ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

飛鳥は静かなところでした2

2023-12-17 21:24:38 | ウォーキング

飛鳥寺で、日本最古の大仏に
祈りをささげています。



そんなにわか信者の横では、
お寺の説明員が淡々と
説明を続けていますね。
広報マン?
一生懸命ではなく流れに乗って
話が進んでいきます。

それとなく聞いていると、
どうも彼の推しは、
大仏の前に置かれている
仏舎利に注がれていますね。

お寺そのものが何度も火事や
災害にあっても、
この仏舎利は亡くなることなく
今も容器の中で存在しているんだそうです。

それが飛鳥大仏の
目の前の容器に入れられております。

白い骨なんでしょうね。

「日本で一番身近に仏舎利を
見られるところ」と
広報マンは言ってました。

その飛鳥大仏の横には
聖徳太子孝養像があります。



室町時代の木像で、
用明天皇の病気回復を祈っておられる
16歳の時の聖徳太子の像なんだそうです。
目の前に貴重な像なんかが
さりげなく置かれているという、
なんかこの寺は公明最大というか
大胆にも親切なお寺なんですね。

通路に従って歩いていくと、
発掘時の写真や古瓦などが
並べられていました。

まあ350円分以上の見た目は
ありましたね。

そしてこの寺の特徴はもう一つあります。
お寺の裏手の田んぼの真ん中にある塚です。

これは蘇我入鹿が首を切られたときに
ここまで首が飛んできたという
塚なんだそうです。
それがこれ。



でもねえ、入鹿が首を切られたのが、
ここまで600mもあるという



板葺宮だったので、
まあそれは無理ですねえ。
伝説上の話です。

でも回りが田んぼばかりなので、
今この地に立つと広々としたところに、
かつて悲劇があったって
なんかすごいですねえ。
地域の建築上の規制とかで
広々とした雰囲気は変わってないので
伝説の重みを感じます。

で、その塚なんですが、
写真を見ると塚の後ろの方に
山があって展望台がありますね。
あれが「甘樫丘」です。



蘇我の一族が住んでいたという丘ですね。
では、次にあの丘に登って行ってみましょう。



飛鳥寺から少し北に歩くと、
道が舗装された通りに出ます。



なんか雰囲気ありますね。
料亭のような食堂があって、
びっくりするような値段で
食事を出していたりします。

そして通りは飛鳥川のところに
出てゆきます。
もう目の前が甘樫丘の山ですねえ。

昔、飛鳥川に沿って「太子道」と
名付けられた道を歩いたことがあります。
聖徳太子が法隆寺に通った道が
そう呼ばれているのです。
甘樫丘はその時に横に見つつも
登っていなかった山です。
まあdoironの未踏峰ですね。

川を渡ると、そこに石垣が建っており、
そこには「聖徳太子生誕の地」と
書かれてあります。
その先から、山の方に入ってゆく
道がありますので登ってゆきましょう。



そこには木の階段が設けられていますね。



「マムシとスズメバチに注意」
と書かれています。
そんな道をえっちらおっちらと
上ってゆきますと、
広い展望台に出ました。

高齢者のおじさん10人くらいと、
若い二人がいました。
写真を撮ろうとしているので、
おじさんたちの集合写真を
撮ってあげましたよ。
飛鳥の村全体が見えていますねえ、
奥の方にある板葺の宮も
見えていますねえ。



入鹿の暗殺がここから
見えたのかもしれませんね。
とても眺めのいいところでした。

山頂付近をぐるりと回って、
甘樫丘を降りてきました。
飛鳥のこんなマンホール蓋を見ながら、
来た時と逆方向に歩き、
駐車場に戻ります。

本当にここは静かなところで、
こんなところに住みたいなと
考えた飛鳥。

名前の通りにちゅんちゅんと
鳥の飛ぶいいところでした。

おしまい


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 飛鳥は静かなところでした1 | トップ | ことしもあちこち旅三昧 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウォーキング」カテゴリの最新記事