10月11日。
Perfumeの大阪公演に参戦するために、東京から大阪へ向かった。
結論から述べよう。
大阪のホテルで、バイクにくくりつけていた荷物一式を、すべて盗まれた。
着替え、防寒着、ライダースジャケットを失った。
以下にレポートする…。
開演時刻は11日の16時。開場は15時。
せめて、開場の1時間前には到着していたいので、到着目標時刻は14時だ。
大阪までの距離は、ざっと500キロ。
時速100キロで走行すれば、5時間で到着する。
逆算すれば、9時に東京を出発して、時速100キロで移動すれば、14時に大阪に到着できる。
しかし、そうは問屋が卸さない。
じゃあ、休憩を入れて7時間?
甘い。
前回の名古屋公演の時には、350キロの距離を、7時間もかけて走った。
渋滞や、風圧の恐怖に晒され、思うように走れなかったからだ。
じゃあ、あと2時間足して9時間?
いや、まだ甘いでしょう。
ここは思いきって、10時間見積もりましょう。
という訳で、11日の早朝4時に自宅を出発することにした。
前回の名古屋遠征では「長距離ツーリング」というものを完全に舐めきって行ったので、散々な目にあった。
スケジュールを立てないで走り出したので、進捗状況がまったくつかめずに、ペース配分も何もなく、ただひたすらにケツの骨とヒザとヒジの痛みと、疲労と恐怖との戦いだった。
今回はさすがに学習して、走行距離に対して時間を配分した行程表を手帳に記し、それにしたがって走行するようにした。
さらに、ライディングポジションもしっかりと「ニーグリップ」を意識して走ることにした(XL883Nは、ニーグリップができないのだが、心でそれを意識しながら走る)。
さらにさらに、新装備として、クルマ用の座席シートを導入したッ!(750円)
さらにさらにさらに、サイドバッグでは荷物の収納に限界があるので、リアフェンダーにくくりつけるためのバッグと、それを縛るゴムバンドも導入したッ!
そして極め付けに、似合わないライダースジャケットも着込んだッ!

ゲル状のシートは約1万円ほどだったのであきらめたが、750円のシートでもおk!だった。格好悪いですけど。

けっこう画期的で、色々と説明したいのだけれど、丸ごと全部盗まれちゃったので書かない!
さあ、これだけの新装備を導入したのだから、私のケツの骨とヒザとヒジの痛み、疲労と恐怖は軽減、されるのか??
まずは、10日の仕事を迅速に片付けた。
予定通り、仕事は昼過ぎに終了。帰宅して、荷物の最終確認、チケットの確認、自分の健康の確認などを済ませて、18時は布団に潜った。
明けて3時。言うまでも無く真っ暗な中、むっくりと起きだし、いそいそと準備を始める。
荷物をバイクにくくりつけ、各所を最終チェック、異常なし。
100メートルほどバイクを移動してから、エンジンスタート。暖気に入る。
外は、予想以上に冷えていた。
ここから大阪城ホールまで、500キロちょっと。
「どうぞよろしくお願いします」という気持ちを込めて、エンジンを触ると、ほんのりと暖かくなっていた。
タバコを一服し、4時と同時に発進。
行ってきます。
まだ誰も走っていない道を走りぬけ、東名川崎ICの手前のコンビニで、もう一度各所のチェック。
東名高速に入った。
そしていきなりの100キロクルージング。
前回の名古屋遠征では、あんなにも恐怖した風圧の影響をまったく感じない。
これがライダースジャケットの威力なのだろうか?
それと、ニーグリップ。
右足をエアフィルターにしっかりとつけて、左足はつける場所が無いので、締めて走行する。
それだけで車体との一体感が感じられて、恐怖心を薄くさせてくれる。
上体をやや前かがみにして、ヒジが伸びないようにも気をつけた。
自分としては、かなりの好感触で驚いた。
これならば、痛みと疲労と恐怖を必要以上に感じないで走れるかもしれない。
しかし、走っているうちに寒さが身体に染み込んできた。
しばらく我慢して走っていたが、全身の震えが止まらなくなってきた。
仕方ないので、ここで小休止。
足柄SAに入った。
ここで5時43分。自宅から90キロ。
さっそく行程表を見ると、やや遅れている。頑張らねば。
コーヒーを飲んで、身体をほぐす。
この小休止が効果を上げたのか、身体がほぐれて、調子が出てきた。
富士川SAに入った。
ここで6時18分。自宅から141キロ。
遅れは取り戻せた。初の給油をする。
私の朝食はまだ我慢だ。
バックミラーに、段々と白み始める空が映る。
徐々にクリアになっていく視界が気持ちよく、ぐんぐん走った。
あまりにもお腹がぐーぐー言うので、ここで大休止するかな。
遠州豊田SAに入った。
ここで7時26分。自宅から224キロ。
レストランまだやってなかったorz…。
ちらほらとバイクを見かけるようになった。
完全に日が昇り、とてつもなく気持ちがいい。
驚くべきことに、身体はどこにも痛みを感じない。
あんなに苦しんだ左ヒジも、まったく痛みは無い。
前回は6時間もかかって到達していた名古屋(豊田JKT)を、4時間で通過した。
そんなに中央道は過酷だったのだろうか?
いつかまた、中央道経由で名古屋まで行ってみたい。
上郷SAに入った。
ここで8時33分。自宅から320キロ。
私は朝食、バイクは給油をした。
ゆっくりと休みたかったが、旧車会?のバイクの人たちが大勢いて、轟音を響かせていたので、気持ちよく休むことはできなかった。
あまりにも暖かいので、防寒で着ていたスウェットパンツを脱ぐ。
一宮JCT周辺で初の渋滞に巻き込まれるが、それほど酷くはなかった。
というか久しぶりにたくさんのクルマに囲まれて、安堵感を感じたほどだ。
しかし、東京のナンバーをつけたクルマやバイクはもう見かけなくなった。
養老SAに入った。
ここで10時ジャスト。自宅から398キロ。
行程表を見ると、約2時間を短縮している。ニヤニヤ。
多賀SAにて給油。
ここで10時45分。自宅から434キロ。
う~ん。タンクが大きければ給油しないでもっと走れるのになあ、と感じる。

ここから先は、グッとクルマが少なくなって、快適に走れた。
走っているのが自分一人、という時間帯もあって、気持ちよかった。
しかし、100キロクルージングは厳守。
身体の痛みや疲れは感じていない。
ずいぶんと自分を最適化できたものだ。
大津SAにて最後の休憩。
ここで11時半。自宅から492キロ。
もう予定していた時間は大幅に巻いたので、ゆっくりと休める。
近畿道に入り、目的地である門真ICにて高速を降りた。
ホテルは大阪城の近くなので、ずいぶんと遠い場所になるのだが、門真ICは以前に仕事で何度も使っているのと、ここで降りればホテルまで3回交差点を曲がれば到着できると分かっているからだ。
何度も地図を開いて確認するのが面倒だと思っていた。
なんと、地図を一度も開くことなくホテルまでたどり着いた。我ながら素晴らしい。
ホテルのチェックインは16時で、公演開始の時間だった。
なので、ホテルのフロントに頼んで、ホテルの敷地内にバイクを停めさせてもらった。
大変にありがたい。
指定された場所にバイクを停める。
大通りに面していて、やけに目立つ。
ちょっと目立ちすぎるかな~と気になったが、その声を無視して、その場で着替えてライヴに備えた。
その甘い判断が後に大きく響く。
防寒のために着ていたものをすべてバッグにしまいこんで、一番上にライダースジャケットを重ねてゴムロープでぐるぐる巻きにして、私はライヴ会場に向かった。
楽しい楽しいライヴは終わった。
詳細はライヴレポートでどうぞ。
「今日は一人で大阪の夜を楽しもう」と考えていたので、ライヴの余韻に浸りながらも、ニヤニヤしつつ、ホテルに帰着した。
まずはバイクがそこにあったので一安心。
それではチェックインして、荷解きでもするか…とバイクを見ると、荷物がすべて消えていた。
「落ち着け落ち着け…」
慌てふためいても、状況は好転しないことを経験で理解している。
まずは、ホテルのフロントに確認した。ひょっとすると預かっていてくれていたかも知れない。
ホテルのフロントは、私のバイクには一切手を触れていないそうだ。
ここで「盗難」ということが確定した。
グッとこらえるが、心の乱れが急速に広がっている。
ついさっきまでの楽しかった気持ちが、一気にどす黒いものに覆われていく。
静かに3分くらい、全世界を呪った。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉の意味が理解できない。
罪も憎いし、それを行った人も憎い。
その一方、「後悔先に立たず」という言葉もある。
深呼吸をして落ち着き、これから先のことを考えるようにした。
荷物の中身は、下着などがメインなので、近くに捨てられている可能性が高いが、まったく知らない土地なので、それの捜索はあきらめる。
それよりも、「防寒」に関する衣服がすべて無くなったことが問題だ。
Tシャツとジャージだけでは、絶対に帰りの路につくことはできない。
気持ち的には今すぐにでも帰りたかったが、こんなに心が乱れている状態で物事に当たっても、必ず失敗をする。
「今すぐに!」という気持ちを抑え込み、今日は宿泊して帰ることにした。
失ったものを手帳に書き出して、冷静さを取り戻す。
すべて、金さえあれば取り戻せるものばかりだ。
明日の朝までに防寒着、もしくは防寒できるものを用意できればいい。
それだけを考えながら、今日は眠ることにしよう…。
とぼとぼと歩きながら、近くのコンビニでビールとカップラーメンを買ってホテルにチェックインした。
次に狙われるのはバイク本体なので、バイクはホテルの裏手に移動した。
もちろんそれでも安心はできない。
「他人を信用しすぎた」
ということが今回の反省だ。
私は、他人のバイクにくくりつけられている荷物になどは一切の興味はないが、それを見て興味が湧いてしまう人間がいる。そのことをすっかりと忘れてしまっていた。
それなのに、目立つ場所にバイクを停めて、その場を去ってしまった。
完全な自己責任である。
何度も何度もバイクを確認しながら、あんまり酔わずに眠りについた。
翌日は5時に目が覚めた。バイクはちゃんとあった。
けっきょく、10時にお店が開店するまで待つしか方法は考え付かなかった。
しかし、本当にそれ以外に方法はないのだろうか?一刻も早くこの場を立ち去りたい。
ホテルの朝食を7時に済ませて、一回外に出てみる。やはり寒いが、天気は良い。
「10時までグッと我慢して高速を移動、10時と同時に下に降りて、防寒着を買う」
というプランを立てた。
いそいそと準備をしてチェックアウト。
バイクの暖気をしている間にもぐんぐんと気温は上がっていく。
「これは行けるんじゃないか?」
という期待が湧いてくる。用意していると汗ばむほどだ。
しかし走り始めてみると、やはり全然だめだった。ジャージの上から、冷たい風が染み込んでくる。
ここで断念。
やはり、10時までは足止めだ。
もういくら考えたってアイデアは出てこない。
本当に涙目になりながら走っているときに、道具屋さんを見てひらめいた。
「そうだ!作業着屋さんがある!」
作業着屋さんの朝は早い。7時だったらもう開いているはずだ。
そしてすぐに作業着屋さんを発見した。
おばちゃんに事情を説明すると、瞬時に服を用意してくれた。ジャンバーの下にカッパを着込むと風を通さないので良いとの的確すぎるアドバイス。
早速カッパを着こんでジャンバーを着る。
うひょー!暖かい!
おばちゃんに励まされ、勇気100倍で近畿道に突撃する。
さようなら大阪。
混雑、というほどでもないが80キロ巡航でゆるゆると流れる。
手帳に残っている記録は以下のみ。
大津SA 8時44分
上郷SA 11時26分
浜名湖SA 12時30分
牧の原SA 13時15分
富士川SA 14時21分
身体の疲れは感じなかった。
ただ、SAで止まった瞬間に激しい眠気が襲ってくる。
身体は大丈夫なのに、なんだか不思議な感覚だった。
確か足柄SAだったと思うが、あまりにも眠いので30分ほど仮眠を取った。
それからコーヒーをがぶ飲みして、眠眠打破を飲んで走る。
このあたりで、肩と首が疲れてくる。
表示板を見ると、御殿場から先で事故が3件発生したようだ。
東京の首都高速の朝の事故が「おはよう」の挨拶だったら、東名の厚木近辺の休日の事故は「ご機嫌いかが?」の挨拶くらいだろうか。
「毎週恒例」といっても過言ではない。
必ず、絶対に事故が起きる。
トラックに乗っていたときから、毎度毎度この区間の事故には迷惑をこうむった。
ちょっと、書きながら怒っていますw
なぜ事故が起きるのか解説しよう。
まず、運転しているドライバーの脳内が空で満たされている。
御殿場に達するまでの空いている高速を、我が物顔で走っている。
登坂車線などをビュンビュン飛ばして走るのがこういったドライバーだ。もちろんバイクにもいる。
しかし、厚木に近づいたあたりから疲れが溜まってきて、集中力がなくなっていく。
ここで普通は気づくと思う。
しかし、残念ながら脳内は空虚で埋め尽くされているので、それにまったく気づかずに、存在しない「自分の腕前」で走破しようと試みて、事故を起こす。
交通量が一気に増えることも、もう一つの原因だ。
大井松田からガチガチの渋滞だった。
疲れが溜まってきている上に、慎重さが求められる。
恐る恐るすり抜けをするが、相当に神経を集中させなければならない。
20分もすり抜けをしているだけで疲労がピークに達する。
右側の車線には、やたらと高速ですり抜けをするバイク軍団がいくつも通り過ぎていった。
試しに、その軍団の後ろについて走ってみる。
止まっているクルマの間を、およそ80キロくらいのスピードで抜けていく。
よくもこれだけ、他のクルマを信用して走れると思う。
これには参加できない。
過去に、自転車で止まっていたトラックの横を走ったら、突然にドアを開けられて激突したことがある。
一時間くらい立ち上がれなくなった。それがトラウマになっているのだろう。
よろよろとすり抜けををしながら、そこからはすべてのSA,PAで休みながら走った。
この渋滞を抜けるのに、1時間半を要した。
最後の港北PAでは、疲労がピークに達していた。
15時過ぎには帰宅できると思っていたのだが、帰宅は17時を回っていた。
走行距離 1,127キロ(往復)
走行時間 8時間(往路)、10時間(復路)
つらそうに書いてはいるが、前回の名古屋と比較して、思っていたよりは楽な旅だった。
なんというか、もっとボロボロになるかと想像していた。
ハプニングはあったが、それにも上手く対処できたと思う。
試しに購入した750円の座席シートが爆発的な効果を上げていたのが面白い。
ジェルシートに1万円も使うことはない。
楽しいツーリングでした。
おしまい。
追記
大切なことを忘れていた!
私を安全に運んでくれたXL883N。
ありがとうお疲れさま。
Perfumeの大阪公演に参戦するために、東京から大阪へ向かった。
結論から述べよう。
大阪のホテルで、バイクにくくりつけていた荷物一式を、すべて盗まれた。
着替え、防寒着、ライダースジャケットを失った。
以下にレポートする…。
開演時刻は11日の16時。開場は15時。
せめて、開場の1時間前には到着していたいので、到着目標時刻は14時だ。
大阪までの距離は、ざっと500キロ。
時速100キロで走行すれば、5時間で到着する。
逆算すれば、9時に東京を出発して、時速100キロで移動すれば、14時に大阪に到着できる。
しかし、そうは問屋が卸さない。
じゃあ、休憩を入れて7時間?
甘い。
前回の名古屋公演の時には、350キロの距離を、7時間もかけて走った。
渋滞や、風圧の恐怖に晒され、思うように走れなかったからだ。
じゃあ、あと2時間足して9時間?
いや、まだ甘いでしょう。
ここは思いきって、10時間見積もりましょう。
という訳で、11日の早朝4時に自宅を出発することにした。
前回の名古屋遠征では「長距離ツーリング」というものを完全に舐めきって行ったので、散々な目にあった。
スケジュールを立てないで走り出したので、進捗状況がまったくつかめずに、ペース配分も何もなく、ただひたすらにケツの骨とヒザとヒジの痛みと、疲労と恐怖との戦いだった。
今回はさすがに学習して、走行距離に対して時間を配分した行程表を手帳に記し、それにしたがって走行するようにした。
さらに、ライディングポジションもしっかりと「ニーグリップ」を意識して走ることにした(XL883Nは、ニーグリップができないのだが、心でそれを意識しながら走る)。
さらにさらに、新装備として、クルマ用の座席シートを導入したッ!(750円)
さらにさらにさらに、サイドバッグでは荷物の収納に限界があるので、リアフェンダーにくくりつけるためのバッグと、それを縛るゴムバンドも導入したッ!
そして極め付けに、似合わないライダースジャケットも着込んだッ!

ゲル状のシートは約1万円ほどだったのであきらめたが、750円のシートでもおk!だった。格好悪いですけど。

けっこう画期的で、色々と説明したいのだけれど、丸ごと全部盗まれちゃったので書かない!
さあ、これだけの新装備を導入したのだから、私のケツの骨とヒザとヒジの痛み、疲労と恐怖は軽減、されるのか??
まずは、10日の仕事を迅速に片付けた。
予定通り、仕事は昼過ぎに終了。帰宅して、荷物の最終確認、チケットの確認、自分の健康の確認などを済ませて、18時は布団に潜った。
明けて3時。言うまでも無く真っ暗な中、むっくりと起きだし、いそいそと準備を始める。
荷物をバイクにくくりつけ、各所を最終チェック、異常なし。
100メートルほどバイクを移動してから、エンジンスタート。暖気に入る。
外は、予想以上に冷えていた。
ここから大阪城ホールまで、500キロちょっと。
「どうぞよろしくお願いします」という気持ちを込めて、エンジンを触ると、ほんのりと暖かくなっていた。
タバコを一服し、4時と同時に発進。
行ってきます。
まだ誰も走っていない道を走りぬけ、東名川崎ICの手前のコンビニで、もう一度各所のチェック。
東名高速に入った。
そしていきなりの100キロクルージング。
前回の名古屋遠征では、あんなにも恐怖した風圧の影響をまったく感じない。
これがライダースジャケットの威力なのだろうか?
それと、ニーグリップ。
右足をエアフィルターにしっかりとつけて、左足はつける場所が無いので、締めて走行する。
それだけで車体との一体感が感じられて、恐怖心を薄くさせてくれる。
上体をやや前かがみにして、ヒジが伸びないようにも気をつけた。
自分としては、かなりの好感触で驚いた。
これならば、痛みと疲労と恐怖を必要以上に感じないで走れるかもしれない。
しかし、走っているうちに寒さが身体に染み込んできた。
しばらく我慢して走っていたが、全身の震えが止まらなくなってきた。
仕方ないので、ここで小休止。
足柄SAに入った。
ここで5時43分。自宅から90キロ。
さっそく行程表を見ると、やや遅れている。頑張らねば。
コーヒーを飲んで、身体をほぐす。
この小休止が効果を上げたのか、身体がほぐれて、調子が出てきた。
富士川SAに入った。
ここで6時18分。自宅から141キロ。
遅れは取り戻せた。初の給油をする。
私の朝食はまだ我慢だ。
バックミラーに、段々と白み始める空が映る。
徐々にクリアになっていく視界が気持ちよく、ぐんぐん走った。
あまりにもお腹がぐーぐー言うので、ここで大休止するかな。
遠州豊田SAに入った。
ここで7時26分。自宅から224キロ。
レストランまだやってなかったorz…。
ちらほらとバイクを見かけるようになった。
完全に日が昇り、とてつもなく気持ちがいい。
驚くべきことに、身体はどこにも痛みを感じない。
あんなに苦しんだ左ヒジも、まったく痛みは無い。
前回は6時間もかかって到達していた名古屋(豊田JKT)を、4時間で通過した。
そんなに中央道は過酷だったのだろうか?
いつかまた、中央道経由で名古屋まで行ってみたい。
上郷SAに入った。
ここで8時33分。自宅から320キロ。
私は朝食、バイクは給油をした。
ゆっくりと休みたかったが、旧車会?のバイクの人たちが大勢いて、轟音を響かせていたので、気持ちよく休むことはできなかった。
あまりにも暖かいので、防寒で着ていたスウェットパンツを脱ぐ。
一宮JCT周辺で初の渋滞に巻き込まれるが、それほど酷くはなかった。
というか久しぶりにたくさんのクルマに囲まれて、安堵感を感じたほどだ。
しかし、東京のナンバーをつけたクルマやバイクはもう見かけなくなった。
養老SAに入った。
ここで10時ジャスト。自宅から398キロ。
行程表を見ると、約2時間を短縮している。ニヤニヤ。
多賀SAにて給油。
ここで10時45分。自宅から434キロ。
う~ん。タンクが大きければ給油しないでもっと走れるのになあ、と感じる。

ここから先は、グッとクルマが少なくなって、快適に走れた。
走っているのが自分一人、という時間帯もあって、気持ちよかった。
しかし、100キロクルージングは厳守。
身体の痛みや疲れは感じていない。
ずいぶんと自分を最適化できたものだ。
大津SAにて最後の休憩。
ここで11時半。自宅から492キロ。
もう予定していた時間は大幅に巻いたので、ゆっくりと休める。
近畿道に入り、目的地である門真ICにて高速を降りた。
ホテルは大阪城の近くなので、ずいぶんと遠い場所になるのだが、門真ICは以前に仕事で何度も使っているのと、ここで降りればホテルまで3回交差点を曲がれば到着できると分かっているからだ。
何度も地図を開いて確認するのが面倒だと思っていた。
なんと、地図を一度も開くことなくホテルまでたどり着いた。我ながら素晴らしい。
ホテルのチェックインは16時で、公演開始の時間だった。
なので、ホテルのフロントに頼んで、ホテルの敷地内にバイクを停めさせてもらった。
大変にありがたい。
指定された場所にバイクを停める。
大通りに面していて、やけに目立つ。
ちょっと目立ちすぎるかな~と気になったが、その声を無視して、その場で着替えてライヴに備えた。
その甘い判断が後に大きく響く。
防寒のために着ていたものをすべてバッグにしまいこんで、一番上にライダースジャケットを重ねてゴムロープでぐるぐる巻きにして、私はライヴ会場に向かった。
楽しい楽しいライヴは終わった。
詳細はライヴレポートでどうぞ。
「今日は一人で大阪の夜を楽しもう」と考えていたので、ライヴの余韻に浸りながらも、ニヤニヤしつつ、ホテルに帰着した。
まずはバイクがそこにあったので一安心。
それではチェックインして、荷解きでもするか…とバイクを見ると、荷物がすべて消えていた。
「落ち着け落ち着け…」
慌てふためいても、状況は好転しないことを経験で理解している。
まずは、ホテルのフロントに確認した。ひょっとすると預かっていてくれていたかも知れない。
ホテルのフロントは、私のバイクには一切手を触れていないそうだ。
ここで「盗難」ということが確定した。
グッとこらえるが、心の乱れが急速に広がっている。
ついさっきまでの楽しかった気持ちが、一気にどす黒いものに覆われていく。
静かに3分くらい、全世界を呪った。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉の意味が理解できない。
罪も憎いし、それを行った人も憎い。
その一方、「後悔先に立たず」という言葉もある。
深呼吸をして落ち着き、これから先のことを考えるようにした。
荷物の中身は、下着などがメインなので、近くに捨てられている可能性が高いが、まったく知らない土地なので、それの捜索はあきらめる。
それよりも、「防寒」に関する衣服がすべて無くなったことが問題だ。
Tシャツとジャージだけでは、絶対に帰りの路につくことはできない。
気持ち的には今すぐにでも帰りたかったが、こんなに心が乱れている状態で物事に当たっても、必ず失敗をする。
「今すぐに!」という気持ちを抑え込み、今日は宿泊して帰ることにした。
失ったものを手帳に書き出して、冷静さを取り戻す。
すべて、金さえあれば取り戻せるものばかりだ。
明日の朝までに防寒着、もしくは防寒できるものを用意できればいい。
それだけを考えながら、今日は眠ることにしよう…。
とぼとぼと歩きながら、近くのコンビニでビールとカップラーメンを買ってホテルにチェックインした。
次に狙われるのはバイク本体なので、バイクはホテルの裏手に移動した。
もちろんそれでも安心はできない。
「他人を信用しすぎた」
ということが今回の反省だ。
私は、他人のバイクにくくりつけられている荷物になどは一切の興味はないが、それを見て興味が湧いてしまう人間がいる。そのことをすっかりと忘れてしまっていた。
それなのに、目立つ場所にバイクを停めて、その場を去ってしまった。
完全な自己責任である。
何度も何度もバイクを確認しながら、あんまり酔わずに眠りについた。
翌日は5時に目が覚めた。バイクはちゃんとあった。
けっきょく、10時にお店が開店するまで待つしか方法は考え付かなかった。
しかし、本当にそれ以外に方法はないのだろうか?一刻も早くこの場を立ち去りたい。
ホテルの朝食を7時に済ませて、一回外に出てみる。やはり寒いが、天気は良い。
「10時までグッと我慢して高速を移動、10時と同時に下に降りて、防寒着を買う」
というプランを立てた。
いそいそと準備をしてチェックアウト。
バイクの暖気をしている間にもぐんぐんと気温は上がっていく。
「これは行けるんじゃないか?」
という期待が湧いてくる。用意していると汗ばむほどだ。
しかし走り始めてみると、やはり全然だめだった。ジャージの上から、冷たい風が染み込んでくる。
ここで断念。
やはり、10時までは足止めだ。
もういくら考えたってアイデアは出てこない。
本当に涙目になりながら走っているときに、道具屋さんを見てひらめいた。
「そうだ!作業着屋さんがある!」
作業着屋さんの朝は早い。7時だったらもう開いているはずだ。
そしてすぐに作業着屋さんを発見した。
おばちゃんに事情を説明すると、瞬時に服を用意してくれた。ジャンバーの下にカッパを着込むと風を通さないので良いとの的確すぎるアドバイス。
早速カッパを着こんでジャンバーを着る。
うひょー!暖かい!
おばちゃんに励まされ、勇気100倍で近畿道に突撃する。
さようなら大阪。
混雑、というほどでもないが80キロ巡航でゆるゆると流れる。
手帳に残っている記録は以下のみ。
大津SA 8時44分
上郷SA 11時26分
浜名湖SA 12時30分
牧の原SA 13時15分
富士川SA 14時21分
身体の疲れは感じなかった。
ただ、SAで止まった瞬間に激しい眠気が襲ってくる。
身体は大丈夫なのに、なんだか不思議な感覚だった。
確か足柄SAだったと思うが、あまりにも眠いので30分ほど仮眠を取った。
それからコーヒーをがぶ飲みして、眠眠打破を飲んで走る。
このあたりで、肩と首が疲れてくる。
表示板を見ると、御殿場から先で事故が3件発生したようだ。
東京の首都高速の朝の事故が「おはよう」の挨拶だったら、東名の厚木近辺の休日の事故は「ご機嫌いかが?」の挨拶くらいだろうか。
「毎週恒例」といっても過言ではない。
必ず、絶対に事故が起きる。
トラックに乗っていたときから、毎度毎度この区間の事故には迷惑をこうむった。
ちょっと、書きながら怒っていますw
なぜ事故が起きるのか解説しよう。
まず、運転しているドライバーの脳内が空で満たされている。
御殿場に達するまでの空いている高速を、我が物顔で走っている。
登坂車線などをビュンビュン飛ばして走るのがこういったドライバーだ。もちろんバイクにもいる。
しかし、厚木に近づいたあたりから疲れが溜まってきて、集中力がなくなっていく。
ここで普通は気づくと思う。
しかし、残念ながら脳内は空虚で埋め尽くされているので、それにまったく気づかずに、存在しない「自分の腕前」で走破しようと試みて、事故を起こす。
交通量が一気に増えることも、もう一つの原因だ。
大井松田からガチガチの渋滞だった。
疲れが溜まってきている上に、慎重さが求められる。
恐る恐るすり抜けをするが、相当に神経を集中させなければならない。
20分もすり抜けをしているだけで疲労がピークに達する。
右側の車線には、やたらと高速ですり抜けをするバイク軍団がいくつも通り過ぎていった。
試しに、その軍団の後ろについて走ってみる。
止まっているクルマの間を、およそ80キロくらいのスピードで抜けていく。
よくもこれだけ、他のクルマを信用して走れると思う。
これには参加できない。
過去に、自転車で止まっていたトラックの横を走ったら、突然にドアを開けられて激突したことがある。
一時間くらい立ち上がれなくなった。それがトラウマになっているのだろう。
よろよろとすり抜けををしながら、そこからはすべてのSA,PAで休みながら走った。
この渋滞を抜けるのに、1時間半を要した。
最後の港北PAでは、疲労がピークに達していた。
15時過ぎには帰宅できると思っていたのだが、帰宅は17時を回っていた。
走行距離 1,127キロ(往復)
走行時間 8時間(往路)、10時間(復路)
つらそうに書いてはいるが、前回の名古屋と比較して、思っていたよりは楽な旅だった。
なんというか、もっとボロボロになるかと想像していた。
ハプニングはあったが、それにも上手く対処できたと思う。
試しに購入した750円の座席シートが爆発的な効果を上げていたのが面白い。
ジェルシートに1万円も使うことはない。
楽しいツーリングでした。
おしまい。
追記
大切なことを忘れていた!
私を安全に運んでくれたXL883N。
ありがとうお疲れさま。