えんどうえこばなし

フラメンコ。レッスン動画とえこばなし。

理想と期待と現実

2016-09-21 16:03:27 | えこばなし
18日(日)は「あしおとでつながろう!プロジェクト」で横浜の「海の公園」まで行く。



ワークショップに参加してくれた爽やかイケメンのお兄さんが「あとで歌うんですよ」と言っていたので見に行ったら、イメージしていたものと全然違うショーをやっていてぶったまげた。
人間て素晴らしい。

自分の子どもに対して「期待」というものがあるとしたら、こういうことだと思う。
自分の子どもがこういう人だったら、その表現がまったくもって理解不能だったとしても、誇りで胸がいっぱいになるだろうと思う。
しかし、「それ」を言語化するのは難しいなと思いながらずっと考えている。

人生を楽しむ?ーーーちょっと違う。
自分の人生を生きる?ーーー少し近いかも。

他人の目線や、世間の定規を知りつつも、自分の「これだ」というものを思い切って実行できる。
ーーーー長過ぎるなあ。そういうの、なんていうんだろう?「自信」かな。

「自信のある人になってほしい」というとなんだか違う気もするんだけど、しかし、自信は必需品だ。
「失敗しない」っていう自信じゃなくて、「失敗しても大丈夫」っていう方の自信。

そのための「やればできた」の積み重ね。
「やればできた」は「失敗しない」ためではなく、「失敗してもまたやればいい」につながるための手段。
時々わからなくなるので、確認。

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19日(月)は墓参りで浅草へ。
お彼岸に墓参りってはじめてした。いっぱい人がいて説法会みたいのもやっていた。「人のためと言いながら、その実は自分のためだということはありませんか?」みたいなことが漏れ聞こえてくる。
うん。あるかも。ありまくりかも。
なんかもうね、全て自分のためなんだよね。

墓になむなむーってしながら「どうか子の受験がうまくいきますように」とおねがいする。
あからさまに「自分のため満載」のおねがいごとのため「本当は自分のためなんだけど人のためのフリをする」みたいなことを(せめて)入れた方がいいような気がして「あ、あと、世界平和」とココロで小さくつぶやく。でも、お墓って身内がいるわけで、一番近い墓の中の人は私の父なんだけど、わたしの父は「世界平和よりダンゼン孫の受験」というような人だったので、まあやっぱりおねがいごとは受験でいいのか。

え?お墓におねがいごとしないの?
するでしょ?

お昼は「龍園」へ。
うまっ。やばっ。

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墓参りから帰って暇だったのでひさしぶりにTVを見たら「健康格差」ということをやっていた。
収入で健康かどうかが変わるっていうことらしい。
高収入の人ほど野菜を食べバランスもよく、低収入の人ほど野菜摂取すくなく肥満、高血圧、糖尿病が多い。コンビ二弁当とかで済ますから肉や塩分が多い食事になるらしい。それを「自己責任です」と言って切り捨ててしまっていいの?という話。

教育格差のことは最近よく考えているが、健康も同じだなあと思う。

低収入かどうか、というよりは「余裕」があるかどうかということなんじゃないか。

収入が低くても、余裕のある生活をしていると、たぶん教育も、健康も、しっかりと維持出来る。
これはホント。実例も知ってる。私じゃなくてね。

そんで、これはあんまり言われないことだけど、高収入でも余裕がなかったら教育も健康も維持されないんじゃないかなあって思ってる。こっちは実例は知らないけど。

でも、まだ世の中は「稼げ稼げ」「グローバル社会を生き残れ」って言うんだよね。
なんかそーなのかなーって思うんだけど、でもまだイマイチわからない。
実際お金あると余裕でるしなー。

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自分の理想としては「無一文でも愉快」なんだけどね。

でも自分の子供が「無一文になって、なおかつ愉快に暮らしてい」たら、フクザツな気持ちになるんだろうな。お金送っちゃったりするんだろうな〜。

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