Echidna's Diary♪ エキドナの日記

エキドナの幸せ♪結婚生活

自転車で

2008-10-13 | おとうと

今日は初めて実家まで自転車で行ってみた
ダンナ君は一日外出してる。
昨日、弟のところへ行ってきて、
今日は実家へ行こうと予定してた。

天気もすごい青空やし、サイクリング日和やーん

ということで、朝9時に出発

車で行くと、30分~40分。
だから、自転車で行くと、早くても45分くらいかなぁ~と
予測して行ってみた。

大和川までは住宅街を抜けながらの道路。
そして、大和川へ着くと、もうそこからずーーーっと、
土手の道を一直線に南港方面へ

途中、車と並走する道もあって少し危なかったけど、
そんなに車の量もなく、スイスイ。

そうそう、大和川へあがる前に、
また大阪前田製菓の工場直売店に寄って、
みたらし&きなこの団子を5本ずつと、
ホールのチーズケーキ、これなんと200円
お土産に持って行った。

髪は2つに分けてくくり、
ジーンズのワイドハーフパンツに、
足もとはロングブーツで、
キャップをかぶっての自転車こぎこぎ

何じゃー、この格好は

誰も自転車乗ってる人の格好なんて見てないと思うので、
別に気にしてないけど

そして、家に着いたのは、なんとビックリ
ぴったり30分

携帯のストップウォッチで測ってた。

ヒャー、30分で着いたすっごーい!
早いっ
車で行くよりも自転車の方がいいかもなぁー。
肉体的には疲れるけど。。。
小学生だった頃によく自転車で立ちこぎでいけてた坂道が、
今は途中でしんどくなって、自転車を降りなアカンかった。
はぁ~、体力の衰えを感じますねぇ

家に着くと同時に両耳が風で冷えて痛かった。

家には祖母、おばがいた。
これから弟の病院へ行くといって、お弁当を作ってた途中だった。

あぶない、あぶない、何の連絡もせんと実家へ行ったから、
もう少しで入れ違いになって、
実家のカギは私は持ってないから、
危うくとんぼ返りになるところだったわ

祖母たちは30分ぐらいして出掛けて行った。

私はお昼過ぎまでとりあえずお留守番。
実家に1人でいるのは何年ぶりかしら。

出掛ける前に祖母から、
『グッピーにエサあげといて』
と申し付けられ、忘れないうちにと、早々に
初めてグッピーにエサをあげた。
っていうか、グッピーなんて飼ってたんや

2匹いた。

エサをチョロっと与えて、食べるところを一応確認して、
エサあげ終了

はやっ、もう任務終了してしまった

近くにセブンイレブンが出来て、そこへ初めて行ってみた。

駐車場がすっごーい広くてビックリ
ここで雑誌プラスお昼ごはん用の焼きそばも買った
グッピーだけにエサをやってる場合じゃないぞ。
私も食べないと!!

そして、家に帰って引き続きお留守番。
テレビをつけながら雑誌を見る。

プルップルルルルルッ

と家の電話が鳴った。

ビクッとして、電話機の表示を見てみると、
祖母のお姉さま
受話器を取った。
久しぶりに話をした。

弟の事でみんな大変やと思うけど、
体壊さんように、ちゃんとみんな栄養摂りなさいよって
言っといてねぇ。。と伝言を預かった。

2階に上がり、弟の病室で使ってた荷物がある。
私もその時、片付けをしたから、何がどこに入ってるか知ってたけど、
ふと袋の中を見ると、
あっ!マリモやっ!!

と私が少し前に弟にプレゼントしたマリモちゃん

それが袋の中に入ったまんま。

1週間に1回お水を換えてあげなアカンくって、
もう両目の右側が見えなくなってる時も、
マリモが流れていかんように、ちゃんとお水も換えてくれてたみたい。

病室にあったものが今、この家にあって、
ついこの間まで弟が見てたもの、使ってたものが
目に入ってきて、涙が出てきて、
ホンマに戻ってきてほしいと思った。

球形のパズルやCD・DVD達、
ペットボトルのおまけ達、
パジャマやタオルや本、ボールペンにフォークにお箸。
シャンプー・リンス・洗顔・リハビリ時のTシャツ………。

いなくなってしまうのなんか、信じたくない。
もう二度と話しが出来ないと思うと、
悲しくて悲しくて悲しくて、しょうがない。

と、また悲しい気持ちでいっぱいになってしまうので、
マリモだけを持って、すぐに1階へ降りて行った。
さっきのグッピーの水槽の近くに置いておいた。
誰か気付いてくれるかなぁー

いいとも!見ながら焼きそばを食べて、1時に実家を出発。
自宅に着いたのは行きよりも5分早い25分。
途中曲がらなアカン道を曲がらず、
600mぐらい行ったところで気が付き、Uターン。
あ~あ、タイムロスやわ。
でもこれを入れても25分やから、すごい早いっ!
帰りは上りの道が多いのに。。。

さて、今日の夕飯は中華丼のリクエストがあったので、
それを作るぞー

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笑ってる?

2008-10-11 | おとうと
母との電話の中で、

『今日な、弟が少し笑ってたような顔してたんやで』

って。。。

それは現実的に考えると、
少し怖い気がするけど、
夢のような話しで考えると(何じゃソリャ)、
夢でも見てるんかなぁって。。。

もしかして、もしかして、
奇跡が起ころうとしてる??
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存在

2008-10-09 | おとうと

弟が入院してる時(意識がある時ね)、
弟の話し相手だと思ってた私。

でも実は、私の相手をしてくれててんなぁ、って。
弟が私の話を聞いてくれててんなぁ、って。

今になってわかった。

私がヘンな事言っても、優しく笑ってくれる。
「優しい」っていう言葉は弟にピッタリの言葉。

この間、母の姉妹たちが来ている時にこんな話をしてくれた。

姉妹が大阪へ来るのは約20年ぶり。
その20年前に、大阪の鶴見緑地であった『花博』に遊びに来た。
私たち家族も一緒に行った。

妹の子供で5才・3才の女の子も一緒。

通りすがりの人がつけてた何かを見て、
5才の女の子が
『ほしい!』 って言ったらしく、
それを聞いた弟が、いつの間にかいなくなり、
戻ってきたら、その『ほしい!』って言ってた物を、
遠くまで買いに行って、『はい』って渡してんて

『やさしか~、って思ったんよ』

って母の妹。

そんな事があったなんて、全然知らんかった。
5才の女の子だったと思うんやけど、

『大きくなったら、お嫁さんになる

って言ってたもんなぁ。
今は、もう25才って言ってたかなぁ。
10才ぐらいになったのを最後に、もうずっと会ってないなぁ。

意識のあるうちに、弟のお見舞いに行った最後の日、
週刊ジャンプの発売日で、
母から『買って行って』って頼まれて、
持って行った時、ものすごく嬉しい顔をしてた。
私が行くって言ってなかったし、
この日は誰も来ないと思ってたみたい。
だから、ジャンプは諦めてたみたい。

そのすごいうれしそうな顔が忘れられない。
それと、窓から景色を見て立ってる後ろ姿も。


ダンナ君にもいろんな話をするけど、
話されへん事だってある。
でも、弟には隠し事なく、何でも話せた。
あらためてそれに気がついた時には、もう遅かった。
こんなにたくさん話してたんや、
こんなにたくさん聞いてくれてたんや。
気付くの遅いなぁ。
もっと、もっと一緒に色んな事話して、
無事に退院して、お互いのお家を行き来したり、
そういう事したかったのに。

私にとって、弟の存在は大きかった。

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いま

2008-10-06 | おとうと
弟はがんばっています。

人工呼吸、人工心臓。。。という状態ですが、
いろんなところで何かが起こり、
だんだんと弟のろうそくが短くなります。

手術後、3日ぐらいまでは血圧が50後半~60前半だったのが、
そのあと、2日ぐらいは、60後半~70前半、
そして昨日からは、80~90になってるとの事。

看護師さんから聞いてたのは、
低くなっていく、でも高くなる患者さんもいる、
と聞いていた。

低くなっていく一方だと思ってたのに、
上がってると聞くと、
弟の意志が体に戻ろうとしてるのに、
戻れない状態なのかも。。と、思ってみたり。

入院して半年後ぐらいに、ポンプに血栓が出来て、
手術をし、固くて取れなくて、
脇を切って、取るという手術をした事があった。

その時に、
『戻ってこれてよかった。
もう子供たちに会われへんようになるところだった』
って言ってた。

それを考えると。。。

いたたまれない気持ちになる。

10月2日(木)の夜、弟の所へ泊まった。
母も泊まってたけど、
同じ病室に寝れるのは1人だけ。
母は、別の階にある家族控室へ。
私は弟と一緒にいた。
9時には消灯になる。
看護師さんが短くて1時間ごと、
長くて2時間ごとに、弟の体勢を変えにくる。
2人体制で来て、床ずれをしないように変えていく。

心臓に手をあててみると、弱いなりにも、
きちんと動いてる。

ずっと手をつないでた。
あたたかい。


あたたかいねんなぁー。


ついこの間までしゃべってたのに。
ついこの間までメールしてたのに。
ついこの間まで一緒にご飯食べたのに。
ついこの間まで笑いあってたのに。
ついこの間まで。。。。。。。
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子供たちと再会

2008-10-03 | おとうと

親からも、友達からも、子供たちと会った時の様子を聞いた。

ちょうど子供達4人が来たのと同じくらいに、
弟の友達たち4人が一緒になった。

私は実家にいて、弟の友達へ連絡をした後、
すぐに駆け付けてくれたみたい。

数分、友達4人が弟と早く面会したんかなぁ。

そのうちの一人がその翌日にも面会に来てくれて、
その時に、どんな様子だったかを聞いた。

まずは友達たちは、4人ともベッドの周りに
突っ立ったまま、一言も話さず、
涙だけが流れてたって。。。

翌日にも来てくれた友達はしんぺいという。
この子は、小学校1年生からずっと仲良し。
家もさほど遠くなく、ボソボソ話す子で、
弟は鈍くさいヤツって言ってた。
まぁ、話してると確かに。でもなかなか面白かったで。
しんぺいはよく面会に来てくれてた。
こうなる前に来た日は9月20日と割と最近。

たけしという子は、幼稚園からずっと仲良しで、
その子が弟の親指の関節のところを挟んで、
グリグリしててんて。

その話をしてくれたしんぺいに聞いた。

『昔、はやっててん。これされたら、痛いねん』

って。。。

『はっはっーん、今になって仕返しやな
って言っといた。

そして、マッシュという子は、弟とよく魚釣りに出掛けてた。
この子も小学校からの仲良し。

で、あと一人の子は、小学校の時に転校してきた子。
クラスは違ってたのに、どうしてか友達になってんて。
この子、あの頃、イケメン君なのよねぇ。
今はどうなってるんやろ。。。

こういうメンバーの子達。
弟の仲良しの主要メンバーが、夜中にもかかわらず、
面会に来てくれた。

そして、その面会している時に、
子供達4人が入ってきたみたい。

カーテンを開いて入ってくるなり、
一番上の小学5年生の男の子は、
『パパ~』って言いながら駆け寄ったみたい。
声出して泣いてたって。
最初はその下の3人の子供たちは、
ルンルンで来てたみたいやけど、
一番上のお兄ちゃんの泣く姿を見て、

『ん?なんか違う』

って感じたんやろうなぁ。
すぐ下の小学2年生の男の子は、
声も出さず、我慢しながら、ただ涙を流してたって。

3番目の6才の女の子は、まだあんまりよく分かってないから、

『パパ~、お兄ちゃん(2番目)の指チュッチュ、直ってんで~』

って教えてあげてたって。

一番下の男の子は3才かなぁ。
この子も『パパ~』って言ってたって。

長男は、パパの手を握ったままで、
ずっと離せへんかったって。

子供たちの声、ちゃんと届いてた?
大丈夫やんなぁ。

しんぺいは、長男の泣く姿を見て、
たくさん大人がいるのに、どうしたらいいか分かれへんかった、
って言ってた。
それぐらい、泣いてたって。。。

一番、思い出が残ってるもんなぁ。

1年少しぶりに会う親子。
パパと会えてよかった。
子供たちと会えてよかった。

それを見てた看護師さんからはその時の弟の状況を
メールで送って下さった。

『弟君、とても優しい顔をされていました。
みんなの声や雰囲気を感じていると思います。』

と・・・

涙があふれて止まれへんかった。






ひさし、よかったなぁ。

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子供たち

2008-10-02 | おとうと
弟は、昨夜遅く、子供たちと会えました。

一番上の男の子、小学5年生は、
部屋に入るなり、泣きだしたみたい。

看護師さんからのメールで知ったことなので、
またこれから病院へ行くから、詳しく親から聞きたいと思う。

会えてよかった。

弟の様子も優しい顔をしていたって。。。。。

1年少しぶりに会ったもんなぁ。
本当は、本当は、本当は、
意識があるうちに会わせてあげたかったけど。

でも、もう会われへんと思ってたから、
会えて本当によかった。
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最後の決断

2008-10-02 | おとうと
今日、脳外科の先生からお話しがあった。

昨日の説明の時に、
ご家族でお話合いをされて、ご決断をお待ちしています、
のような形で終わってる。

その決断のタイムリミットがもう今ぎりぎりの状態と
なってしまいましたので、
今、自分たちは席を外しますので、
お話が済みましたら、呼んでください。

と席を外された。

今日のこの席上には、母の母、母の姉妹、
いとこ達がいた。

父は一応昨夜の時点で、自分の母や妹たちと話をし、
だいたい決めてきてる。

でも、決め切れない、決断するのが辛いのだと思う。
すぐには先生には答えを言うことが出来なかった。

席にいた人たちと、こういう事にすると話した上で、
先生を呼びに行った。


前回のブログで書いたかどうかもう忘れてしまったけど、

その決断というのは…

『今後、体調が急変した場合、新たに手を加える、
例えば心臓マッサージをするとか、強心剤を使い、
延命という形を取るか。
こうなると、心臓マッサージの時、肋骨が折れてしまったり、
という事にもなる。
または、このまま新たな手を加えず、
自然のままで見守る形でいくか』

の2つの選択。

昨日と今日の時点で、血圧がガクンと下がっている状態。
自分の心臓もさらに弱っている。
時間の問題。
いつ急変してもおかしくない状態。
急変というのは、血圧がさらに下がっていき……

と、なんかここに書くのもまだ辛い言葉やから、
まだ書きたくないので、それはまたいつか。。。

で、その選択は、自然のままで見守る方をお願いした。

身内以外で面会出来るのは、もう今日か明日でお願いします、
と言われた。

両親と相談した後、友達にも連絡する事にした。
すると、すぐに行動を起こしてくれて、
もう1時間後には、病院に駆け付けてくれたみたい。
ありがとう。。。。。。
ビックリしたやろうなぁ。
ついこの間まで、メールしてたし。

そして、循環器の先生達の計らいで、
弟がずっといたフロアーへ移動してもらう事になった。
この階の方が慣れたところやし、
居心地がいいと思いましたので。と。

思わずその時に聞いてしまった。

『景色が見える方ですか?』と。

北側、南側の両方とも景色は見えるんやけど、
大阪一帯…というと大げさやけど、
そちら側が好きだったので、そっちかなぁ?と思って。
じゃあ、

『こっち側(大阪一帯の方)ですよ。
こっち(大阪一帯の方)の方が、弟君、好きだったもんねぇ。』

と。。。涙が出た。
本当にありがとうございます。

2日午前中に移動してもらう事になった。

最期を看取るということで、寝泊まりも8階だと
一緒の部屋で寝れるし。

よかったなぁ、みんなよくしてくれて。
そうそう、一人の看護師さん、あっ、もちろん女の看護師さんやで
が、
『大好きだったんですよ。』
って言ってくれた。
にじみ出る優しい笑顔や、カッコイイところや。

と、私にだけ告白してくれた。
大好きっていう意味は、likeかloveかは聞かなかったけど、
そうやって言ってくれる看護師さんがいてくれただけで、
弟はうれしいと思う。

でもでも、まだ奇跡は起こるかもしれへん。
それにビックリして、起き上がるかもしれへん!!
そのサプライズ、いつでも待ってんでーー!!
ちょっと引っ張り過ぎちゃう??ためすぎっ!
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弟とダンナ君

2008-10-01 | おとうと
昨日、夜7時頃、やっとダンナ君が病院に到着。
私、一人で病院で待ってた。
やっぱり一人の時間はイヤやねぇ。

弟のところへ。

やり取りがホントに楽しかった。
弟、ダンナ君、私と3人でおしゃべりした♪

ダンナ君
『元気になったら、パソコンの勉強しような』


『うんうん、何の勉強する?』

私が予想した弟
『(にやけてる)』

ダンナ君
『そうやなぁ、まずは警視庁からやなぁ

私、私が予想した弟
『………………それハッカーやん、犯罪やん
そんなんしたアカンやんなぁ


っていうような感じで、弟を巻き込んでのやり取りが
約40分も続いた。

内容ちゃんと覚えてたのに、
このやり取りしか覚えてないわ。
もし、また思い出したら、載せようと思う。
だってーーー、ホンマに楽しかったんやもん、
うれし涙が出るほど、ダンナ君が普通に弟に
話しかけてるのが。。。
弟がまだ話せる状態の時みたいに、
話しかけてくれてるのが、ホンマに嬉しかった。

面会する直前まで、会うのを怖がってたから。。。

手も触ってくれてたし。

弟は、ダンナ君を頼りにしてた。
数回しか会ってないけど、
面白さは知ってるし、私も弟によくダンナ君の話とかを
してたから、身近に感じてくれてるのかも

だいぶん長く一緒にいれてよかった。
また明日も来るから!

って帰って来た。

そして、ダンナ君と2人で話してる時。

『もう、しゃべられへんねんなぁ』
って私が言った後、

『うん、もう、これはご褒美やねん。
今まで頑張ってきたから、もう自分はしゃべらんで、
他の人にしゃべらすねん。
だから、これは頑張ってきたご褒美やねん』

って。。。

そう聞いた後、私だけかも知れへんけど、
私にとって気が楽になった言葉だった。

そうやんなぁ、もう自分はしゃべらんで、
他の人にしゃべらすねんなぁ。
そーーかぁ、そういうことかぁ。


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2日目 説明 面会

2008-10-01 | おとうと
9月30日、午後3時からの面会。
人数が多いので2組に分かれて入る。
NCUというところに弟はいる。

私たちの面会途中で、昨日の夜から今日にかけての状態と
今日撮ったCTの説明があるので、
昨日と同じカンファレン室へ。

脳外科の先生から
昨日の説明と併せながら、脳、CTの説明。

今日のCTでは大脳に出血がある。
ちょっとここのあたりの説明があやふや
ちゃんと聞いてたんやけど、別の事を思って、
何度か集中が途切れてしまった。。

大脳死という結果とのこと。
大脳死とは、いわゆる植物状態。

先生からのお話→
昨日と同じく、術後から瞳孔は開いたままです。
人工呼吸器、人工心臓と着いているが、
今後様々なところへ障害が起きる。
今、もうすでにそういった障害が起きている状態。
患者さんを良い方向へ持って行くために、
自分たち医師は最大限手を尽くしてきました。
ご家族の皆様でお話をされて、今後どうするかを
決めていただく事になります。。。

というお話があった。
上の説明、ものすごく省略した形。

今すぐここで決める事はもちろん出来ないので、
また後日、話をすることにした。

大事な話の途中、私が何度か集中が途切れた理由は、
後ろに座っていたボス先生が、目頭を押さえはったから。
あのボス先生が泣いてる。
昨日も書いたけど、移植のニュースの時、
話をされたりするあの先生が。。。
弟が17才の時からずっと面倒を見てくれてて、
平等に患者さんをみてるんやと思うけど、
ホントに気を掛けてくれてた。

移植コーディネーターの看護師さんも今日も一緒に説明に入ってくれて、
その人もみると、泣いてはった。
この人も一番最初の17才の時から弟の事を知ってくれてる。
寡黙な弟も、この人の明るさ・優しさには
ホントに救われたと思う。
昨日も一昨日もフロアーが全然違うのに、
気にかけてくれて、見にきてくれてた。説明も一緒に入ってくれてる。
いつもは涙を見せたりするような人じゃないけど、
このときは泣いてはった。

母はこの日も下を向いたままで、顔をあげる事はできず、
泣いてた。
昨日、実家で母がいないところで、父が私に
『今日、朝、ママ、声出して泣いてたんやで』
ってボソッて言った。
ママはこのとき、自分の母と姉妹が家に来るからと、
部屋の掃除をしてた。いつもの元気なママだった。

でも、やっぱり病院でのこういう話は、こたえるみたいで、
終始うつむいてた。

今日の説明の時は、私はもう質問はなかった。

また、弟に面会しに行った。
昨日より、顔のむくみはひいてる。
呼吸は昨日みたいに、スーハースーハーしてなかった。

20分位、母と弟と私の3人で一緒にいた。
『こんな体で産んでごめんなぁ』
『子供たち、迎えに行くんやろう、元気にならな』
と、母は言ってた。

私は
『DVD、子供たちに見せるねんやろ』
『サプライズがあるんやろ、ホンマは。
知ってんねんで!』
とか、いろいろ話しかけた。

ホントにつらい。
しょっちゅう病院へ行ってた母は、
比べ物にならないくらい、しんどいと思う。
それを考えると……

小さい頃から、私よりも弟ばっかりひいきにして、
それで何度もケンカをしたことがあるぐらい、
弟の事がかわいくてしょうがなかったと思う。

母vs弟で、入院中、ケンカもよくしてたけど、
それでもやっぱり親子やし、
昨日ケンカしても次の日にはあっけらかんと出来るし、
でも母から私に、よくメールで
『まだ怒ってるかなぁ』って届いてたこともあった。

弟も、長期の入院生活で、いろんなストレスを抱え、
どうしても母へ当たってしまい、
素直になられへん所もあったと思う。
でも私には親には迷惑かけてる、ってメールを
くれたこともあった。
この事は、親にも話さなアカンなぁって思ってる。

こんなこと、書き出すとキリがないよねぇ。。

いろんな事が落ち着いて、
幼稚園の時から書いてきた日記を読み返してみようと思う。
こんな時のために日記って書いてたんかなぁ、とは
思いたくないけど、もう小学低学年くらいの記憶って、
かすかにしか覚えてない。
だんだん忘れる。

なんか、まとまってない文章になってるような気がするけど、
読めるかなぁ。

このブログの更新をしながら、自分の中でも整理が
出来てる。

まだまだ弟も頑張ってるのだっ
私も頑張るぞっ
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昨夜から面会まで

2008-09-30 | おとうと
昨日、ホントに突然、弟の容体が思わしくなくなり、
朝から病院へ行き、夜12時に自宅に帰って来た。

そこからダンナ君に説明。そしてシャワー。
となると、お布団に入ったのは、1時過ぎ。
髪も乾いていない状態で横になった。
ダンナ君と他愛ない話をしながら。
2人とも寝れず、結局寝たのは2時前だったんじゃないかなぁ。

そして、夜中に目が覚めて時計を見ると、3時半。

あれっ?さっき寝たばっかりやん。

全然寝れなくなり、テレビをつけた。
真っ暗で少し怖いっていうのもあったけど…。

それでもテレビは最初からそっちのけやけど、
全然寝られへん。

結局、お布団から出て、起きた。
パソコンで色々調べてた。
脳幹のことや、ほか色々。

そして、5時半ごろになって、少し眠たくなったので、
もう一度横になった。
目覚ましは6時20分になる。
寝起きがしんどいかなぁと思ったら、しんどくなくって、
逆にスッキリして目覚めた。

今日は、ダンナ君はどうしても外せない仕事で、
決まってる面会時間外でもコールをしてもらえば、
会っていただけます、との事なので、
夕方、ダンナ君と病院で待ち合わせする事に。

でも、それは夕方からの話。

早朝、ダンナ君を送り出してから、
家で独りぼっちになった。
考えてしまうのは弟の事ばっかり。
いろんな事を思い出して、涙がすぐに溢れてくる。

だから、他の事で気を紛らわして、せっせと動いたりしてた。
でも、やっぱりそんなのはすぐにネタが切れてしまい、
結局、実家へ行くことにした。

実家へ行けば、父母も祖母もおばもいてるし、
気分も落ち着くし、色々話しもできるし。

そして、3時からの面会に間に合うように、父母おばと4人で
お昼過ぎ、病院へ向かった。

いとこのお姉ちゃん親子も四国から病院へ直接向かってるとの事で、
病院で合流。
そして、いとこのお兄ちゃんも。
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