だっくす天国+わくわくハンドメイド

ダックスが好き、編み物も好き

真っ直ぐになったけれど

2019年12月27日 | 外反母趾
手術したのが、9月30日なので、約3か月経過した所で、術後レントゲンを撮る為に病院へ。

通院に時間がかかる事を考慮に入れて下さり、午後診である。

午後は、患者さんも少ないし、待ち時間もあまり無いので、嬉しい。それでも整形外科の待合には大勢の患者さんが・・・・

まず受付に予約表を提出すると、レントゲン検査のフォームをくれて、とことこ歩いて、レントゲン室へ行く。

レントゲンは、まず「手術した右足だけ」出して、真上から一枚。

レントゲン技師は、機械をセットする度に隣部屋に急いで隠れて「ぱしゃ・・・・」

「はーい、ラクにして下さい」と現れる。 私は、歯医者でも「鉛の重いエプロン」付けるのに、ここでは何も付けない。

いいのかね・・・

次は、床のフィルム台の上に直立し、足の右側をフィルム台につけて、手術した親指、及び人差し指をやや逸らすようにして、そこをズームするように撮るんだとか。

大きな真っ白な座布団みたいな機械が、アームをグイーンと動かして、私のウエスト辺り迄やって来る。


レントゲン技師は「はい、今度は、術位を撮りますので、親指を逸らせて下さい」

いやいや、まだ逸らせません。指動かないし、知覚神経も戻ってないのですと言うと、

「あ、そーですか、じゃ、いいです」と無理矢理機械を至近距離まで近づけて来る。

そして、機械が、ドシン!と私のオチチの先に当たって、止まったら、レントゲン技師が、

「あ、すいません、お腹ちょっと引っ込めて下さい」って、、、そこ、オチチやで(怒


丸で、野球選手がデッドボールを避けるみたいな恰好で、腰を引いてパチリ。


レントゲンが終わると、いよいよ診察。

お久しぶりの先生は、相変わらずお元気そう、でも、今年限りで、病院を転勤?されるのだとか、えーん、連いて行きたいよぉ。

入院中は、先生のタフさ加減にびっくりしたり、感動したりしていたんだけど、今日みたいに、頬杖ついて、レントゲンを見ておられる横顔が心なしかお疲れなんかなと、御挨拶も出来ずに椅子に座る。

「ん~ん・・・・まあまあ、かなあ・・・・」だって。


「先生、私の骨はまだ完全回復していないのでしょうか?」

「まあまあ、まだ3か月やからね、完全にくっつく迄半年はかかるから、その間、無理せんとね。あまり歩いたらアカンよ」やて、ショック。

はぁ・・・・後3か月は「リハビリシューズ」しか履けないのかぁ。

すると、そこはベテランらしく、私のガックリ度が分かったらしく、

「ま!後3か月、春になったら治るよ。頑張って! 顔も綺麗になったやんか」と言ってくださった。

をを、そうやった、一か月前の検診の時、私の顔は、ぱんぱんに腫れて、ぶつぶつだらけだったのである。そう言われれば、一か月で随分良くなったな~~。

「傷も綺麗になったし、順調順調、じゃ、次は二か月後ね」と診察室を出たんだけど。

果たして、これが順調なんだろうかとも思う。

足の甲の傷は、まだまだ赤黒く、風呂に入ると、足の甲の前半分が「どす黒く」なる。ついでに触っても触られた感覚が無い。

人差し指は、「短縮手術」だったので、以前より1cmは短くなった。



で、未だに「親指と人差し指の感覚」が無い。

「歩きすぎると、再発するかもしらんから、あんまり歩かないように」って言われるけど、再発するかもしらんという「分岐点」を教えて欲しかったが、「白衣症候群」の私には、怖くて聞けなかった。

手術を受けようと決心してから、何十年後、意を決して受けたのだけれど、「手術とその後」を軽く考えていたかもしらん。

どんなに変形していても、歩けるんだったら、手術をしない方が良い。手術そのものより、術後がこんなに長引くとは思わなかった。


思いがけなく、日頃気軽に服用していた鎮痛剤に、返り討ちにあった。。。。。

もし、再発したとして、、、又あんな副作用が出るのだったら、もう曲がったまんまでいいやと思う。


そして、最早「ハイヒールが履きたい」とか「ダイアナの靴がいい」なんて、これっぽっちも思わなくなった。

リハビリシューズが終わったら、歩きやすい運動靴を買おうと思う位、テンションダダ下がりなのである。

左足の外反母趾は、相変わらず曲がったままだけど、無理やりあちこち骨切をして、プレートで留めた右足は、未だに感覚がおかしくって、真っ直ぐになったのは有難いけど、でも、歩行の際、足指が全部地球に触れていない不安定さを感じる。

術前は、「両方やって貰おう」なんて思っていたけれど、先生が「そら無茶やがな、片方づつやらな、歩かれへんようになるで」と言われて片方だけにしたんだけれど、「どや、右はいつにしようか?」なんて言われたら、、、断る。