髑髏フラワー

ママの口ぐせお花はドクロ!

生まれて初めて味わう恐怖。初の名古屋ツーリング!

2009-09-30 | ツーリング
2009年9月26日。
翌日のPerfumeの名古屋公演に参戦するために、生まれて初めてハーレーXL883Nでの長距離ツーリングに出かけた。

結論から書こう。

見通しが甘かった。
甘すぎた。

「厳しいだろう」とは予測していたが、それを上回るほどに厳しい結果だった。
元々長距離のトラックを運転していたこともあり、東京~名古屋は何度も往復したので、道は知っている。
それが過剰な自信につながったようだった。
のんびりと座って移動するクルマと、身体をむき出しにして移動する2輪は、同じ距離を移動しても、そこで感じる感覚はまったく違うものだった。

まあ、大型二輪を所得して、ハーレーが納車されて一ヶ月も経たないうちのチャレンジだから、当たり前か。
画像が携帯で撮影した一枚だけだった(デジカメは一度も使わなかった)ことで、この旅の過酷さが証明される。
ちなみに、私のXL883Nは、900キロを越えた段階で初回点検は受けていないが、オイルだけは交換してもらった。
では、以下にレポートする。

まずは、当日の仕事を高速でこなした。
夜明け前から仕事をし、午前11時には終了して帰宅して、適当なものを腹に入れてシャワーを浴びる。

前日に用意した持ち物を厳重にチェックして、指差し確認もしつつ、サイドバッグに詰め込む。
今回のツーリングの持ち物は、テグナーの10リットルのサイドバッグと、ポーターのウエストバッグだけだ。
はっきり言って詰め込める量が少ない。
特にウエストバッグは、できるだけ少量に抑えたかった。
タンクバッグ一個でもあれば万事解決なのだが、それは私の経済が許さない。
天候は入念に調べて、雨には遭遇しないと判断。
雨合羽も装備から切り離す。
それでもサイドバッグはパンパンに膨れた。

今日は予定が色々とあるが、ライヴ自体は明日なので、時間がかかっても、移動だけでも終了すればいい。

そんな気軽さもあって、ゆるゆると12時に出発した。
目標は16時ごろに到着かな~。

午前中の渋滞はすっかり解消して、中央高速は空いていた。
東名で向かったほうが気が楽なのだが、せっかくだから中央高速も走っておきたい。
何より、自宅が調布のインターから近かったこともある。

とりあえず高速に乗っかり、80キロ巡航で身体を慣らしていく。
身体を慣らしていく。
身体を慣らしていく。
あれ?いくら走っても身体が慣れない。
風圧の恐怖心が薄まらない。
結果、80キロ巡航のまま、身体が疲れを感じる手前の初狩PAにて昼食をとる事にした。

もうこの時点で予定が狂っているのだが、そのときにはあんまり考えていなかった。
しかし、昼食をとって身体はほぐれたのか、その後はなんとか90キロ巡航で、時には100キロまで出したり、80キロまで落としたり、色々な走り方を試していた。
こういった気まぐれな走り方は、長距離を走るにはもっとも不向きな走り方だ。疲労が溜まりやすい。
しかし、楽しさも感じられるので、体力や集中力のことなどは考えずに走る。
それが祟り、すぐに疲れと集中力の欠如が襲い掛かってきた。
ケツの骨も痛く感じてきた。

双葉SAで、一回目の給油と、痛くなってきた左ヒジ、ヒザ、ケツの骨を休めるために休憩。
座ったりせずに、歩き回るほうが良いとの情報があったので、サクサクと歩き回る。

この時点で、連続走行40分が限界になってきていた。
特にケツの骨の痛さが厳しい。
それに、集中力が切れると、走っている時に地面に足を着いてしまいそうな恐怖感がずっと続く。
それによって足に必要以上に力が入ってしまい、ヒザの痛みにつながる。

八ヶ岳PAでも、ほんの一瞬だけでもと思い、バイクを停めてタバコ休憩をした。
もうすでに敗者の貫禄十分である。

その後は、
諏訪湖SA
駒ケ岳SA
と、細かく休憩しながら進む。
諏訪湖SAでは、素晴らしい景色が見れた。
しかし、感動とこれからの不安が混ざって複雑な心境だった。
駒ケ岳SAでは、無料できのこ汁が配布されていて、それがめちゃくちゃ美味しかった。
温かくて心に染みる。

やっとの思いで岡谷JCTを通過した。
ここから先もまだ長い。

そして、休憩を挟みつつも。行きのメインイベントととらえていた「恵那山トンネル」に挑む。
全長が8キロ以上もあるトンネルだ。
私は、長距離トラッカー時代は、このトンネルが嫌いだった。
視覚が狂って、もの凄くトンネル内が狭く感じて、ハンドル操作に慎重になってしまっていた。
二輪だと、さぞ恐怖心が倍増するだろうと思っていた。
このトンネルは、危険物を積載したトラックは走行できない。
「危険物積載車は高速を降りろ」
という標識がたくさんあって、恐怖心はうなぎ登りに。
しかし、いざトンネルに入ると、巡航速度は70キロくらいに落ちて、安心して通過できた。
こんなものか。やや拍子抜けした。

しかし、ここで日が傾き始める。
谷あいの道はかなり暗くなっていた。
心が焦り始める。
その焦りがさらに状況を悪化させる。
地図をチェックする余裕もなく、「確かこの次のJCTで左方面に舵を切ればいいんだよな」と、土岐JCTを左方面に入り、東海環状自動車道に入る。
しかし、そこは見慣れない高速道だった(いつもは小牧JCTから名古屋へ入っていた)。
しかも、周囲の巡航速度が急に高くなり、意思に反して100キロ以上で走行した。
薄暗くなった視界と、厳しい風圧に、再び恐怖心が全身を襲う。
自分の進路が間違っていないことは分かっているが、それを確認したかった。
時計は17時を回っていて、もうほとんど「夜」といってもいいくらいに暗くなった。
せと赤津PAに入って地図を確認しよう。
PAは、本当に駐車してトイレを済ませるだけの設備で、心細い私の気持ちに追い討ちをかける。
サイドバッグを開けて地図を…。

地 図 を 忘 れ た 。

まあ、タバコを吸って落ち着こう。
やってしまったミスに、いつまでも執着しても状況は好転しない。
それよりも、これからの未来について考えたい。
ホテルまでのルートは、ぼんやりと覚えているので、まあ大丈夫だろう。
とにかく、今自分が走っているルートが正しいと確認したい。
PAエリアを歩いてみても、特に有効な案内は存在しなかった。
なんとか携帯で地図情報を引き出し、時間をかけて現在位置を把握した。
ルートは間違っていない。
次に遭遇するJCTで、伊勢湾岸道に入れるはずだ(分かってないじゃないか!)。
燃料の枯渇問題も抱えつつ、発進した。
燃料ランプが点灯したらすぐに下に降りよう。
もしかしたら、人生初のガス欠も体験できるかもしれないさ。

心はボロボロに砕け散っている。

100キロ以上の巡航速度に耐えて、無事に伊勢湾岸道に入れた。
安堵する気持ちと、ほとんど燃料が枯渇しているだろう不安感。
刈谷PAの存在を忘れていた自分に歓喜!
ここで給油ができるぞ!

無事に給油ができて、目的ICである豊明で降りてホッとできた。

しかし、ここからも記憶を頼りにホテルまで移動しなければならない。
私が目指すホテルは、名和(なわ)という所だ。
確か、23号線を走って「北頭」だったかという交差点を左折だ(会場に行くための地図と混同している)。
そして、知ってはいたが23号線には信号が無い。
どんどん進んで、いよいよ自信が無くなり、適当な場所で左折して、コンビニで地図を確認した。
中々いい場所で地図を確認したようで、そこからルートを変更して、ライヴ会場は見ないでホテルに直行した。

やっと18時近くにホテルに到着した。
東京を出発して6時間。
荷物を降ろして、息つくヒマも無く友人と飲みに行くために出かけた。
それ以降は「ライヴレポート」をご参照ください。

明けて翌日。

行きとは違い、復路は翌日に仕事を控えているために、時間制限がある。
翌日は5時起床で仕事だ。

ライヴは19時過ぎに終了した。
往路の時間オーバーを頭に入れて、東京着はぶっ飛ばして24時着と考えた。
走りなれた東名だ。
それくらいで到着できるだろう。

しかし、中々の渋滞で、思うように走れなかった。
身体は疲れていたが、脳内は疲れていなかった。
どんどんと時間は過ぎていく。

帰りは完全な「夜」なので、きっちりと「巡航速度」を意識して、100キロ巡航のトラックにスリップストリームをかけて巡航しようとプランしていたが、100キロ巡航のトラックがいない。

90キロか、80キロ巡航だけだ。

とりあえず80キロ巡航の大型トラックの背後について、風圧を軽減しながら走った。
バイクのライトによって銀色に輝くトラックの後ろ姿以外は、真っ暗闇で何も見えない。
しかし、その暗闇は凄まじいスピードで後方に流れている。
トリップメーターを時計表示にして、時間を確認しながら帰ることにした。

すぐに集中力が切れて、再び左ヒジと両ヒザ、ケツの骨の痛みが再発した。
たまらず三方原PAに入り、休憩をする。
その時点で20時半を過ぎていただろうか。

それからは、細かく休憩しながら、本線に出ると同時に80キロ巡航の大型トラックを見つけてはスリップストリームしながら距離を稼いだ。
当初の予定では、90キロ巡航のトラックについていく予定だったが、90キロ巡航のトラックが80キロ巡航をしているトラックを追い抜かすときの横風と風圧が恐ろしく感じて、80キロ巡航のトラックについていくことにした。
敗北感をたっぷりと味わう。

もちろん、こんな時間に高速道路を走っているバイクなど、ほとんどいない。
PAやSAに入っても、いるのは行楽帰りのクルマか、大型トラックばかりだ。
小さめのPAなどに入ると、寝ている大型トラックしかいない(懐かしい風景だが)。
その中にするすると入り込み、一人でベンチに腰掛けてコーヒーを飲む。
猛烈に寂しい。

21時半ごろだっただろうか。
もしも、自宅にいれば酒を飲み始める時間だ。
ネットにくだらない書き込みなどをして、のほほんと過ごしている時間だ。
それが、今現在は自宅からははるかに離れた場所にいる。
憧れの自分の部屋に帰るためには、この300キロ近くある鉄の塊を自分で操縦して行かなくてはならない。
長距離トラックに乗っていたときにも感じたことだったが、長い距離を孤独に走っていると、目的地に到達するまでの夢や希望が、どんどんとランクを下げてくる。
「目的地に到着したら、美味いもん食って、シャワーを浴びて、酒でも飲んでゆっくり寝たい」
などといった目標が、凄まじいスピードで降下してくるのだ。
「とりあえずなんか食えればいい」

「寝れればいい」

「寝れなくてもいいから、到着だけしてほしい」

「到着しなくてもいいから、死にたくない」

「ともかく死にたくない」

「生きてるって素晴らしい」

さらに先を進む途中で
「ともかく、何としてでも生きて自宅に帰るのだ!」
と、激しく心に誓う。
大げさな表現だけど、本気でそう思った。

暗闇を走り続け、やっと御殿場まで来た。
このあたりから安堵感が生まれたのか、単独でも高速で走ることができるようになった。

海老名SAで最後の休憩をとる。
時計の針はすでに午前1時を回っていた。
4時間後に起床して仕事に行く予定だが、仕事に行くとか行かないとかは、自分が生きているか死んでいるかに比べれば些細な問題だ。
ともかく、生きて帰るんだよ。

再び単独で大型トラックの車列をぶち抜きながら、感動の川崎ICへゴール!

下の道に下りたときには、感動して涙ぐみそうになった。
最後の最後まで気を抜かずに、慎重に走って自宅に到着した。
時計の針は2時を回っていた。
名古屋のガイシホールの駐車場を出たのが19時過ぎ。
実に7時間もかかった。
アドレナリンが分泌されすぎたのだろうか、興奮してあまり眠れないまま2時間少々の仮眠をとって仕事に出かけた。

本当に有意義な経験ができた。
次回からは、ペース配分などをしっかりと立ててから行動したい。
そして、左ヒジとケツの骨は今でも痛い。
これも対策が必要だ。











コメント (4)
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