義父は写真が好きだった。
釣りが好きで、絵も好きだった。
ただ絵はなかなか自分の思うようにならず、
いろいろと道具を買っていたが
つかいこなすこともなく、
亡くなってからの遺品の中に
筆やパレットや絵の具も
ボロボロになってのこっていた。
そんな絵に替わって
もう一つ趣味として持っていたのは写真だった。
二眼レフなど貴重なカメラを
持っていたのを思い出す。
幸い絵と違って写真の方は、
かなり成功をした。
とはいっても趣味の範囲やけどね。
関西の写真クラブに入り、
大きな賞を何度ももらっていた。
家の片隅には暗室も作り、
現像もしながら趣味の写真を
楽しんでいたようだ。
若いころはdoironも花の写真を
撮っていたんだ。
花の名前を覚えるのに、
写真撮影は役立ったね。
何百種類もの花の写真を撮り、
それを義父に見てもらったりしたが、
今から思えばピントの甘い
幼稚な写真ばかりだったな。
このセツブンソウの花も義父さんに
見てもらったが、全然興味を示されなかった。
その後、このブログでも紹介してきたように
各地の風景写真を撮りまくって、
今は何枚くらいあるのかなあ。
たぶん10万枚くらいは撮影しているやろな。
デジカメやからそんなに費用は掛からない。
昔の花の写真のように現像した
写真だったらすごい費用になっていただろう。
今も家には義父さんの写真は飾ってある。
二つの森の向こうに枯れた木が
建っているという写真だ。
部屋の電気がうつって変やけど
この額の中には、義父の写真が
何枚も収められている。
こんな保存方法はいかんのだろうが、
ミセスがこれでいいのと言って
キッチンの片隅に飾っている。
そもそも写真というのは歴史も古くはない。
カラーとなるともう本当に新しい。
100年もたっていないのだろう。
昔は写真と言えば銅板を使ったり
していたそうで、現像も絵の具を
塗ったりして思いの淵を表現していたそうだ。
そんな時代にカメラに携わっていた
土門拳とかもおられるが、
当時写真の天才と言われる人が
一人おられた。
安井仲治という人だ。
最初は本当に黒の絵の具なんかを
使って写真つくりをしていた。
広い写真画面の中で1点だけ
ぴたっとピントの合う部分があったり、
同じ印画紙に重ねて現像したりしながら
当時の世相を語ろうとしていた。
まるで、まあ筆ではなくて
カメラを使った一枚の絵のような
作品を作っていたそうだ。
そんな人の写真は戦争で
ほとんど焼失してしまったが、
焼け残っていたネガから現像をし、
本なんかに残っている彼の写真も再現して、
兵庫県立美術館でその安井氏の
写真の展示会をするというので見に行った。
神戸の灘当たりの臨海沿いにある美術館で、
以前「不思議な絵」の特集をしているときに
行ったことがある。
たぶん、あの阪神淡路大震災の時には、
がれきとなったあたりに
作られているんだと思います。
家から阪神高速湾岸線に乗り
ハーバーハイウエイを通ってゆきます。
道路から見ていると、
コレクション展と書かれていたりして、
入館無料とあるのですが、
これなんだろうかと、
地下の駐車場に入ってゆきます。
広い建物の中を通り、
受付へと向かってゆきましょう。
続く
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