絵手紙の創始者といわれる小池邦夫氏が、
この富士のふもとで「忍野八海」
といわれるような湧き水の豊富な場所に、
絵手紙の美術館を作ったのが
平成16年。
doironが仕事で、文章を書くことが
最も多くなった広報担当になったころです。
楽しかったなあ、あの仕事。
伝えたいこと、感じたことを
文章にするというのは、
なにか自分の中を旅するような仕事でした。
あなたが仕事でやったことで
楽しかったことは?
ときかれたら、きっとこの時代の仕事だった
というでしょうねえ。
その後も秘書や教育関係などの
刺激的な仕事もありましたが、
自分を最も強く捕まえたのは
この時の仕事でした。
でもその時はまだ絵手紙に
すごい興味があってという
感じではなかったですよ。
doironが絵手紙にはまって行ったのは、
あの大きな事故にあった宝塚で
ひらって来た桜の花びらを貼り付けた、
まあ自分にあてたいわゆる
絵手紙のひとつが原因でした。
絵を加えて自分の思いを、
これからは仕事としてではなく
絵手紙を通じて発信していきたいと、
当時の仕事の先の延長的な感じで
60少し前から取り組み始めたのです。
一つは絵がうまくなりたいという
思いが強くなりました。
そしてもう一つは、絵が語りかけるような
言葉が読む人に共鳴してもらったり、
少しは力になったりという
気持ちで始まりました。
でも一方で小池邦夫氏の絵手紙は、
まず「ヘタがいい、ヘタでいい」
という感覚で、自分の思いを
読者に直線的に伝えていく
というものです。
感情をどんどんつぎ込んでいくので
製作数は驚くほど多い感じで
進めていき張ります。
すこし経路は違うので、
僕の場合は絵手紙というよりは、
「絵つぶやき」の方がぴったりかもしれません。
こん回の展示会では
そんなタイトルをつけています。
とはいえまあ、この小池氏が
描いた膨大な絵手紙は、
とてもdoironの気持ちを刺激します。
そんな彼の刺激的な絵手紙が
ここの美術館に並んでいるのです。
国道を走っていると、
富士山ナンバーの車が多いですねえ。
そしてナンバーはなんと
3776と富士の標高を表しています。
もう人々の暮らしの中に
富士は完全に溶け込んでいます。
道路の横に建てられた観光案内を
見ていますと、書いてありますねえ。
岡田紅陽の写真館、
小池邦夫の絵手紙美術館。
その案内に沿って左折していきましょう。
岡田紅陽とは、この前描いた
お札の富士山の絵の元になる
写真を撮った人です。
絵手紙館はこの人の写真館と
併設されているんですね。
これは楽しみです。
折に触れながめてきた
小池氏の絵手紙が、
もうすぐ目の前で見られるのです。
森の中には様々な施設があります。
高原ホテルがあったり、
カフェがあったりで、
若い人たちがソフトクリームを
食べながら歩いて散策するのには、
とてもいいところかもしれません。
そんなところを抜けていきますと、
ありました。
ここがその施設です。
森の中にひっそりと建っています。
では楽しみに中に入ってゆきましょう。
まず驚いたのは、この小池氏が描いてある絵手紙は、
はがきサイズばかりじゃなくて、
まるで掛け軸につけられるような
大きさのものまでさまざまでした。
パッと見れば、字に個性のある
書道家のような作品も多く、
思ってたようなハガキ作品は
あまり多く展示されていませんでした。
ネットから
興味を引いたのは、この場所だけに
「富士山」を描いた作品が多かったです。
資料によれば「富岳百景」と
名付けているようです。
続く