くようにしとくから』
の2つ。
1つ目の意味はすぐに分かるけど、
2つ目は弟から何かの事でメッセージを送ってくるんかなぁ。それに私が気付くように。
自分の夢やから自分の都合で見てるから、そんなん信じるのもヘンやけど。
『夢占い』の本を持ってるくらいやから、
『ただの夢』とは終わらせたくないんよねぇ。ヘヘ。
その夢の事をダンナ君に話した。
夜も11時を過ぎ、デスクトップのパソコンを挟んで向かい合って、イスに座って話しをした。
『すごいやん!弟君から自分にしか分かれへんメッセージを送ってくるって事やで!』
って話しをしてる時に、
『見て!俺何もしてないのに、消しゴム動いてるで!』
ダンナ君のペンケースに入ってた消しゴムがカタカタ揺れてる!
何となく怖くなったから、
『ホンマや!』
としか言われへんかった。
弟の切ない想いと、
私にしか分かれへんメッセージを送ってくるかどうか分かれへんけど、
そんなたかが夢の話しをダンナ君がきちんと受け取ってくれた事が嬉しかったのが、合わさって
涙がとまれへんかった。
ちょうどモニターで隠れてたから、
泣いてる顔は見られへんかったからよかったけど。はずかしいやん。
めちゃくちゃ鼻すすってたけど。
あのカタカタ揺れた消しゴム…
何だったんやろう。。
消しゴムの周りにあった他のものは全く動いてなかったし。
えっ?それがメッセージ??
ちゃうちゃう、だって何のメッセージか分かれへんかったもん!
弟が入院中に、私ともども、すごくお世話になった
女性の看護師さんへ感謝のメールを出した。
弟が一番最初に入院した17才から、ずっとお世話になってて、
2回目の補助人工心臓を着けるかどうか迷ってる時も、
移植コーディネーターも兼ねられてるその方のアドバイスで、
装着するっていう決定的なものになったといっても過言ではない。
無事に四十九日も終えたので、
看護師さんへお礼をしようと思って、
教えてもらっていたメールアドレスへ送信した
弟は看護師さんと話す事も少なく、看護師さんが一方的に
話してる事が多かったと思う。
その中でも、この看護師さんの時だけは、
だいたいいつも笑顔で、部屋に来てくれるのを、
うれしく思ってたと思う。
毎回毎回励ましてくれてはった
お見舞いに行った時でも、毎回会えるわけではなく、
1ヵ月に1回会えれば多い方。
それぐらい、この人はいつも多忙な看護師さん
廊下で私の姿が見えれば、『お姉さん』って必ず声を掛けてくれるし、
立ち話をしてた
そしてその看護師さんから、返事が来た
涙が次から次から溢れてきて、止まれへんかった
少しだけ抜粋。。。
『(弟の)移植は私の希望でもあり、必ず叶える夢でもあったので、
残念でなりません。もっとお部屋に行けばよかったとか、
後悔ばかりです。
(弟を)忘れない方はこの病院に本当に多くいて、
ファンもたくさんいました。
いろんな人が亡くなられたことを悲しんでいました。
人徳ですね。
いつか、大きくなった大切な子供さんたちに、
お父さんの素晴らしさを伝えてあげてください。
本当に笑顔が素敵で、優しいお父さんだったと。
そして、お父さんは多くの人の命を救ったものすごい人なんだと。
私の中で生涯忘れることのない患者さんとご家族です。』
本当にいい看護師さんに恵まれててんなぁって、
あらためて感じた。
11月末に、四十九日の法要を済ませ、
弟はきっと今頃、天国で自由に羽ばたいてると思う
子供たちを見守りながら
もう、これからずっと弟と話す事が出来ないと考えると、
悲しくて、さびしくなる。
今日、弟が夢に出てきた。
『ねーちゃんと交換日記したの、よかったわぁ』
って、たぶん言ってたと思う。
そこで終わった。
これは、私にお別れをしに来たんかなぁ??
久しぶりに弟の声を聞いた。
もっと、もっといろんな話し、しとけばよかった。
今でも、いろんな話ししたいのに。
いろんなこと、聞いてほしいのに。
まだまだ、一緒におりたかったのに。
交換日記っていうのは、
ブログ上でお互いに時間を見つけて、
同じブログ内で更新していく。
もっと早くこの日記を思いつけばよかったなぁって思った。
読み返すと、3月頃から体調があんまり良くなかってんなぁって
思った。
もし、よかったらのぞいてみてください
私と弟のブログ交換日記
http://blog.goo.ne.jp/rieandhisashi/
私は元気ですよ
家族や親戚も、覚悟は出来てたと思うけど、
でも実際に直面してしまうと、
亡くなった事が信じられないというか、
信じたくないというか。。。
昨日、初めて母親がお経を唱えた。
最後の方、泣きながら読んでた。
自分の子供のためにお経を唱えるなんて。。。
悲しい。
弟は長男の長男のため、
父親は色んな事が頭をよぎったと思う。
弟がいる時は、ほとんど話をしなかった父親が、
今では、ほとんど一緒に近くにいてる。
そばで寝てたり。。。
一人になった時、弟の事を思い出す。
弟が先に天国で待ってくれてると思ったら、
死んでも怖くない。
今は修行中やねんて。
今頃、頑張ってるんやろうなぁ。。フフフ
さてさて、今日は外は曇りと雨ですねぇ。
気分もそんなに乗れない天気やけど、
これから弟の分も元気に生きて、
一層充実した人生を送れるよう、がんばりますぞ!
お友達たちへ
色々ご心配をお掛けしたと思います。
ありがとうございます。
色んな事が勉強になり、それをこれからの人生に活かして
いければなぁと思っています。オオゲサ
これからも、さらに両親・ダンナ君の事を大切に思い、
日々暮らしていきたいと思います
2008年10月17日、弟は天国へと旅立っていきました。
永眠するまでの約2週間、つきっきりでいた両親が、
最期を看取ることが出来て、よかった。
私は残念ながら間に合う事ができなかったけど、
両親がいてくれただけで良かったと思う。
弟が亡くなったと連絡があったのは、
病院へ向かってる途中だった。
今までは弟と話しをしに病院へ行ってたのに、
もう話せなくなった弟に会いに行くのが、
病院の入口に着くまでの坂道を歩くのが、
ホンマに辛かった。
私が帰る時、
あの病室の窓から弟が手を振ってくれてた事を思い出したり、
病室から一緒に景色を見た事を思い出したり……
弟の病室に入ると、両親が弟の両脇に座ってた。
弟は白い布がかぶせられていた。
まだ午前中だったため、日差しがさんさんと降り注いでた。
手を触るとまだ温かかった。
顔は微かに優しく笑ってるように見えた。
『がんばったな』
っておでこにかかった前髪を横に分けてあげて、声をかけた。
入院中、ずっと人工心臓の音が
『ポコポコ』してた音が、
止められていて、ものすごく静かだった。
この後、両親と私の3人と今の主治医・看護師・ボス先生が
これまでの弟の病歴のお話があった。
弟が17歳の時に、体調が悪くなり、入院。
その後、入退院を繰り返し、2度、補助人工心臓を装着。
亡くなる前の2ヵ月前ごろから、頭痛や肩の痛みが出る。
脳から少量の出血が見られるが、順調に回復していってた。
が、9月29日午前6時の看護師巡回時、
反応が鈍く、CT撮影後、小脳に比較的広範囲に出血が見られ、
緊急手術。
術中、脳の他の場所からも出血が見られ、急激に悪化。
臨床的脳死状態、10月17日、
約14年間の難病との闘いを終え、
大空へと自由に羽ばたいていきました。
31歳、まだまだこれからっていう年齢、
最後の2年半の入院生活、ホントに長かったと思う。
さびしかったと思う。
どれだけ外に出たかったかと思う。
移植の順番が回ってくる日を心待ちにして、
体力をつけるために、
ものすごく頑張ってたリハビリ。
子供たちに会うために、早く退院して遊びたかったと思う。
子供たちと一緒に見るために、DVDを大事にしまってたり。
ものすごく我慢強くて、私たちには決して泣きごとを
言ったりせえへんかった。
痛い、とも、子供たちと会いたい、とも。
弟の声、笑った顔、優しい顔つき、
一度だけ見せた弟の涙、
私は絶対、絶対忘れへん。
意識のある弟に会いに行った最後の日、
一緒に寝てたなぁ。
お見舞いに行った時に、弟は寝たりした事はなかった。
でも、この日、テレビを付けたまま、壁側を向いて寝てた。
私は、DSをしてて眠くなって、弟の寝てる姿を見て、
さらに眠くなって、イスに座って寝てた。
あの時、きっと同時に起きたんちゃうかなぁ。
一緒に寝てたあの病室の雰囲気、
穏やかで静かな時間が流れてたなぁ。
まだ弟がいなくなったのは、信じられへんけど、
空から見てくれてると思ったら、
頑張れるかなぁ。
『相変わらず、駐車ヘタやなぁ』
って笑ってくれてるよなぁー。
今まで、ありがとう。
弟が弟でよかった。
弟の姉でよかった。
姉で幸せだった。
今までたくさんの思い出、ありがとう。
今までたくさんの優しい笑顔、ありがとう。
どうか、どうか、ゆっくり天国でみんなを
その変わらない笑顔で見守ってあげてください。
ホンマに今までありがとう。
日曜日、弟の幼稚園からの親友の、
たけしがお見舞いに来てくれた
『早く元気になれよ』
とか声を掛けてくれてたって。
よく家に遊びに来てて、
私とは、たった1歳しか離れてないのに、
学校の宿題を偉そうに教えてたこともあった
小学校の時は、ケンカした事もあったみたい。
そんな事をしても親友同士、今まで仲良くやってきた
弟の様子は昨日から、腎臓がほとんど機能しなくなってきてる。
体温も昨日の朝は33度。
その後、34度になったみたいやけど、
低すぎへん??
血圧も60ぐらいに下がってきてる。
弟の体調もものすごく心配やけど、
その裏で、いろんな事を進めていってる。
お願い、もう少しやから、
もう少しやから、頑張って。
これまで毎日頑張ってきた弟に、
さらに頑張って!って言うのはつらいけど、
でも、もう少しやから。
血圧も80ぐらいを維持している。
先週は熱が38度3分ある日もあり、徐々に下がり、
昨日、病院へ行った時は平熱に戻ってた。
その昨日は、血圧の変動があって、
何でかと思ってたら、部屋の温度が熱があった時のままの
温度設定(24度)になってて、弟はたぶん寒かったんやと思う。
それでクーラーを消したら、
血圧が安定した。
それって、看護師さんが気がつかなアカン事なのでは…
そうそう、看護師さんの中で1人だけ、
病室に入る時ノックもしないし、
弟に声もかけずに腕を上げたり、体を移動させたりする
人がいる。
人をものみたいに…。
他の看護師さんは必ず声をかけてる。
配慮に欠けるというか、気がついてないんやろうね。
突然触られたり、動かされたりすると、弟がビックリするやん。
今日は弟の所へ、たくさん人が行ってると思う。
まだまだ頑張っていますよ