ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

追悼散歩1

2024-01-23 21:16:26 | ウォーキング

1月17日は特別な日だ。

29年前のあの日の朝は忘れられない。
ドーンという大きな衝撃に目覚めた。
前日にテレビで見ていた
ゴジラがやってきたような衝撃だった。
息子もミセスも目覚め、
大きな揺れが納まるのを待った。

阪神淡路大震災を引き起こした
兵庫県南部地震だ。
住んでいる地域では震度4だったけど、
当時、40年近くも生きている中で
最も激しい地震体験だった。

震災後、友達がいる神戸に
食器をたくさん持って行ったなあ。
それが起こったのが1月17日なのだ。

で、この日の散歩はというと、
もうここ以外には考えられませんね。
神戸に向かっていくことにしましょう。
追悼散歩である。
まあ散歩マニアとしては当然の選択でしょう。

その日の朝は、五時半に起きました。
あの地震のあったのは午前5時46分。
朝の早い時間から追悼の集まりを
しているのを、テレビで見ていた。

するとねえ、ろうそくを能登半島の
形に並べて、ともに祈っている姿が
うつっていた。
伊丹市の昆陽池で行われていた
追悼の集会だ。
ああ、あそこも被害があったんやなあ
と思ったら、能登を追悼もしてはるし、
神戸に行く前に寄ってみるか
と考えたのだ。

早速車で出かけていくことにしましょう。
昆陽池には阪神高速で向かって
いくのがいいでしょう。

伊丹空港近くから下道を走り、到着します。

駐車場はありますよ。
そこにとめて歩いてゆきます。
昆陽池は昔の人の名前から
「児屋」と名付けられていたことから
ついた名前。
行基が作ったため池と言われています。

あ、ちなみに伊丹の語源はというと、
「糸を績む土地」の意味で
「糸績(いとうむ)」が転じて
「いたみ」になった説や、
機織りのために養蚕が盛んだったことから、
クワ科の植物「イタビカズラ」の
古名「イタビ(木蓮子)」が
転じた説があったりしますが、
いずれも織物関係の業務に
関連しているようです。

さて、話は元に戻って昆陽池なんですが、
大きさは一周は約3キロ。



歩いて一周するには最高な感じですね。
駐車場から左回りで
あるいていくことにしましょう。

この池の大きな特徴は、
僕の知る限りでは多くの水鳥がいて、
周りにゴキヅルなどの
珍しい植物があったりします。

そして昆陽池公園になっている
岸辺には昆虫館があって、
蝶が温室内を飛び回っていた
という記憶があります。

でもまあ今日は追悼です。
それに関した周りの施設を
尋ねていくことにしましょう。

ここには散歩者やランニングしている人たちも
多くいますし子供を連れた
お母さんも歩いていたりして
回りに親しまれている公園
という感じもしますね。

林の中の散歩道を歩いて進んでいきます。



途中にはこんな歌の碑や、
ふるさとの森なんて
コーナーもあります。



また道横の池の干潟には
アオサギがいたり、



ウがいたりもします。



池全体の景色も広々して
なかなかいいものです。



やがて右に芝生の広場が見えてきます。



その広場の片隅で追悼集会が
開催されていた様です。
でも早朝からの集まりだったので、
もうすでに大勢の作業員で
片づけが始まっていました。

残念、能登半島の形をした
ろうそくはきれいに片付けられていました。

続く


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