この夏に阪和電鉄の痕跡を探しに、
阪和線を歩いた。
多分生まれて初めて降りた
美章園の駅なんかも周りを散策したねえ。
その後に行ったのが杉本町。
その駅で線路の端っこに線路を
通していた跡を見ましたねえ。
そこが、少し前に廃線になった
路線である「阪和貨物」の廃線跡でした。
前回この杉本町の駅から
この廃線跡を少し歩いてみましたね。
そこには線路は残っていませんが、
枕木が立っていたり、
道床が散らばっていたりしました。
敷地はほとんどがそのまま残っていましたね。
5分くらい歩いた杉本霊園のところで、
これは跡をたどれるなあと確信し、
探検はその時はそこまでで
終わっていました。
じゃあこんどこの阪和貨物の後を
追って歩いてみようということになり、
今回の散策となりました。
では阪和線に乗って杉本町まで行きましょう。
信太山から乗ると、結局各駅停車で
行くことになりますね。
ゴトゴト揺られてゆきます。
杉本町に電車がついたのが午前10時。
ここからすぐに散策を始めます。
阪和貨物線とは八尾から
杉本町を結ぶ線の総称です。
昭和27年に始まり、貨物と旅客である
特急「あすか」などが走っていた線です。
他にも臨時列車なんかも走っていました。
複線化の計画もあったのですが、
財政難で止まったまま、
昭和61年に走る列車はすべて廃止。
そして平成21年に全線廃止
となった路線です。
杉本町駅の東口の横の空き地は
以前にここを阪和貨物が
走っていたところですね。
働き始めたころ、この線路の存在は
まだあったんですね。
その一部が松原市を通っていたので、
旅客列車が走っていれば
使っていたかもしれません。
その頃の予算書を見ると、
廃線になるまでは国鉄からの
予算が入っていて、一度ちらっと
調べたこともありましたね。
そこを今回歩いて追って訪ねてゆきます。
JR杉本町駅の空き地の続きに広がる草地。
これが阪和貨物の路線跡の始まりです。
以前通りかかったときにも、
ああこんな感じで残っているんやあ
と写真を撮りましたね。
比べてみると、こんなに草もなく、
廃線跡って感じでしたが、
いまはしっかり草もぼうぼうで、
きっと管理の人も大変なんでしょうねえ。
こんな感じだから、ほっておけないぞと
この先も売り払って民地に
なっていたりするのかなあ
とか思いつつ、道路をしばらく
線路跡に沿ってくねくね歩き見ていきました。
中にはこんなに草も生えておらず、
道床(線路の底のぐり石)が
転がっているだけの
さっぱりしたところもあるのですが、
線路跡の土地は残っている様子でした。
そして今回も同様に道路をくねくね歩き、
散策の終点となった杉本公園と
併設された杉本霊園のところまで
やってきました。
まだまだ線路跡は残っています。
では同様に今回も線路跡を見失わないように、
道路をくねくねと歩いて行きましょう。
公園内から見ていても線路跡は
墓地の横を通り過ぎてゆきます。
線路はこの先で瓜破霊園の横を
通ってゆくので、電車からは
微妙な景色だったんでしょうねえ。
墓地を出ても線路跡は住宅地の裏側を、
まるであたかも公園みたいに
空き地を広げて進んでいきます。
ああ、こんなそばを貨物や
特急あすかが走っていたんですねえ。
できれば、こんな空き地の中を歩いて
進んでいければいいのになあ
なんて思いながら、
道をくねくねとたどりつつ進んでいきます。
ここは路線横の公園?
それとも物置?
何となく意味の分からない空き地も
路線にそってあったりします。
住所はまだ杉本町1丁目。
ここから苅田の方に東進してゆき、
大和川沿いのコースへと入ってゆくはずです。
続く
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