高速道路で塩尻、姨捨山、
上田を過ぎ、小諸インターに到着です。
ここから浅間山の南側を走ってゆきます。
午後の日差しが、
浅間山を見事に照らしていますね。
この山は標高2568mの活火山。
噴火口の状況に応じて
登山規制されている山です。
道のところどころから
その姿がうかがえます。
時折、少し山の方にあがって行って、
もっと浅間山の景色を
楽しもうと思うのですが、
なかなか森の雰囲気が途切れることがありません。
とりあえずは、目的の軽井沢へと行きましょう。
道の合間には、中山道の表示が増えます。
軽井沢辺りは宿場町なんですね。
まず最初は軽井沢の駅を目指しましょう。
新幹線も通っていて
なんか以前にはない賑わいを
見せているかもしれません。
ここに来るのは3回目
くらいになるでしょうか。
清里あたりがとてもブームになった時に
やってきて軽井沢の体験を
したことがあります。
それから夏の旅行で来たことがありますね。
もう30年以上前の話です。
あれからずいぶん変わったやろなあ
と思いつつ駅に着くと、
もうすごく変わっていました。
鉄筋の駅舎で、田舎の避暑地という
感覚はもうありません。
駅前の高架のロータリーから
眺めた景色もすごく近代的です。
以前はこんなイメージは
全然なかったのになあって感じです。
まあ町の雰囲気もかなり
変わった感じがします。
あちこちに宣伝看板が立ち、
そこにきれいごとの文字が
いくつも書かれています。
お土産の宣伝、
乳製品の宣伝、
観光場所の案内、
なんかねえ、高齢の観光客は
ちょっと騙されないように
注意しなきゃと変な警戒心を
抱いてしまいそうです。
駅の観光案内所に入って
地図をもらったりします。
係の人と話をしていると
いろんな情報が入ってきますね。
駅の裏はスキー場になっていたり、
アウトレットのお店が並んでいたり
するそうです。
また後で覗いてみましょう。
そしてそれから千住博の
展示館の話をしていたら、
割引券もいただきました。
いよいよ、旅の本番が始まったよ
という感じです。
あそこも行かなきゃ、
とか考えていたのですが、
この時も気になるのは膝の痛みです。
もう違和感を超えています。
階段の上り下りが変な感じです。
近代駅舎内の移動は、
エスカレーターなどを多様です。
新幹線に乗ると、
東京から軽井沢まで1時間強です。
東京の人にとっては
絶好の観光地ですねえ。
また大阪から全部新幹線だと
4時間で到着するとはねえ。
なんか遠い避暑地という
感覚ではないですねえ。
新幹線だと車の倍の速さです。
駅から今度は別荘地なんかを
車で回って見学して回りました。
でもこの辺りも、歩道を多くの
観光客が歩いていますねえ。
世間を離れて別荘で
のんびり過ごそうという人たちに
とっては、あまり歓迎されない
観光客って感じでした。
なんか周りの様子を悪い方に
ばかり考えてしまうのは、
痛風の影響なのかもしれません。
そうしているうちにいよいよ
日も暮れ始めました。
では予約してあった宿の方に向かいましょう。
そこは、結婚式場も兼ねた宿泊ホテルです。
荷物を担いで、痛い足を引きずりながら
駐車場から受付に向かいます。
建物は二階建てなんで、
脚に負担はないかと考えたのですが、
なんとここにはエレベーターなどもなく
すべて階段で移動するとのことです。
むむむと二階の部屋まで
へいこらと上がってゆくdoiron。
お風呂は温泉なんですが、
余り温めてはいけないですね。
膝を加減しながらですが、
無人のお風呂だったので、
ゆっくりと足を冷やしたりも
しながら楽しみました。
軽井沢に向けて、
軽自動車で橿原から西名阪、
東名阪と乗り継いで、
ようやく中央道に乗りました。
大渋滞と夜間通行止めを乗り越えて、
なんとかここまできた次第。
色々道路が整備されて、
あちこちを通り抜けながら、
ここでも山を縫って北上していきます。
この時ねえ、あれ?自分の体で
これは変だぞと気づいたことが
一つあります。
なぜか膝が変に痛いのです。
昨日のトレーニングは、
といっても膝に負担がかかるような
ことはしていません。
こ、これはあの尿酸の仕業
なのかと疑い始めました。
ま、いわゆる痛風ですね。
脚の指先だけでなく、
膝にくる場合もドイロン
の場合たまにあるのです。
ウヒャー、長い間出ていなかったのに、
もしそうだとしたら
ここにきて旅の途中でやってくるとは、
まあなんと意地悪な病気でしょう。
ビールも今はプリン体ゼロを飲んでいるし、
魚卵もあまり食べていないのになあ。
これはちょっとげせません。
原因といえばおもいあたらないのですよ。
あえて言うなら、ひと月前の
祭りの後遺症かなあ。
でもそれは離れすぎやなあ。
高齢化すると、思わぬ不具合が
出てきたりするんでしょうかねえ。
もう長いこと出ていなかったので、
旅の時にはいつも持っている痛み止めも、
今回は持っていません。
一瞬どうしようかと悩みましたが
この時点で痛みはというと、
まだ今のところは違和感に
毛が生えた程度なんで、
このままひどくならないことを祈りつつ、
まあなんとかなるだろうと
進んでいくことにしました。
計画としては、本日軽井沢に到着し、
車で周辺を散策しつつ宿泊。
明日は美術館等を何館かめぐって
帰宅する予定です。
何とかなるでしょう。
で、その軽井沢なんですが、
もう少し学んでおきましょう。
最初はその地名です。
ネットのウィキにはこう書かれています。
“古語・方言で荷物を背負って
運ぶことを「かるう」と言うことから、
峠に続く谷間のことを呼んだという説や、
"枯井沢"(水の枯れた沢)から
転じたという説、"凍り冷わ"(こおりさわ)
から転じたという説、
"軽石沢"(軽石によってできた沢)から
転じたという説などがある。”
と書かれています。
浅間山に近く、標高1000mくらいの
ところにできた、火山性の平地です。
夏でも涼しく、日本の避暑地と言われていました。
別荘ブームなどが発展したのですが、
徐々に観光地化が進み、
にぎやかな上流階級の山里
みたいなイメージが今の印象ですね。
友達に軽井沢に行くねんと言ったら、
上流階級の暮らしを経験してき
といわれたりしました。
中央道から長野自動車道、
信越自動車道と乗り継いで
向かってゆきます。
途中で、息子の住んでいる上田も
通るのですが、今日軽井沢にいるからと
メールをしても、普段から働いている息子夫婦は
なかなか会いに来る時間も作れなさそうだ。
ま、こちらは孫にも会えなくて
残念だが、気楽に高齢二人旅で
のんきに旅していくことにしましょう。
昼食は中央自動車道の
駒ケ岳でいただきました。
食事後、外に出ると中央アルプスが
これは車から
よく見える場所があると案内がありましたが、
坂道をグインと上ってゆく感じです。
うう、これは痛風の足に響くかな
と思いキャンセルですね。
なんか先が思いやられます。
でも天気はとてもいいですね。
山々の紅葉が秋を感じさせてくれます。
しかしもう11月ですから、
高い山には雪が降ってもおかしくない季節です。
どうか旅をしている間は
穏やかな天候が続くようにと
お祈りしておきましょう。
この旅の始まりは、NHKで放映された
一本のドラマからでした。
それは千住博という画家が
高野山の金剛峯寺内のふすま絵を
描くというドキュメント映像でした。
この画家がそこに、自分の得意である
滝の絵とがけっぷちの絵を描くというもの。
滝の中に空海が潜んでいるんだ
という思い入れで、滝の絵をいくつも書いた。
もうまるで、富士山の白糸の滝を
描いたような絵だったなあ。
霧吹きで水滴を表す技術に舌を巻いた。
そしてがけっぷちは、
くちゃくちゃに降りたたんだ
和紙に染料を塗って、
複雑な自然の状況をみごとに
表すというこれもまた驚きの
手法でえがいた絵でした。
その和紙屋さんをたずねていく旅もしたなあ。
このNHKのドキュメントの
最後に驚くべき話が合りました。
このドラマを見た人が、
最後にはっと驚くような空海との
出会いがあったのだが、
それは多分また再放送されるであろう
ビデオをみて知ってほしいと思います。
ひとつのオチですので。
で、doironはこのふすま絵が見たくて、
実は高野山に出かけることにしたのです。
知り合いが高野山の参与であり、
詳細がとても詳しいので
お参りの時にくっついていったわけです。
参与のみんなはどこに入ってゆくのも無料です。
しかも1名までは無料で同行できる
というので、様々なところに
無料で案内してもらいました。
まずは奥之院で弘法大師にお参りです。
しっかりお経をあげて
ちゃんとお参りします。
そしてそこから金剛峯寺へと向かうのです。
ここも無料で入って、そのふすま絵を見ました。
いやあ見事でした。
とてもいいものを見たという印象でした。
その辺ことは過去のブログにも
紹介していますので、また見てください。
で、このことが今回の軽井沢への
旅の引き金になったのです。
そう、このふすま絵を描いた画家
「千住博」の展示館が軽井沢にあるのです。
軽井沢と言えば、息子が住んでいる
場所の近くです。
機会があれば息子にも、
そして孫にも会えるかなという
気持ちもあって、さっそく軽井沢の
宿泊を予約したのです。
展示館は火曜日が休みですので
行くのは水木を予定していたのですが、
どうも予約の関係で火水に
なってしまいました。
向うに行けば観光する場所は
いくらでもあるし紅葉もあるだろうから、
それでいいでしょう。
早速ミセスと出かけていくことにしました。
脚はミセスの軽自動車です。
経路は、息子の場所のさらに
奥なんでよくわかっています。
いつものように早朝に車で
家を出てゆきました。
阪和道に入り、いつものように
第二京阪で進んでいこうとしたのですが、
その時に気がつきました。
京滋バイパスが夜間通行止めだったのです。
早朝に家を出たので、
今から向かっても通行止めにあたります。
いやそれどころか、
事故の影響なのか阪和道も大渋滞です。
頭の中で、経路についての考えが
どんどんめぐります。
そこでまず気づいたのが、
奈良の橿原方向へ行き、
そこから西名阪を目指して
ゆくことにしましょう。
大渋滞の中、何とか松原を過ぎて
橿原への道路に入ります。
そこから、ナビに沿って高速道路を降り、
下の道から天理に向かって
進んでいきます。
まあ流れは順調でしたね。
西名阪に入っても順調に進んでゆきます。
まあ何とか事故渋滞と夜間通行止めは
逃れたようですね。
四日市まで進みさらに進んでいきますと、
中央道に入る小牧まで行き
中央道へと進んでゆきました。
なんかいろいろ経路を変遷しながら
来たので、疲れましたね。
軽自動車なのでこんな時は
ミセスと交代ですね。
そうして順調に進んでいきました。
ああ、何という勘違いをしてしまったんだろう。
今月の9日のブログで
「スタジオ内ランまもなく2000km」
というのを書きました。
2000kmと言えば稚内から
九州の端まで行く距離だ。
それをスタジオ内をくるくる回って
走り切ったというから、
もうdoironの変態度を称賛する
記事だったはずなのに、
これがとても大きな勘違いに基づいていたのだ。
2000kmというのが、
まったくの大ぼらで、
実際は1200kmだったのだ。
いや数学はとても好きなんですよ。
数学が好きで理系の大学に
行ったくらいなんです。
今だったら、文学系か美術系か
歴史系を選ぶ文系のおっさんなんですが、
当時は違っていました。
もうまるでフェルマーの最終定理を
証明しなさいと言われるような
数学好きだったのにねえ。
スタジオ内で走った距離の合計は
150mごとにタイムを取って
書き留めているので
先日、この距離が1190kmを
超えたのだ。
このデータを見てdoironが考えたのが、
あと10kmで2000kmや
と思ってしまったのです。
なんかとてもうれしくてブログに書いたし、
昔のランニング仲間にも
ちょっと自慢したりしていたのです。
でもふと思ったのですよ、
次のランニング総合距離は
四国お遍路の距離を目指すんだ
といってたのに、四国って
こんなに広かったっけと考えたのですが、
それももうとっくに超えたんやな
と勝手に思っていたのです。
このことにきずいたのは、つい最近です。
きっちりランニング距離を
紙に記しているのですが、
ちょうど2000kmを迎えた
と思った時です。
あれ?僕のランニングで
余りも出ずにちょうど2000kmを
迎えるのは変だぞと思ったのです。
150mごとに距離を計測・記録
しているのですから
割り切れないはずなんです。
doironの中にある数学魂が騒いだんですね。
で、もう一度記録用紙を見直してみると、
なんと2000kmではなくて
1200kmだったんですね。
これだと150mできっちり
割り切れますからね。
なんと800kmも誤解していました。
萩往還レースの3倍以上
サバを読んでいたんですね。
もう大量のサバです。
さば街道でも一度で運びきれません。
そう、練習で一周30mの
スタジオをちょうど40000周
したことになります。
四国お遍路も経路のとり方で
1100kmから1400kmと
言われているので、
まあちょうどそんな距離です。
ほんとに自分の都合の良いように
誤解してましたねえ。
大反省です。
でもこれもまた力にしないとね。
スタジオランの目的地を次は
ちょうど2000kmに
設定しましょう。
息が止まるほどランニングして、
脳梗塞になるほど変に生きて、
やっとこの歳まで生きているんですから、
doironの人生はそもそもの
誤解に満ちているんですよ。
でも負けずに都合よく、
これからも生きていかなくちゃと
計算ミスで改めて思った
大勘違いだったのでした。
絵手紙も書いていて楽しくていいのですが、
最近は合間に森の絵を中心に
描こうかなとたくらんでいます。
あの堺の森での出来事が
ずっと頭に引っ掛かっているからです。
大きさは、大体A4~B4サイズくらい。
まあ展示するならもう少し大きい
サイズがいいかもしれませんが、
でかいサイズだととても絵の力が必要です。
自分でこれまであまり書いていない
サイズなので、どれだけ描けるか
わからないからその様子を見ながら
取組んでいこうと思っています。
と書きながらも、もう頭の中では
いろんなことを考え始めているのですよ。
まず絵の全体的なこと。
描くのは水彩画ですが、
絵の具の配置、強弱で雰囲気を
しっかり出していくのが
水彩画として必要ですね。
でもそれもむつかしいけど、
ここでの絵は雰囲気だけではなく
正確にち密に描かないといけない
場合も出てくるでしょう。
写真で現地の雰囲気を出すような感じで、
再現性高い絵を描かないといけない絵が
きっと必要になってくるはずです。
まあということは水彩画の特徴を生かして、
雰囲気と再現性を高めた絵なんてのが
最高なんでしょうけど、
ちょっとまだまだそんな技術はありませんし、
どうしたらいいのかわけワカメです。
またくわえて部分的にもむつかしいね。
ここで植物をかくならその正確性を
損なってはいけません。
葉の付き方が交互につかないといけないのに、
交互になっていなかったり、
葉にいらないとんがりがあったり
とかはこの場合はいけないでしょう。
また動物だったら足の数が違うとか、
生態性を損なっているとかはだめだとか、
ちょっと細かい配慮がきっと必要です。
また湿った場所だと、
水分の描き方もむつかしいね。
なあんてことに色々と
想い馳せてしまいます。
まあ、とりあえずそんな勉強も
しないとなあと思い、
図書館に行っては水彩画の指南本を
借りてきたりしています。
ネットももちろん活用しますよ。
基本は「森の描き方」なんて
言葉を使用して、いろいろと
探ったりしています。
絵のことについては、
そうして勉強もしていかないと
いけませんが、現地のことも
もっと勉強していかないといけません。
あったかくて天気のいい日に
チョコチョコとそこに出かけて行って、
森をさまよっていこうと考えています。
あ、雨の日なんかも必要かなあ。
雪の日とか。
また全体的には四季に応じた絵を
かいていかないといけないなあとか、
人も入れた絵が必要かなあ
とか考えだしたらきりがありません。
まあ取り掛かりつつ考えていこう
と今は考えつつ、森に向かおう
としている最近のdoironなのであります。