最近、毎日 化粧をしている。
「眉とアイランをひく」のを化粧と呼ぶのか?という疑問はあるが、
一昨年までは、顔を洗ったが最後、化粧水一つつけない生活を続けてきた女ひとり、格段の進歩である。
化粧のきっかけは、レッスン動画の撮影だが、
大きな流れとして、ここ5年くらい
「きちんとしないババアは見苦しい」と思っている、ということが大きくある。
5年前の「きちんとする」は、「首がヨレヨレになったTシャツを着ない」「膝に穴のあいたGパン(エイジ加工とかじゃなくてナチュラルにあいたやつ)ははかない」などであったが、ここに「顔をはっきりさせる」というのが加わったわけである。
前にも書いたような気がするが、「化粧」と言っても様々な目的がある。
「べっぴんに見えるように」「若く見えるように」「老けてみえないように」などの積極的化粧。
「失礼のないように」「そうしろって世間が言うから」「どうもすることになってるっぽいから」などの消極的化粧。
わたしは、今まで消極的化粧しかしてこなかったと思う。
何かこの積極的化粧の「自分を盛る」ということに対面すると、気恥ずかしさやコンプレックスなどなんだか色んな感情が総動員されてしまい、どうしていいか分からなくなってしまっていたのだった。
踊ってる時には「自分をどう見せるか・どう盛るか」ということに全く躊躇がないのに、人間というのは不思議なものである。
しかし、わたしは、ついに積極的化粧をする自分を手に入れた。
「見苦しくないように」というのは一見消極的なようだが、そんなことはない。自分を「盛ろう」としていることには変わりないのだ。
だが、おばさんになった私は、もはや積極的に「こギレイにする」という戦術をとっても、もう心がざわついたりしない。
ビバ!おばさんになった自分!
そしてビバ!コロナの自粛期間!
そして、やってみると化粧というのは面白いのだ。
きょうはちょうどよくなった。きょうは気が強そうになった。若くなった。若作りになった。厚化粧おばさんみたいになったという日もある。
自分にとっての「見苦しくない最適値」を見つけてゆきたいと思う。
って、そういえばこれ書いててきづいたけど、去年からはじめた日焼け止めは塗り忘れているな。化粧の前に日焼け止めを塗らねば、塗るタイミングを逸してしまうのだ。これ、今日の大発見。
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