おとぎのお家と青い鳥

本ブログでは、主に人間が本来持つべき愛や優しさ、温もり、友情、勇気などをエンターテイメントの世界を通じて訴えていきます。

日本一短い人間ドラマ文庫シリーズ 5

2008-06-30 20:14:46 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

音譜かつて、歌は “3分間のドラマ”と言われていました。この歌と同じようにすべてのストリーを3分間以内に読破でき、読者に対して幸福や感動、笑いなどを与える短編小説があったとしたら・・・
この「日本一短い人間ドラマ文庫シリーズ」が、日本で初めてその作品づくりを現実に実現したものです。ぜひ、すべての作品がわずか3分間以内で読み切ることが出来る、さまざまな人間ドラマを描いた短編小説の数々をお楽しみください。



1 戦争がくれた贈り物 / 中編


♪アリラン アリラン ここは日本

人の顔をした 鬼ばかり

♪アリラン アリラン ここは工事現場

鞭と罵声の 拷問所


花が結婚したのは、二十五歳のときだった。

早婚が歓迎される時代にしては、遅い結婚だった。

当時は、“国家のため”とか“天皇陛下のため”とかの教えの下に、数多くの国民が赤紙一枚で召集されて命を絶ったり、空襲の爆撃を受けて犠牲になったりしたために、日本の人口は急減状態にあった。

そして、全国の戦死者の数は、数百万人にものぼるといわれている。

そのために国が自ら推奨して、猫も杓子も子供を産めや増やせの時代だった。

別に、花の婚期が遅れたのは、花に何らかの問題があった訳ではない。

強いてその理由を挙げるとしたら、父九衛門が猫可愛がりして、なかなか花を自分の傍から手放そうとしなかったからだった。

おそらく、九衛門は寂しかったのだろう。

それは、花の母子小春が、彼女が十五歳のときに病死したからだった。

それに、花の兄は二人ともミンダナオ島沖の連合軍(米、英、蘭軍など)との戦闘で戦死した上に、おまけに二つ年上の姉の千代は戦争の真最中にも拘らず、大阪からやって来た反物商の男と駆け落ちをして、そのまま大阪で暮らすようになった。

ふと、戦争が終わって気づいてみると、家に残っているのは四人兄姉妹の中では花だけで、後は父の妹二人と兄の嫁の五人だけだった。

花が嫁いだ先は、花の実家と比べると布団も揃っていないような、貧しい小農家だった。

格式の違いから、花を殴るほど九衛門は猛反対した。

それでも、最後は花の熱意に折れ、嫁入り時には馬車に積めないほどの、食料や家財道具などを持たせてくれた。

当時の時代では珍しい、恋愛に近い結婚だった。

相手は、花より六つ年上のとても物静かで、温厚な性格の青年だった。

名前を達蔵といった。

また、達蔵も遅い結婚だった。

ただ、花と達蔵との場合は立場が大きく違っていた。

それは、達蔵が場合には太平洋戦争時に乗っている護送線が、チモール島から米国軍(連合軍)と最後の決戦を行うために沖縄に向かっている途中で、突然フィリッピンのミンダオ島沖で島陰に潜んでいた米国軍の空と海から攻撃を受け、護送戦ごと撃沈されて米国軍の捕虜になり、普通の帰還兵よりも三年以上も遅れて帰郷したからだった。

最初に花と達蔵が出会ったのは、近隣の町や村が一堂に集まって年に一回催す、祭りの夜だった。

達蔵の従兄弟秀雄が、たまたま花と同級生で祭りの夜に声を翔けられ、たまたま紹介されたのが、二人が付き合うようになったきっかけだった。

日本人離れして、目鼻立ちがよく物静かな温厚な性格だったのが、花の勝気な性格にピッタリだったのか、花の一目惚れだった。

二人は、三ヶ月ほど手紙のやり取りをやった後、すぐに深い恋仲になった。

その結果、父の九衛門に嘘をついてまで、達蔵に会いに行くことがしばしばあった。

今のように、映画館や喫茶店といった洒落たものが少ない時代だけに、もっぱらデートは川や海といった、自然の中が多かった。

ただそれだけではなく、二人にはそういった贅沢な場所でデートをする、金がなかったこともその理由のひとつだった。

それでも、二人はどんな場所であろうと、ただ会って一緒にいることが嬉しかった。
夜昼関係なく、二人はお互いの親の目を盗んで連絡を取り合い、時間があればデートをした。

その頃が、花の人生の中で一番に幸せに満ち溢れていて、女性としての楽しさを唯一堪能した時期だったかもしれない。

きっと男性にとってもそうだろうが、女性とっては十代後半から二十代前半といえば、一番多情多感な青春時期である。

それは、戦争という生き地獄の世界にその青春時期をすべて奪われた上に、結婚して五年目に花が心に描いていた理想の生活とはまったく逆に、突然達蔵が農作業中に衣服が真っ赤に血で染まるほど吐血して、肺結核で長期入院生活を送ることになったのを機に、四人の子供たちがおのおの学校を卒業して、一人前の人間として働けるようになるまで、あまりの生活の苦しさに子供を道連れに心中することを考えるほど、苦悩する日々の連続だったからである。

花は、いつものように達蔵を看病に行った、町の中心地にある病院からの帰り道、大粒の涙を流しながら泣いていた。

涙が、自分勝手に湧き水のごとく溢れ出てくるほど、苦悩して泣いていた。

それは、まさに病院から帰ろうとした、その時のことだった。

突然、達蔵を入院当初から面倒見てくれている、看護婦(看護師)の遠藤靖子に医務室に呼ばれ、 病院側の正式な意向として、“これ以上の入院費の未納が続くのなら、病院を出て自宅療養するように切り替えざるを得ない・・・”と、通告されたからだった。

当時、肺結核の治療にはペニシリン(1928年、英国の解剖学者であり細胞学者でもある、A・フレミングが青かびの一種から発見した抗生物質。)が一番効果がるといわれ、達蔵の病気の治療にもそのペニシリンが使われていたが、ただやはり効果のある薬はそのぶんその代金も高く、とても花の家のような小農家の収入では、毎月きちんと支払えるような金額ではなかった。

そのために、花は達蔵の入院費や家族の生活費を稼ぐために、朝から晩まで農作業や担ぎの行商をしたり、自分が嫁入り時に持参して来た着物や装飾品など、すべて、家にある金目の物は売り払ったりして、なんとかかんとか苦しい生活ながらも、それで二年ほどはやりくりをして来た。

しかし、達蔵の入院生活が長引き三年目に入るその頃から、すべての金が底をつき子供たちの学費や給食代はもちろんのこと、達蔵の入院費が半年以上も支払えずにいた。

いつかは、こんなことになるだろうといざ覚悟はしていたもの、達蔵の担当看護婦の遠藤靖子の言葉は、花の日頃からの生活苦で空洞化している心に、一気に岩石を投げ込むように、大きなショックを与えた。

だが、そう言われてもどうすることも出来ないのが、正直なところ現実だった。

それは、もう家に残っているのは少しの生活用品(飯炊き釜や包丁、茶碗など)と、家族が雑魚寝するための何組かの布団くらいで、家中どこを探しても金目のものは何ひとつとして残っていなかったからである。


そして外見とは大違い、家の中に足を一歩踏み入れると、まったく人が住んでいるとは思えないほどガラーンとし、まるでその生活状況は夜逃げか引越しでもしたかのような、何の家族の温もりも感じない吹きさらしの風が吹いている、空き家を思わせるくらいだった。



※この作品の内容は、すべて当時(昭和20~30年代)の時代の言葉の表現を、そのまま引用し執筆させて貰っていますことを、どうぞご了承いただきますよう、よろしくお願いします。




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日本一短い人間ドラマ文庫シリーズ 4

2008-06-30 20:00:03 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

音譜かつて、歌は “3分間のドラマ”と言われていました。この歌と同じようにすべてのストリーを3分間以内に読破でき、読者に対して幸福や感動、笑いなどを与える短編小説があったとしたら・・・
この「日本一短い人間ドラマ文庫シリーズ」が、日本で初めてその作品づくりを現実に実現したものです。ぜひ、すべての作品がわずか3分間以内で読み切ることが出来る、さまざまな人間ドラマを描いた短編小説の数々をお楽しみください。



1 戦争がくれた贈り物 / 前編


♪アリラン アリラン ここは日本

人の顔をした 鬼ばかり

♪アリラン アリラン ここは“地上の楽園”とは名ばかりの

蚤とシラミの 家畜小屋


太平洋戦争(1941~1945年)が始まったのは、花が十九歳の時だった。

だんだん戦争が激化し大日本帝国軍が劣勢を強いられるにつれ、“お国のため”“天皇陛下ため”にとその名の旗印の下に、赤紙(もと、軍隊の召集令状の俗称)が届き出兵した者を除く、多くの村民(民)が地区ごとに性別や年齢に関係なく集められ、戦闘機用の飛行場建設要員として徴用された。

その中には、強制労働者として徴集されて来た、朝鮮人の男女も大勢混じっていた。

花は、幼い頃から陽気で活発な性格が見込まれたのか、十代では珍しく女子部の土木作業現場の班長を任されていた。

「かしらー右」

花が、いつものように顔馴染の守衛警務官(憲兵/旧日本陸軍の陸軍大臣の管轄に属し、主に軍事警察としての職務を行っていた。)挨拶をし、検問所を通過したときだった。

「山野班長、チョット聞きたいことがあるので、警務室まで来るように・・・」

突然、花がやって来るのを待ち構えていたかのように、真っ黒に日焼けした鋭い眼光の、三十半ばくらいの年齢の一人の警務官が近づいて来て、ただ何の訳も言わずに警務官室に来るようにと伝えた。

花は、突然の呼び出しに「何があったのだろう?」かなり一瞬不安を感じたが、軍人の命令は国の命令の時代。

一言の言葉も返すことなく、その指示に従った。

警務室に入ったとたん、花は唖然とした。

強制労働で徴集されたて来た、若い一人の朝鮮人の男が拷問を受け、血まみれになって床に転がり苦しんでいた。

そして、その周りを取り囲むように、険しい目付きをして木刀を持った、五、六人の警務官が立っていた。

おそらく、この血まみれになって苦しんでいる様子から見ると、かなりの厳しい拷問にあったのだろう。

その彼の傷だらけになって苦しんでいる姿を見ると、国の人道精神の教えの正否に疑問を持つほど、痛々しかった。

「山野班長。君を呼んだのは、この男が言っていることが本当かどうかを、確かめるために来てもらった・・・」

そう言って、その輪の中央に腕組みをして立っていた、鼻の下から顎へ繋がるように髭を伸ばし、ほかの警務官に比べてひときわ体格がいい、一人の四十前後の男が声を掛けて来た。

その男の名前は、大山三郎といい内地からやって来た、この飛行場建設現場の責任者の主任警務官だった。

その頃、花の父親の九エ門が大農家を営んでいたこともあり、何かにつけては日頃から大山たちに対して食料の付け届けをしていたために、けっこう彼女自身は目を掛けて可愛がってもらっていた。

ただ、そうは言っても、戦争当時においては国の軍人や役人と一般人との間には、相当の立場の違いがあった。

普段と違い、大山がその立場の違いをハッキリと見せたのが、いかにも花が嘘をつかないようにと、まるで威嚇でもするかのごとく鋭い目つきをして、二、三度彼女の顔を覗き込むように見回すと、彼女の顔色がハッキリと見える三十センチとない至近距離から、しばらく彼女の心のうちでも探るかのように、その様子を伺っていたことだった。

そのせいで、花は中年男特有のもの凄い体臭と、タバコの匂いに悩まされたが、戦時中の国の役人と一般人、それも男と女には天と地ほどの立場の違いがあったために、ただその場ではどんなことがあろうと、ひたすら我慢するしかなかった。

「ギャー!グェー!」

「モ、モウ、コ、コンナヒドイゴウモンガツヅクノデシタラ、ド、ドウカ、ヒトオモイニコロシテコロシテ、ラクニサセテクダサイ・・・」

「オ、オネガイシマス・・・」

大山は、未だに花のすぐ目の前で酷い拷問を受けている、若い朝鮮人の男の慈悲を乞う声などまるでまったく聞こえていないかのように、彼女に対する事情聴取のための一通りの儀式みたいなものが終わると、今度はドッカリと警務官室おいてある長椅子に深々ともたれて腰を掛け、キセルで刻み煙草を吹かしながら、この若い朝鮮人の男についての話を続けた。

「今回来てもらった話の本題に入る前に言っておくが、君も土木作業現場の女子部の班長を任されているくらいだから、もうこの建設現場においての規則については、いちいち細かい内容を説明しなくても分かっていると思うので、その内容については省かせてもらうことにするが・・・」

「だが、もし万が一にも君の証言に嘘があると分かったら、君も彼と同罪となりそれなりの処分を受けることになるので、それなりに心して答えるように・・・」
「は、はい。分かりました・・・」

主任の警務官の話によると、この若い朝鮮人の男は、毎日続くあまりの強制労度での空腹に絶えられずに、ついつい魔がさしてしまったのだろう。

近くの農家に忍び込み、薩摩芋を盗み食いしたということだった。

そして、運悪くその盗んだ薩摩芋を川岸の木陰で食べているところを、たまたま通りかかった村人に見つかり、警務官に密告されてしまったというのだ。
(この頃は、実際に戦争捕虜や強制労働者が盗みを働いた場合、その罪の度合いの大小などには関係なく、大日本帝国軍の規律を厳守するという名目のもとに、五体満足ではいれないほどの、酷い拷問の罰則が強いられていた。)

そして若い朝鮮人の男は、この拷問の痛みに耐え切れなくなり、花から薩摩芋を貰ったと、警務官に嘘をついていたのだった。

「どうだね。山野班長」大山は、花の顔に自分の顔をグッと近づけると、再び彼女を威圧するかのように煙草の煙をフッーと吹きかけ、ドスの効いた低い声で問い詰めた。

その間、花は思わずその威圧感に屈指「それは嘘です。」と、そう口走ってしまいそうなった心の揺らぎが、何度も繰り返しあった

だがしかし、花の気持ちを一瞬にして決心させたのは「ハナサン、タスケテ・・・」と言いたげに、拷問を受け真っ赤に腫れた目蓋の涙目で訴えている、若い朝鮮人の男の悲痛な表情だった。

「山野班長、何をためらっている!」

「い、いえ・・・」

「正直に応えないと、君にも同罪になるのだからな・・・」

大山が脅すように言った。

花の心の中には、若い朝鮮人の男と目が合った瞬間から、もう他の答えなど用意されていなかった。

「私が嘘をつけば、この人は助かる」

いくら戦争だからとはいえ、その前に花は人間としての心を捨てたくなかった。

「はい、私があげました!」

花は、意を決してそう答えた。

「本当だな・・・」

花の言葉に、さも疑っているのが一目で分かるような口調と表情で、大山が尋ねた。

「嘘ではありません!」

その後も、大山は花の顔を疑りぶかそうな目付きと表情でしばらく眺めていたが、彼女が自分の感情を押し殺して顔色ひとつ変えずに我慢していると、諦めたのか?それ以上もう問い詰めて来ることはなかった。

それとも、もしかしたらそのことの良し悪しはどうあれ、普段から父親の九エ門が花に面会に来るたびに、米やスイカなどの手土産を持参し大山たちに振舞って、彼女のことを頼んでいることが効をそうしたのかもしれない。

「ふーっ・・・」

花は肩で小さく呼吸をすると、両手を胸に当てた。

そしてこの時ばかりは、父親にいつも以上に感謝をした。

と同時に、もちろん言うまでもないが花の証言により、そのとき若い朝鮮人の男も開放された。


それから、一月ほど経った雨の日だった。

花が、作業現場の倉庫の前で、雨宿りをしているときだった。

泥まみれになった作業服を頭にかぶり、誰かが息を切らして雨の中を駆けて来た。

あの若い朝鮮人の男だった。

「ドウシテ、モオレイガイイタクテ・・・」

「アナタハ、ワタシノイノチノオンジンデス。ホントウニ、アリガトウゴザイマシタ・・・」

その若い朝鮮人の男は、花に必死で片言の日本語でそう伝えると、深々と頭を下げた。

そしてその目には、雨粒とはハッキリと違うと分かる、大粒の涙が光っていた。

「いいのよ。そんなこと気にしなくて。私の嘘も、たまには役立つものだね・・・」

花は笑って応えた。

彼が、強制労働者としてこの作業現場に徴集されて来たときから顔見知りではあったが、花はその時初めて彼の名前が、金正春であることを知った。

まさにその様子は戦争という非人道的な枠を越えて、人間同士として心と心で語り合う、小さな温もりの一場面だった。


ふと、花と金正春が周りを見渡すと、二人の気のせいか?雨に濡れて淡紅に色変わりした紫陽花が、まるで今なお現実に起こっている戦争の汚れを忘れさせてくれでもするかのように、その間だけはいっそう色鮮やかに映えて咲いているように思えた。





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日本一短い人間ドラマ文庫シリーズ 3

2008-06-30 19:58:28 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

音譜かつて、歌は “3分間のドラマ”と言われていました。この歌と同じようにすべてのストリーを3分間以内に読破でき、読者に対して幸福や感動、笑いなどを与える短編小説があったとしたら・・・
この「日本一短い人間ドラマ文庫シリーズ」が、日本で初めてその作品づくりを現実に実現したものです。ぜひ、すべての作品がわずか3分間以内で読み切ることが出来る、さまざまな人間ドラマを描いた短編小説の数々をお楽しみください。



2 僕のふるさと。母のふるさと。

村の子供でたったひとりだけ、三輪車を買ってもらえずに、母を恨んで泣いた場所。

唐草模様の風呂敷を、鞄代わりに背負って、裸足で学校へ通った場所。

父が、農作業中に吐血して肺結核で入院したのをきっかけに、我が家から昨日まであった笑い声が、シャボン玉の泡のようにすべて消えてなくなった。

そして今度は、父の闘病生活が長引くにつれ、入院費や借金の肩代わりになって、我が家から家財道具や灯りが消えて、まるで我が家は人が住んでいない空き家のようになった。


母は働いた。

朝から晩まで働いた。

女手ひとつで、家族を守るために働いた。

母の一日は、四人の子供と祖父母の二人を含めた家族の世話から始まり、父の看病、農作業、担ぎようの山菜採り、薪拾いと、息つく間もないほどの、重労働の毎日だった。

そんな母の、家族のために苦労している純朴な気持ちに逆らい、貧乏が嫌で嫌でたまらなくて、まだ中学校の卒業式も終えないうちに家を飛び出した僕。

あれから三十余年。

僕にも家族ができ、母の気持ちが少し判るような年齢になった。

だから・・・きっと素直に言えるのかもしれない。

「長い間、家族の生活を守るために働きどうしで、本当にご苦労様でした・・・」
そして、「母ちゃん、僕を産んでくれてありがとうと・・・」と。

母が泣いた。

僕が泣いた。

お盆休みが終り、明日上京する夜のことだった。

「あと何回、私が生きている間に、セイちゃんの顔が見られるのだろうね?」母の涙ながらの問いかけに、「一年なんか、アッという間じゃない・・・・」と、最初は笑い飛ばして陽気に振舞っていた僕だった。

だが、母の顔や手に死にボクロ多さが目に入るや否や、もしかしてもう会えないのでは?と、変な予感が頭をよぎった。

その瞬間、そこにはそんな痛ましい母の姿に、もらい泣きしている母の子供の僕がいた。


僕と息子が実家を発つ朝。

やはり、母のことが気になっていたのだろう。

タクシーの後部座席のガラス越しに、何気なく後ろを振り返ったときだった。

「足が痛いから、もう外まではもう見送りには行かないからね・・・」と言っていた母が、苦労しすぎて腰が直角に曲がった身体をまるめ、無理やり杖をついて立っていた。

一歩も動かず、立っていた。

いつまでも、いつまでも立っていた。

僕はとっさに窓を開け「母ちゃん、母ちゃん」と大声で叫んだ。

僕は泣いた。

年甲斐もなく泣いた。

今、自分が息子や運転手と一緒に、タクシーに乗っていることも忘れて、当たりかまわず泣いた。


やがて、母の姿が朝の眩しい太陽に日差しの中に、吸い込まれるようにして小さくなって、視界から消えていった。




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日本一短い人間ドラマ文庫シリーズ 2

2008-06-30 19:55:19 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

音譜かつて、歌は “3分間のドラマ”と言われていました。この歌と同じようにすべてのストリーを3分間以内に読破でき、読者に対して幸福や感動、笑いなどを与える短編小説があったとしたら・・・
この「日本一短い人間ドラマ文庫シリーズ」が、日本で初めてその作品づくりを現実に実現したものです。ぜひ、すべての作品がわずか3分間以内で読み切ることが出来る、さまざまな人間ドラマを描いた短編小説の数々をお楽しみください。



2 こころ美人


こころ美人は、容姿も人柄も美しくなるというが、それは間違いかもしれないと思った。

その美語を、覆すような出来事に遭遇したからである。

彼女は、東大阪市に住んでいた。

実家は、代々雑貨問屋を営む、中流家庭だった。

婿養子の父親が、根っからの遊び人だったために、彼女が中学一年生のときに、実家は借金の肩代わりに人手に渡った。

彼女は、三人姉妹弟の長女だったこともあり、母親と一緒に家計を助けるために働いた。

コンビニの店員、食堂の皿洗い、喫茶店のウェイトレス。

金になれば、なんでもいいから働いた。

金になれば、どこでもいいから働いた。

人間(ひと)としてのプライドを捨てて、朝から夜まで働いた。

彼女は、苦労に負けなかった。

苦労をばねにして、働きながら高校大学と進学し卒業した。

その頃には、だいぶん借金も片付き、いちおう家の生活も落ち着きを取り戻していた。

ところが、彼女が社会に出て二年目に、タバコ好きの母親がビュルガー病(バージャー病)という、まったく聞いたことがない病名の難病にかかり、足を切断することになった。

そして、母親は足を切断すると同時に、一人では動けない身体になった。

彼女は、悩んだ。

誰よりも、母親が苦労しているのを知っているだけに、心の底から悩んだ。

姉妹弟の中でも人一倍、母親思いだっただけに、夜も眠れないほど悩んだ。

その結果、けっきょく彼女は会社を辞めて、母親の看病をすることを決心した。

その日から、彼女と母親の泣き笑いの、二人三脚の人生が始まった。

それから後ろを振り向くと、あっという間に十五年という歳月が過ぎ、ある日突然母親が亡くなった。

その瞬間、これまで彼女の肩に伸し掛かっていたすべての重荷が取れ、いつも決められた時間や場所でしか動けなかった、心の箍がポロリと外れた。

そのお陰で、彼女は母親が死ぬのと引き換えに、久しぶりに思う存分に心の開放感を味わえた。

彼女にとっては、死んだ母親には悪いが、それが何よりも贅沢なことだった。

母親の初七日が終わると、これまでに失っていた自分の自由の時間を取り戻そうと、飛び回るようにあっちこっちを遊びまわった。

だが、その喜びは長くは続かなかった。

しょせん、過ぎた時間は取り戻せない、一過性の心の開放感だった。

ふと周りを見渡すと、多くの友人や知人もそうだが、妹弟たちまでが結婚して温かい家庭を持ち、彼女一人だけがその輪の中から外れていた。

その見過ごしていた現実に、自分が直に触れた瞬間、急に彼女はこれまでに感じたことがない孤独感に襲われるようになり、自分の家族観のない惨め暮らぶりを悔んで、大きなショックを受けた。

そして、彼女は泣いた。

心から泣いた。

独りぼっちが寂しくて、大声で泣いた。

家族という温もりのない中に、独り取り残されたことが悔しくて、気が狂ったように泣いた。

その時、彼女はふと思った。

「私の人生って、いったい何だったのだろう・・・」



彼女は、今でも自分の人生の選択が、果たして正解だったのか?不正解だったのか?その答えが出せずに悩んでいる。





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日本一短い人間ドラマ文庫シリーズ 1

2008-06-30 19:53:48 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

音譜かつて、歌は “3分間のドラマ”と言われていました。この歌と同じようにすべてのストリーを3分間以内に読破でき、読者に対して幸福や感動、笑いなどを与える短編小説があったとしたら・・・
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1_2 母が笑った。僕が笑った。 


母が笑った。

僕が笑った。

そして、二人が笑った。

笑うたびに、入れ歯をはずした母の口の周りが、梅干のように皺だらけになる。

子供のように無邪気に笑う、母の笑顔に久しぶりに出会った。

母の無邪気に笑う顔を見ているうちに、人生の大半を歩き終えたこの人にとって、僕とこうして昔のように親子に戻って、語リ合っているこのひとときが、どんな高価な宝石よりも一番の宝物かもしれない・・・と思った。

つい先まで、そんな母の気持ちに気付かずに「今度来るときは、どんな土産がいい?」と尋ね「もう、何もいらないから、もっと会えるといいね・・・」と返事を返されて、そこにはハッとして母に向かって言った言葉に、心の中で後悔している僕がいた。

そんな母の気持ちに触れた瞬間、僕は、このまま時間が止まってくれればいいとさえ思った。

それは、年老いて灰色に濁った母の瞳の奥に光る泪に、電話で伝える何百回何千回の慰めや励ましの言葉よりも、一日でいい否わずかな時間でもいい、人生という名の列車から、独りぼっちで下車した母が、家族に戻るこのわずかなひとときを、最高の親孝行と感じていることを教えられたからである。





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Photo
息子


ピンポーン。

「あっ!はい」息子だ。

息子が帰ってきた。

どんな顔をして、どんな言葉を掛けてやろうか。

頭の中では、色んな想像を回らし、迎える準備をしていたつもりだった。それがいざ現実になると、つい慌てるだけでそう上手くいかないものである。

それもそのはずかもしれない。三年ぶりの再開だからだ。

僕が突然リストラされて職を失い、家族が一緒に暮らせなくなってから、もうはや三年の歳月が経っていた。

その間色々なことがあった。父が死んだ。

妻が病気(乳がん)になった。

家族が家族でなくなった。

僕は僕の非力さを恨んだ。

学歴を恨んだ。

社会を恨んだ。

それでも恨みたりずに、貧乏の家に生まれたことを恨んだ。

僕は泣いた。

暗闇の中で泣いた。

独りぼっちで泣いた。

それからすぐに、僕の周りから家族の温もりが消えた。

ガチャ。ドアを開けると、息子が立っていた。

十五歳になった息子が立っていた。

三年前には、百五十センチそこそこだった息子が、百七十センチ超える大男になって立っていた。

親子なのに、年月と時間の空白が、やはり心のどこかに壁を作るのだろうか。

最初は、三十センチもない距離の間にいるのに、二人とも声を掛けられずに、ただ黙って見つめ合っていた。

一分。二分。「ただいま」息子が、笑顔で言ったその一言が、年月と時間を飛び越えて、僕を父親に戻してくれた。僕は泣いた。

自分より大きくなった息子を、強く抱きしめて泣いた。ふと顔を上げたら、息子の目にも涙が光っていた。

―カキーン―

「かんぱ~い」

息子が笑ってる。

僕が笑ってる。

冷凍物の寿司と飲み物(ビールとジュース)で祝う、二千円足らずの歓迎会。

だけど、今の僕にとっては、これが精一杯。

「ごめんね」と、心の中で詫びる。

それでも息子が笑ってくれてる。

それでも息子が訪ねてくれた。

久しぶりに、僕に家族の温もりを届けてくれた、息子に感謝。親父と呼ぶようになり、一回り大きくなった息子に感謝。

弾む会話の最中に、「ここに、お母さんとお姉ちゃんがいたら、もっとよかったね」息子の口から何気なく出た言葉が、僕に父親としての責任を、いや人間としての責任を再認識させた。

その瞬間、この温もりを手に入れられるのなら、もう過去のプライドなんてどうでもいい思わせた。


息子が帰る。

まだ薄暗い、人気がない道を帰る。

リュックを背負って、一人で帰る。母と姉が待つ、家族のもとへ帰る。

父が欠けた、家族のもとへ帰る。

僕は黙って、その後姿を見てる。

声も掛けずに、ただ黙って見てる。

あっ、息子が振り向いた。

笑った。

手を振った。

僕も思わず、釣られるように笑った。

手を振った。

手を振りながら、本当の家族に戻れるのは、いつの日だろうと思った・・・・・




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